見出し画像

〔美術評〕「動植綵絵」(伊藤若冲)を観る複数の時間

古谷利裕

動植綵絵 紫陽花双鶏図 伊藤若冲

色彩の過剰な表現性

 踏切の警報機の音がして、赤いランプが点滅し、遮断機が下りはじめる。偶然だが、ランプの点滅に同調したかのように、まっすぐ伸びる道の手前からずっと先まで、見える限りの信号がすべて赤に変わった。そのとたんに、目の前にある風景が、赤いものの散らばりとして、新たに編成し直される。赤ランプと赤信号だけでなく、道行く人のもつ鞄の赤、商店の看板やのぼりの赤、消火栓の赤、自動車のボディの赤などが、パースペクティブのなかで特定の位置をもつ特定の物であることから、たんなる散乱する赤の塊の一つとなって、赤の塊と塊とが星座のように距離を超えて関連づけられ、空間は、散らばる赤の分布として新たな様相を見せる。風景は姿を変える。

 勿論ここで、客観的な空間はまったく変化していない。変化したのは、そこから空間的図像を構成するために要素を読み取り、それを組み立てる時の、その読み取り方、組み立て方であり、その変化はそれを見ている人の頭のなかでだけ起こっている。それは、さまざまなしるし(赤)が偶然に重なり過ぎたことから起こる認識のエラーであり、白昼夢のようなものだ。電車が通り過ぎ、ランプが消え、信号も青に変わると、いままで赤の連鎖として関係づけられていた、鞄の赤、看板やのぼりの赤、消火栓の赤、自動車の赤は互いの関係性を失い、たんに空間内に配置された、赤い鞄、赤い看板、赤い自動車へと還ってゆく。

 色彩の経験は、現実的な利害から常に浮いているように思う。いや勿論、例えば、ある食べ物の色つやを見ることで、それを食べることが出来るかどうか判断するというような、現実的な判断に色彩が不可欠な場合も多々ありはするだろう。このキノコに毒があるかないかを見分ける、など。だが色彩はしばしば、現実的な有用性から零れ出てしまう。信号の赤は、たんに「とまれ」という指示以上の感覚を、それを見る者に強いる。春になると、咲き乱れるという風に咲く花の色彩はこの世からはみ出るような鮮やかさをもち、背中をむずむずさせ、胸をざわぞわさせる。

 花は生殖器であり、その色は昆虫を誘うためなのだという説明もあり得るが、生殖器の発色が自らの発情のしるしであると同時に、相手の発情を誘発する効果を持つのだとしても、花の色彩の豊かさと強さは、その機能や必要性に対して飛び抜けて過剰なのではないか。色彩はすぐに、必要以上に強い表現性を持ってしまう。必要以上だからこそ、風景が赤の分布として捉えられてしまうような、現実的な有用性をねじ曲げるほどの経験を生んでしまう。色彩の経験はそもそも非現実的であり、それ自体として超越的であるとさえ言える。

「動植綵絵」のポストカードとマティス

 今、目の前にあるのは、二〇〇六年に「動植綵絵」が三の丸尚蔵館で展示された時に観に行って買った三十枚のポストカードだ。三十幅ある「動植綵絵」のすべてが印刷されているが、なにぶんポストカードである。絵画について何かを書こうとする時の困難は、それを書く時に実物が目の前にはないということだ。ポストカードを喫茶店のテーブルの上に並べ、手に取ったり、並べ替えたりしながら、何度も眺めつつ、その実物を観た時の記憶、その感触をすこしでも思い出そうとする。しかし、それを観たのは二〇〇六年のことなのだ(※本稿は二〇〇九年に書かれた)。

 テーブルの上に並べたポストカードを観ながらまず思い出したのが、最初に書いた、「風景が赤の分布となって現れる」経験だった。紙の上に岩絵の具で描かれた「動植綵絵」の色彩は、ぼかしは描写のためにのみ使われ、形態と形態とのエッジは常にハードであり、ほぼフラットに、マットに彩色されているという印象を受ける。そしておそらく、使われている顔料の種類もそれほど多くはない。その色彩は、キャンバスに油絵の具を何層も重ねて描かれた絵とは異なり、多様な幅は含まず、バリエーションはきわめて限られている。

