furuyatoshihiro

古谷利裕 画家、評論家、その他。An artist, a critic, others.   http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/

おとぎ話が跳ねる経験とレトロ未来『ハレルヤ』(保坂和志)書評

古谷利裕

 最初の蛙は神に「あなたはわたしを跳びはねさせました」と言った、とG・K・チェスタトンは書いている。

 神は蛙を跳びはねるものとして創った。蛙はこの事実の不思議にびっくりして跳びはねた。ただ驚いただけでなく、喜びのあまり跳びはねたのだ、と(『正統とは何か』)。これが書かれているのは「おとぎの国の倫理学」という章で、そこには、おとぎ話でリンゴが金色なのは、リンゴが赤いのをはじめて発見し

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歴史のなかの小さな場所/ジョナス・メカス『どこにもないところからの手紙』 (書肆山田) 書評

古谷利裕

 メカスの映画『リトアニアへの旅の追憶』に、ペーター・クーベルカというオーストリアの映画作家が登場する。25年ぶりの故郷への訪問の後、メカスはウィーンに立ち寄り、友人であるペーターと会う。彼について短くコメントするメカスのナレーションは、彼の静けさや穏やかさを讃え、彼がいつも自分らしくいられるのは、彼が「自分がなじんできたものに取り囲まれて」いられるからで、そんな彼がとてもうらやましい

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脱去する媒介者/『ユリ熊嵐』論

古谷利裕

デューリング、清水、ハーマン
 アンスティチュ・フランセ東京で行われた鼎談(註1)でエリー・デューリングは、地球の軌道上というイメージを提示し、地上を離れ、基底的なグラウンド(座標・地)が失われることで生じる運動の相対化について語った。軌道上では、地球の上にいるのか下にいるのか、右にいるのか左にいるのか分からない。それは軌道上にある視点の上下前後に依存する(図1)。あるいは、(これはデ

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泣く女、透ける男/中上健次「蝸牛」をめぐって

古谷利裕

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 短編集『十九歳の地図』(1974年)が中上健次という作家にとって重要なのは、そこにはしる断層が明確に見て取れるからだ。その断層は、最初の二篇(「一番はじめの出来事」「十九歳の地図」)と後の二篇(「蝸牛」「補陀落」)との間にはしっている。そしてこの断層は、中上健次という作家の生成を物語っているように思われる。つまり、「十九歳の地図」から「蝸牛」への飛躍によって、後に『枯木灘』や『

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スウェットの女/ポン・ジュノにおけるペ・ドゥナの存在

古谷利裕

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《二個の者が same space を occupy する訳には行かぬ。甲が乙を追ひ払ふか、乙が甲をはき除けるか二法あるのみぢや》(夏目漱石)。これがポン・ジュノの映画を貫く基本の原理であり、同時に、この原理にあらがうことが彼の映画作品のフォルムとしての主題(課題)となる。そして、登場人物のレベルでこの原理にあらがうことが可能だった存在が『ほえる犬は噛まない』のペ・ドゥナであ

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現在を現実へと着地させる装置=部屋/九十年代の角田光代

古谷利裕

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 現在とは捉えきれない不確かなものである。いま、こことして、まさに間近でなまなましく生起しているはずの現在こそが、実は夢のように掴みがたいこと。現在起こっていることの意味は、後になって遡行的に見出されなければ確定することが出来ない。つまり、現在を「現実」として確定し、それを受け入れ可能な妥当性と実感をもつものへと着地させるには(未来から逆算するような)一定の手続きが必要であり、現

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