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#失神

試合とは関係ないお話。
私は今まで生きてきて、2度だけ失神=落ちたことがある。
一度目は知ってる人は知っている…まあ笑い話(これはあえて触れない笑)
二度目が先日の試合である。
先日のツイートでも言ったが太田レフリーがよく最後まで見切ってくれたと思う。中途半端に止められてたら後悔が残っていた。太田さんに感謝です。
おかげで(という言い方は少しおかしいと思うけど)初めて落ちた時よりも大分深く落ちたようで、ただ落ちて目覚めるのとは違う、面白い体験をした。

まず、意識が戻った時「意識が戻った」という認識はない。ただ凄まじい量の光と音。ただそれが「光」だとか「音」という認識もない。自我がない。自分が咲間ヒロトであるという自我がない。自分が何であるかがわからないしここが地球で、日本で、東京であるということもわからない。自分が何者なのか、ここがどこなのか、なぜここにいるのか、全てわからない。
ただ凄まじい量の音と光が目と耳から飛び込んでくるだけでそれを処理する能力がない(目とか耳という存在もわからないんだけど)

一番はじめに自我を感じたのは「怖い」という気持ちだった。自分が何なのかわからないしここがどこなのか、この世界が何なのかもわからないけどすごい音と光が止めどなく脳に入ってきてこのままじゃ頭が破裂して死んでしまう!という自我が一番はじめに生まれた。
やがてわけがわからなかった視界がほんやりと形を為してきた。3つくらい丸いものが浮かんでる。そのうちの一つの丸いものがずっと同じ音を発してる。
何かの信号を発しているように思える。その音の意味がわからないが理解しようと意識をその音に傾ける。
その3つの丸いものが人の顔で、音を発してるのがドクターの「握れますか?」という言葉であることに気付く。瞬時に頭の中に情報が蘇って来て自分が咲間ヒロトである事、今日は試合でタイトルマッチだった事、最後にチョークを極められた事、そしてそれによって落ちていた事を認識する。自分の手をドクターが握っていてそれに対して「握れますか?(反応できますか?)」と問いかけていたのだった。そこへ4つ目の顔、修斗君がやってきてやっと起き上がる。完全に意識と自我が戻るという流れであった。

その間の時間は体感的には何世紀も昔の眠りから目覚めたような感じがしたが、実際には1分くらいだったのかなと思っていたのだが、映像を見たらほんの10秒くらいだった。

ほんの数秒の間にあの異世界のような体験をしたのかと思うと時間とは何なんだろうという哲学的な疑問が湧き起こる。時間なんてものを認識したり定義したりしてるのは人間だけだろうし。

いわゆるあれが臨死体験というやつだったのだと思う。人が死ぬ時もしくは死の境を彷徨っている時に見える世界だったのかと。

もしくは草木や土や石にもし視覚と聴覚があったらこの世界はあんな風に感じるのかなとも思ったり。

何とも不思議な体験でした。

これをポジティブに考えるなら「一度死んで生まれ変わったつもりで頑張って生きよう」だな。

おわり。

今後の活動の糧とさせて頂きます。よろしくお願いします。