 だから、鶏のトサカも、南天の実も、紅葉も、牡丹も、微妙なニュアンスの差異は認められても、皆同じ絵の具によって彩色されたほぼ同じ赤である。あるいは、鶏の羽も、雪も、菊の花も、蝶の羽も、同じ白である。テーブルの上に並べられた何枚もの絵から最初に見えてくるのは、フレームを越えて関連づけられる、同じ赤の分布であり、同じ白の分布である。それは関連づけられるというより、目があちこちへと飛び散らされるという感じだ。

 まず最初に、きらびやかな色彩の乱舞が目に入ってきて、その後、それが、鶏のトサカだったり羽だったり、花びらだったりといった、固有の物、固有の位置、一幅一幅の絵画へと落ち着いてゆく。勿論、一旦固有の位置へと落ち着いた色彩も、少し気を許すとすぐに、色彩の乱舞へと、輪郭を越えて湧出しようとする。

 このような色彩の機能を見る時、ぼくはどうしてもマティスのことを考える。

 マティスがやろうとしていたことの一つは、色彩そのものの美しさを解放するということよりも、必ずしも形態に結びついているわけではない色彩が、画面のなかでの配置の仕方によってどのように機能するのかということであり、その色彩の機能によって、三次元的(遠近法的)な空間の秩序とは別の秩序(関係性)で、画面を成り立たせようということだと思う。

食卓-赤の調和 マティス

 例えば「食卓-赤の調和」(一九〇八年)で、画面の多くの部分を占める赤と、そのなかに、面積としてはごく少ないが溢れるように散らばる黄色(果物や人の肌)とが、同等な強さで拮抗していて、赤が黄色を、黄色が赤を互いに活気づけ、ある生き生きした感覚を生んでいる。そして、その暖色の活気のある響きとは別に、テーブルクロスや壁紙の模様、窓の外の風景などに見られる緑や青といった寒色の響きが、ある抑制的な清涼感を生み出している。

 そしてこの絵においては、暖色の響きと寒色の響きとが、同一平面上で拮抗しているのではなく、別の次元にあって引っ張り合っているように感じられる。暖色の響きを感じる時と、寒色の響きを感じる時には時間的にわずかなズレがある。暖色の響きと寒色の響きは、同時に鳴っているのではない。あるいは、同時に鳴っていても別々に聞こえている、と言った方が正確かもしれない。(女性の来ている黒い上着は、暖色の響きと寒色の響きとの分離を無理矢理つなぎ止めているかのようだ。)このズレこそが、絵画的な空間を生んでいる。

 あるいは、暖色の響きを感じる時でも、黄色に注目している時にその周囲にある色として感じている赤があり、それは赤そのものを見ている時に感じる赤とは違う。

 赤の広がりを目が漂っている時に感じている黄色があり、それは黄色に注目している時の黄色とは違う。赤のなかに漂っている時にふと黄色い部分に目がとまると、その黄色(の感覚)は面積は小さくても視野のなかで(脳のなかで?)大きく拡張し、同時に、赤のなかに散らばる他の黄色の点との関連がふいに意識され、散らばった黄色によって開かれる別の空間がひろがる。

 しかし、視線が他の黄色へと広がってゆく過程で、そのまわりを覆う赤に目が引っかかって、目は再び赤のなかに溶解してゆく。このような、色彩の関連によって広がり、動いてゆく空間は、三次元的な奥行きや膨らみによる空間とは別種の(別の次元の)広がりを画面にもたらすようだ。

 色彩相互の関係が三次元的な空間の秩序とは別の次元の空間を生むということ自体は、特別に「新しい」ということではない。セザンヌがヴェロネーゼに見出していたのはそういうことだと思われる(ガスケ『セザンヌ』あるいは、ストローブ-ユイレ『ルーブル美術館訪問』参照)。マティスもこれを、ピエロ・デラ・フランチェスカから学んだのかもしれない。しかしそれはあくまで表向き成立している三次元的な空間の秩序の「裏」で響いているものとしてあった。それが、三次元的な秩序よりも前に出て来る、あるいは、三次元的な空間を消してしまう程にまでなってくることが、マティスがそれ以前とは違う点だろう。マティスが「現実的なものへの関心」(要するに具象絵画であること)を手放さなかったと言っても、それはセザンヌのモチーフへの執着に比べれば随分と希薄なものだと言えるだろう。(マティスはセザンヌのように野蛮に「自然」を信じてはいない。)

