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〔書評〕「そこ」にいる「わたし」/『わたしがいなかった街で』(柴崎友香)

古谷利裕

 アメリカ大陸発見から数年後、スペイン人たちは原住民にも自分たちと同じ「魂」があるのかを調べるために調査団を送った。一方原住民たちは、スペイン人が自分たちと同じ「身体」をもつのかどうか調べるため、彼らを溺れさせて死体の腐敗を確かめた。西洋人にとって身体(物理、自然)の共通性は自明であり、一方、原住民にとって「魂」の共通性は自明であった。原住民たちは、人間たちも動物も精霊も、すべての存在は連続的で共通した魂をもつが、たまたま与えられた身体(物質の組成)が違うことによって共通の魂が別の現れ方をするのだと考える。ここで、スペイン人とアメリカ原住民の異なる二つの存在論は、対照的であると同時に対称的でもあると言えるのではないか。

 『構造人類学2』(レヴィ=ストロース)に書かれているというこのエピソードは柴崎友香の小説と遠く響かないだろうか。

 柴崎の小説の多くは「わたし」という一人称のもとで語られる。だが、特に『ドリーマーズ』以降に顕著になったことだが、この「わたし」は世界がそこにおいて立ち現れる特権的で固定した点ではない。「わたし」とはむしろ「別のわたし」との視点変換を可能にするための条件として立ち上がる仮の項だとさえ言えそうだ。

 実際、誰でもが自分のことを「わたし」と呼ぶ。「わたし」は、いま、ここ、この身体に予め定位しているのではなく、特定のシチュエーションを形づくる諸項の関係(風景、地名、人間関係、他者への感情、あの人のまなざし等)の網の目の絡まりの結節点として、その中の「一つの位置」として落ち着き先を得る。

 「わたし」が不動の位置から世界を詳細に描写しているのではなく、世界の詳細な描写(諸事物がどのような関係において結節しているかを記述すること)によってはじめて「わたし」の居場所が開かれる。「わたし」は諸事物の関係の結節点としての身体(消失点)に把捉されることで「ここ」という位置を得る。だから「ここ」は決して特別な位置ではない。「ここ/そこ」が容易に「そこ/ここ」へと置換されるのが柴崎的「わたし」の特徴だろう。

 「ここ/そこ」が、「そこ/ここ」へと置換可能なのは、こことそことが同じであり同時に違うからだ。例えば、どちらも世田谷区若林であるが、ここは2010年であり、そこは1945年である、という風に。共通する点が回転軸(媒介)となり、双方がくるっと位置を変える。あるいは、祖父が見ていた幻の音戸大橋の実物を「わたし」が見ることによって、祖父が橋を見、「わたし」が祖父の見た幻を見ることとなる。だから、置換や変換は同一化ではない。AとBの関係とCとDの関係が構造的に同一だというのはA対B=C対Dだということで、直接A=Cと言うことはではない。こことそこは、同一部分(媒介項)によって関係づけられはするが、ぴったりとは重ならない。ここの「わたし」とそこの「わたし」は置換可能だが同一ではない。

 一方に、世界の諸関係の網の目を辿ることで「わたし」が位置を得るという描写の作用があり、もう一方で、「わたし」が、変換可能ではあるが同一化はできない様々な置換関係へと拡散的に接続されてゆく語りの作用がある。わたしが「ここ」にいることを起点としつつ、様々な「そこ」との未知なる関係へと開かれてゆく。この作家の小説はいつもそのようなものとして展開する。

 だが本作では、様々に展開する置換的関係性こそが「わたし」を悩ませている。「わたし」は常に「そこにいることもあり得たのに何故かここにいるわたし(「そこ」ではなく「ここ」にあることに何の根拠があるのか? 、という問い)」として現れる。これは、テレビ画面の向こうでは悲惨な戦争があるのにわたしは部屋でのうのうとしている、というわかりやすい疚しさではない。

 もし祖父がコックをやめなければ「わたし」は存在しなかったかもしれないと考えている時点で、既に「わたし」は「ここ」にこのように存在してしまっている。「そこ」との置換関係が成り立つためにはまず「ここ」としての「わたし」が既になければならない。置換により無限に相対的でありえるとも考えられる「わたし」が、その相対性を感じるためにはまず特定の「ここ」でなければならい。その時点で「ここ」は「そこ」ではない。つまり、相対性を可能とする可変項「ここ」とは、まずは固定された縛りとしてしか表れようがない。本作の主人公砂羽は、そのようなジレンマのなかにいる。

 このことは「事実は後からしかわからない」というという砂羽の苛立ちと反転的に釣り合っている。八月一四日の空襲で亡くなった人はあと一日で戦争が終わることを知らなかった。だが、あと一日生き延びれば、と思うのは後付けの視点であり、いつの空襲で亡くなっても「空襲で亡くなった」という事実に違いはないはずだ。あるいは、「わたし(砂羽)」も健吾も同じ店で同じデザインの帽子を買ったというのは単なる事実であるはずが、それが後から分かることによって何がしかの意味が生じ、固定されてしまう。空襲で亡くなっている現在、帽子を買っている現在の時点にいる「わたし」は、そのような意味(事実)とは無関係にあったはずなのに。
(これは、読んでいる時は単なる細部であったはずのものが、意味が後付けされることで「伏線」となって、遡行的に全体の構造に回収されてしまうというフィクションのあり方への懐疑でもあるだろう。)

 これらは、「ここ」が「そこ」でもあり得たと感じている時、既に「ここ」が成立してしまっているということへの疑念の裏返しである。裏返しという意味で同値だ。

 砂羽はどうしてもそのことが腑に落ちない。この「腑に落ちなさ」こそが、この小説によって語られている主なものだと思われる。そしてその「腑に落ちなさ」を誰かに話したいと欲している。難しいことは人に頼めばいいし(引っ越し)、疑問があれば直接聞けばいい(中井の態度)。だが砂羽にはその話をする「誰か」を見つけられない。そこで砂羽(=この小説)は、その相手として、「そこ(わたしでない)」であると同時に「ここ(わたし)」でもあるような誰かを創造することになる。これは驚くべき解決法だ。まるでボルヘス(『円環の廃墟』)+リンチ(『ロスト・ハイウェイ』)のようだ。

 本作で起こる砂羽から夏へのバトンタッチが、二つの一人称の交代としてでも、三人称多視点としてでもない形で描かれることは重要だ。夏はあくまで砂羽の一人称の中から生まれ、育ち、そこから分離し独立しなければならない。

 二人の関係を作家が外側から操作している手つきが見えてしまうと台無しなる。二四歳の夏は、中井という人物を介して三六歳の砂羽の脳内に持ち込まれ、中井と砂羽の交流を通じて、砂羽による「一人称の拡張使用」のなかで育ち、次第に確固とした存在になってゆく。夏は砂羽によるフィクションであり、同時にその外にいる人物でもある。そうである時、逆に、砂羽の方こそが夏の脳内存在(フィクション)とも言えるまでになっている。

 夏と砂羽は、どちらも自律的に存在しつつ互いに互いの脳内に入れ子状に包摂されているような関係になる。砂羽と夏が直接会い話すことはないが、二人の(メビウスの輪の裏表のような)存在の仕方それ自体がそのまま対話となる。そこがそこのままでここでもあるという奇跡が起きる。だがそもそもフィクションとはそのような奇跡の実践のことではないか。
(了)

初出 「新潮」2012年8月号 (『フィクションの音域 現代小説の考察』所収) ※ 加筆、修正しました。

上の写真は、坂本一成設計「Hut AO」の内部です。


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