 そこにはやはり、現実への嫌悪があり、現実を支配している秩序とは別のものを(別の次元を)、芸術によって生みださねばならないという、強い切迫した動機があったのではないかと感じる。「肘掛け椅子のような絵を…」と言ったマティスには、表現主義主義やシュールレアリスムやダダ以上に「強い」現実への否認があるのではないだろうか。第二次大戦中、妻や娘が対独抵抗運動に身を投じ生命の危機にあるなかでも、アトリエにこもってうつくしい女性のモデルを描いていたというマティスが、その時に何を考えていたのだろうかと思う。

若冲における強い現実への否認(描写の凝視的密度と形態の過度な様式化)

 マティスの話ではなく、若冲の話のはずだった。しかしぼくには、「動植綵絵」三十幅の色彩の乱舞からマティスと同様の現実への強い否認のような感覚が感じられる。それは単純な現実からの逃避ではなく、現実を越えた、現実とは別の秩序を見出すことによって、現実を作り替えようとするほどの強さをもつ。

 それは、色彩の乱舞する構造からだけ見てとれるものではない。若冲における、異様に詳細でシャープな、凝視的密度をもった細部の描写と、にもかかわらず、空間全体をねじ曲げてしまうほどの強い「癖」としか言えないような形態の強引な様式化との間にある緊張も、そこに起因しているのではないだろうか。次に、二〇〇六年の六月十一日に実際に「動植綵絵」を観た日の日記から引用する。

三十幅ある「動植綵絵」のうちの六点が展示してあった。その技巧の凄さと「抑制のなさ」に圧倒される、というのが第一印象で(特に「紫陽花双鶏図」)、抑制のなさ、とは、画面のあらゆる部分がギチギチに描き込まれているというだけのことではなく、自分が出来る限りのことを(自分の手持ちの駒を)とにかく全て画面上に具体的に「目に見える」ように提示しなければ気が済まないという感じで、だから含みとか余白とかが感じられなくて、あらゆる細部が徹底してクリアーで、そのため画面に目が釘付けにされ、画面の隅々まで「舐める」ように視線を向けることを強要されるような感じなのだった。色彩なども、個々の部分を観ると決して派手というわけではなく、むしろ渋い感じなのだけど、そのぶつけ方、組み合わせ、配置、が、常にかっちりとハードで、そのハードさによって生まれる(装飾的で)平板な感じが、細かい描写による異様なまでのクリアーさをさらに際立たせる。おそらく、人が何かを知覚するというのは、その空間のなかで自分が「動く」ことが出来る余白(余裕)をみつけるためという側面がかなりあって、それは絵画を観るときでもそうで、その画面のなかを目が動き、画面内の様々な要素を、目を動かしつつ関係づけようとする、という能動的な行為が絵を観ることのなかでかなりの割合を占める。そこで、その能動性を「誘う」ような雰囲気こそが、その絵画の吸引力ともなると思うのだが、若冲の絵はそのような隙間がほとんどないので、目が画面の細部に釘付けにされたまま動きの自由が束縛され、その異様にクリアーな細部をただ受動的に受け入れるしかなく、そのほとんど受苦に近いような感じが生むマゾヒスティックな快楽が、若冲の絵から産み出される「美」の感触なのではないかと思った。細部の徹底したクリアーさについては「抑制がない」感じなのだが、「エロ」な感じに関しては極めて抑制的で(それは色彩の使い方などから強く感じられる)、感覚を過剰に開くことを強要されるくらいの細部のクリアーさがあるのに、その過剰さをエロとして受け取る(構成する)ことが禁じられていて、その禁止によって絵を観る人のなかに蓄積される「過剰な感覚の決着のつかなさ」(過剰に供給される感覚的入力をどのように処理してよいのかが分からない状態)が、観る人の内部に強い、しかし熱くなることは禁じられた、独自の情動を浮上させる、ように感じた。

 「動植綵絵」を実際に目にした三年前のぼくは、色彩の散乱よりも、強引に平伏せさせられるような細部の描写の異様な密度と、その隙のなさ、余白(余裕)のなさの方に強い印象を受けているようだ。細部の密度については、今、目の前にあるポストカードでは、何分の一にも希釈され、縮減されていると思われるので、この印象の違いは仕方がないだろう。

 むしろぼくはこの日の日記では、色彩を抑制的だとさえ書いている。過去のぼくが「エロ」と記述しているのは、おそらく色彩を知覚することそのものの持つ、ある麻薬的な感覚のことで、それはマティスの色彩から感じられるような感触のことだろう。若冲の絵の、描写の異様な密度や形態の奇妙な癖、形と形とのハードなぶつけ方は、細部への凝視、過剰な覚醒を強いるものであり、色彩の麻薬的な快楽へと導かれるものではない。若冲における美の感触は、そのような麻薬的感覚への移行を許さず、つまりうっとりすることを許さず、意識を常に過剰な覚醒の場へと縛り付けることから生まれてくると、過去のぼくは書いている。

 しかしここで、過剰な覚醒への停留は、クールで正確な現実の認識をもたらすものではない。その細部の密度の過剰は「冷たい熱さ」とでも言うべきもので、現実的な認識からこぼれ落ちるものであり、むしろ現実を適切に反映していない。実際に我々が見る「鶏」はそんな感じじゃない。それは、文化的なコードとして、型として適切に描写された鶏でもないし、装飾的に変形された鶏でもなく、徹底した観察によって得られたリアリズムとしての鶏でもないように感じられる。

「秋塘群雀図」における「白」

 だが、これにつづく部分で、過去のぼくは、マティスとも共通する同じ色彩同士を関連づけて見せる技法についても書いている。

隙間や余白のない細部がギチギチに描き込まれた画面が、しかし全体として平板にならないのは、画面内に巧妙に断層が仕込まれていて、複数の層が出来ているからだろう。(また、画面全体を一挙にみわたすことが困難な、縦長のフレームが採用されていることも大きいと思う。)一番わかりやすいのは「秋塘群雀図」で、画面上部の飛んでいる雀の群れのなかのただ一羽の白い雀と、画面下部の、稲穂をついばむ雀たちとが(羽根の裏の白によって)関係づけられていることで、画面の上部と下部とが繋げられつつ、同時に画面内部に亀裂が生じ、それによって層の分裂が起きる。つまり、白い雀に注目している時は、まわりにいる他の群れをなす雀たちを(ブランクとして)影のようにおぼろげにしか知覚できず、群れをなす雀たちを観ている時は、白い雀(と、画面下部の雀たち)は白飛びのようなブランクとなる。だから、全ての雀が同じくらいクリアーに描かれていても、(全てを同時に観ることが出来ないので)画面全体は決してフラットには見えない。加えて、この二つの分裂した層を、きわめて魅力的な曲線で描かれた稲穂の描写が、媒介者としてやわらかく結びつけている。このような層の分裂(と融合)のさせ方は、わざとらしいと言えばわざとらしいのだけど、圧倒的な技巧による描写の見事さと迫力によって、わざとらしさがわざとらしく感じられなくなっている。

動植綵絵 秋塘群雀図 伊藤若冲

 ここでは「秋塘群雀図」について、マティスの『食卓-赤の調和」と同様に、一つの画面が色彩の効果によって二つの異なる層へと分離していることが指摘されている。しかしこれだけでは説明不足だと思われるのであらためてポストカードを見ながら、「秋塘群雀図」についてもう少し言葉を重ねたい。

 「秋塘群雀図」では、画面上部の約三分の二程のスペースに、右上から左下へと向かって群れをなして飛んでいる無数の雀が描かれ、下三分の一程のスペースに、画面左から右へと雀の重さによってしなる麦(日記に書いた稲は間違いで、麦だと思われる)、その麦にとまる雀が描かれている。画面上部の雀は皆、羽の茶色い背中の部分を見せているが、なかに一羽だけ全身が白い雀が混じっている。下にいる雀たちは、羽の白い腹の側を見せているか、クチバシの下の白い部分が強調されているかして、画面下部では白の点在が目につく。フレーム全体として、背景も含めて茶色がかったトーンで統一されているから、白い部分は目立つというか、他から浮いて見える。

 画面左側から、右上へ向けて一本の麦が伸び、その麦がやわらかくしなる曲線と、茎から垂れる葉が下部のパートから上部のパートへと浸食することで二つの部分を重ねあわせ、同時に、(垂れ下がる葉が)画面左上から右下へと向かう、雀の群れとクロスする対角線の動きを意識させる。

 画面上部の群れる雀は、ランダムに飛んでいるのではなく、雀自身の、羽を広げて下向きへと飛ぶ形態を反復するように、山形(△)を基本形態とする配列パターンで並べられている。他方、下部の雀たちは、配置もランダムで、ポーズや動きの方向も多様である。この、基本的に異質な二つの部分は、表面的には、画面上方へと伸びる麦によって辛うじてその通路を確保している。しかし、それは根本的な通路ではない。

 画面上部の雀たちのなかにただ一羽だけ混じった白い雀の白は、それが目の端にある時は、画面全体の茶色のトーンを活性化するスパイスのように機能するが、それを視線の中心に据えたとたん、その白が下部に散乱している白たちと響きあい、視線は(意識は)下部へと、いわばワープするように移動する。そして、下部へと移った視線が、白い羽やクチバシの下の白い部分をもった雀たちの多様なポーズや動きを見ている時に、背景として目の端にある茶色い葉の色は、画面全体の茶色っぽいトーンの流れのなかで、今度は自然に、スムースに、視線を上部の雀たちへと返してくれるだろう。

 こうして、一枚の画面に重ねられた二つの相容れない場面は、メビウスの輪のようにして裏表が繋がり、共存可能になっているのだ。ちょうど、マティスの「食卓-赤の調和」で、暖色の世界(事物)と寒色の世界(装飾模様)との関係がそうであるように。

「動植綵絵」三十幅のすべてを観た(黄土色という、もう一つの層)

 ここで、この原稿(本稿)にも一つの断層がはしることになる。前の段落まで書いた後で、この原稿を書いている今、上野の東京国立博物館で「動植綵絵」三十幅のすべてが一挙に展示されているという事実を知り、それを観るために出かけた。日付は、二〇〇九年十月九日。これ以降は、三年ぶりに「動植綵絵」を実際に観た感触の生々しい状態で書かれる。

 実際に「秋塘群雀図」を観て、上の記述に付け加えるべきだと思ったことが一つある。それは麦の穂の黄土色が、前述した二つの層とはまた別の、第三の層を発生させているように見えたということだ。「秋塘群雀図」の画面下部に散っている麦の穂の黄土色は、その隣に展示されていた「向日葵雄鶏図」の向日葵の黄土色も同様なのだが、あらゆる細部がハードなエッジでぶつけられ、我がちに前へ出てこようとする「動植綵絵」では特異なことだが、他の色彩に比べて一歩後退しているように見えるのだ。

 「動植綵絵」において、ぼかしは、描写のための技法としてのみ使われていて、形態をぼやけさせたり、空間をぼやけさせたりすることはない。つまりあらゆる形態が、自らの存在を主張している。それは、何も描かれていない背景の形でさえ同様で、何も描かれていないところは、何も描かれていないその形として自らを主張する。だから、そこは余白ではなく、画面全体のどこにも余白が存在しないような画面となる。

 そのような画面がべたっと平板になることのないように、断層を含んだ複数の層を画面内に仕組むことが必要になる。形態のエッジがぼかされることなく、ハードにその隣の形態とぶつけられているという点は、「秋塘群雀図」の麦穂や「向日葵雄鶏図」の向日葵においてもかわらない。しかし、その色彩の特性によって、画面の表面から後退するような効果をもち、それはエッジのハードさをやわらげる。目でしっかりと掴むことが出来にくい色なのだ。

 「秋塘群雀図」における茶色や白、「向日葵雄鶏図」の赤や黒や白や黄緑色は、色彩の違いによって微妙なズレを生みつつも、その色によって彩色された形態を、その部分に注目しさえすればくっきりと浮かび上がらせる。しかし、黄土色によって彩色された部分は、他の部分とからわずエッジがハードであるにもかかわらず、その色彩の効果〔特性〕によって形態が掴みづらいのだ。つまり、この黄色系の色は、物の空間上での位置を曖昧にする色彩で、形態にも着地しづらい。この効果が、この色彩で彩色された部分を一歩後退させて見えるようにし、画面に別の位相を導入している。

 茶色系のトーンのなかで浮いている白い色面という二つの層の分離に加え、同じ茶系のトーンでありながら画面から一歩後退する黄土色の色面によって生じるもう一つの層の分離が、「秋塘群雀図」の画面空間をいっそう複雑にし、魅力的なものにしている。しかしその微妙な色彩の効果を、印刷図版で再現することはきわめて困難であり、その層は印刷図版では消えてしまう。

動植綵絵 向日葵雄鶏図 伊藤若冲

隣にあるものの効果と、今、ここにないものの効果

 ぼくは上の段落で「秋塘群雀図」の黄土色に触れながら、つづけて《その隣に展示されていた「向日葵雄鶏図」の向日葵の黄土色も同様なのだが》と書いている。「秋塘群雀図」の黄土色は、他の部分から分離して一つの層を形成するのと同時に、それは隣にある絵の、同じ黄土色部分と響き合って、そこに新たな関係が読み取られ、二枚の絵にまたがったもう一つ別の層をたちあげる。

 しかしこの関係は、踏切の赤いランプと信号の赤いランプとが偶然に重なってしまったのと同様、二枚がたまたま隣り合って展示されたということの効果に過ぎないだろう。しかし、どんな絵画作品も、展示される時は「どこか」に置かれなければならず、そうである限り、たまたま隣接した「何か」との関係が生じることは避けられない。その時、「秋塘群雀図」の白い雀が、茶色い雀たちのなかに配置されることによって持たされる役割と同等の(作品そのものがもともと持つものとは別の)役割を、作品と作品との配置によってある作品の特定の部分が持たされてしまうということが生じる。作品は常に、具体的展示による〔偶発的〕「効果」によって影響を受ける。

 「動植綵絵」が三十幅で「ひとまとまり」の作品として制作されている以上、フレームを超えた関係の生成は当然意識されていると思われる。

 その最もわかりやすい例は鶏で、鶏の形態はいくつかの部分に分解され、その部分の形態のバリエーションと、部分と部分とのパズルのような組み合わせのバリエーションとによって全体の形態が決定されていることは明らかだと思われる。だから、ある一枚の絵に描かれた一羽の鶏は、他の絵に描かれた他の鶏との関係が常に意識されるように組み立てられている。

動植綵絵 群鶏図 伊藤若冲 

 しかしそれは、たまたま隣り合ってしまった色彩同士が響いて関係が偶発的に成立してしまうというのとは異なっている。鶏が、部分的形態のバリエーションを組み立てることで形成されるということは、必ずしも隣り合っていたり、同時に展示されたりしていなくても、読み取ることが可能である。

 それを詳細に分析しようとすれば、絵と絵とをつきあわせる必要があるだろう。だが、ある鶏と別の鶏とに、形態のバリエーションとしての関係があることを見て取るのには、時間と場所とを隔てても可能だ。去年ある美術館で見たあの鶏と、昨日、別の美術館で見た別の鶏との間、という風に。つまりその関係-反響は、展示による効果を超え、今、こことしてある現実空間を超え得るのだ。

 さらに、去年見た鶏と、昨日観た鶏との間に見出された関係は、視覚的記憶の曖昧さも手伝って、どこにもない別の鶏、実際には決して若冲が描かなかった、しかし若冲が描いたとしか思えない鶏を、その人の頭のなかでだけ発生させるかもしれないのだ。それは、異様な密度をもった描写が、実際に目の前にあり、それを今、見ている、ということの強さとは、また別種の強さをもつ感覚を生むように思われる(しかし幻の鶏は、目の前にあるものの異様な密度の力に押し出されるようにして生み出されるのではあるが)。

 そのような、世界のどこにも決して実在しないにもかかわらず、誰かの頭のなかでは実在するとしか思えない感触で生じてしまう「別の鶏」こそが、若冲が本当に生みだしたかった鶏なのではないだろうか。

同一のもののバリエーションとその組み替え、と、違うけど似ているものの間に起こる響き合い-ずれ込み、

あるいは、黄土色の反響は偶然であるとしても、何度も反復される鶏のトサカの赤が、牡丹の赤や鶴の頭の赤へと響きつつずれ込んでゆくことや、鶏のからだの白が、鶩や桃の花や雪へと響きつつずれ込んでゆくことは、偶然とは言えないだろう。鶏の羽の描写が、植物の描写と似ている(似ているというのは、近いが違う、ということだ)ことも見逃せない。同一のもののバリエーションとその組み合わせ-組み替え、似ているけど違う、違うけど似ているものの間に起こる響き合い-ずれ込み、「動植綵絵」という三十幅の展開は、そのような原理によって増殖していったのではないだろうか。

 この原理は、本稿で分析してきた「秋塘群雀図」の雀たちの増殖-反復を制御している原理でもあるように思われる。そしてそのことは、「動植綵絵」が必ずしも三十幅で完結する必要はないこと、幻の、存在しない三十一幅目、三十二幅目に開かれているということでもあろう。それが開かれる空間は、「動植綵絵」を観たそれぞれの人の頭のなかなのだ。

 一枚の絵のなかからは、いろいろなものが見えてくる。いろんな色があり、いろんな形があり、いろんなテクスチャーがある。「作品」であるためには、それらのものたちが、何らかのかたちで緊密な関係や秩序をかたちづくっている必要がある。少なくとも、そう感じられる必要がある。しかし、そもそも複数の感覚のよせあつめであるものを、「一つの」作品の経験であるかのように扱えるのは、たんに、それらが一つの「フレーム」に納まっているからに過ぎないのではないか。その時、フレームとは、あらかじめ与えられた区画のことであり、あるいは、社会的、歴史的に構築され、あらかじめ認定された形式であったり、ジャンルであったりするのではないか。

 作品から与えられる様々な、雑多な感覚的経験は、そのような既にあるものとしてのフレームから遡行的に見出され、組織化される。つまり、これは一枚の紙に描かれているから一つのまとまった作品として「見るべき」なのだろう、これは三十幅でひとまとまりとされているから、そのように「見るべき」なのだろう、これは絵画という形式に沿って描かれているように見えるから、絵画作品として「見るべき」なのだろうと、はじめから思い込んでいるから、そのように見ようとする。

未だ何処にもない何処かを開く装置(力)

 だが、「動植綵絵」の一つ一つのフレーム、三十幅という作品の数は、それをひとまとまりとして完結させようとするものではないように思われる。それは、今ある三十幅を起点として、存在しない三十一幅目、三十二幅目を、絵を観た者の頭のなかに生み出すための力の源泉としてあるのではないか。

 決して、今、ここ、とはなり得ない、世界のなかには場所を持ち得ない、ある非場所としての場所を開くための装置であると同時に動力源でもあるもの。複数の雀、複数の鶏、複数のフレームは、その反復の力によって、幻としてしかあり得ない、次の雀、次の鶏、次のフレームが生まれるように押し出す力としてあるように思う。

 マティスが、一枚の絵のなかに複数の分裂した層を重ね合わせるのは、たんに絵画作品の構造を複雑にするためというだけではなく、それが、そこには見えていない、平面でも立体でもない別の次元、別の世界を開くためであった。マティスにとってその世界は、感覚が活性化されながらも、ある種の平穏が行き渡る世界だろう。

 同様に、若冲の、異様な凝視的な描写の密度、余白を禁じるハードなエッジ、複数の層を分離させつつ重ねる構造、複数の要素に分解可能なバリエーションの展開等は、絵画を、たんに偶発的関係によってあらわれる感覚の乱舞でもなく、かといって、あらかじめあるフレームに感覚を従わせるものでもない、今、ここという現実とは別種の現実、別の感覚、別の鶏を、ある確実な手触りをもって出現させるための場所として、その場所を「頭のなか」に開くため方法としてあったのではないか。

 若冲にとってそれは、過剰な覚醒が強いられる、冷たい熱狂が支配する世界であろう。幻の鶏、幻の紫陽花、幻の雀の存在を可能にする、幻の場所=非場所こそが、絵画空間と呼ばれる。
(了)

初出 「ユリイカ」 2009年11月号 特集・若冲


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?