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【短歌】破調を怖れない

こんにちは、匡成です。今日は文字数の捉え方について見ていきたいと思います。定型がある文学を始めたばかりの人も意外と陥りがちなことです。

1. 定型ははみ出して良い

それが、定型をはみ出してしまうこと。
俳句なら五七五。短歌なら五七五七七の中に、規定通りに、全ての句を収めなくちゃと、躍起になることです。

その音数になったのは、日本語としてこの並びが一番美しいから、との説もあります。確かにイメージとしては分かります。

字足らず・字余りという言葉があるように、それがイケナイことのように聞こえてしまいがちです。それで無理して定型に収めようとしてしまうのです。

でも外来語の増えた現代において、また日本語自体が変化してきたことによって、正しく定型にすべきと考えるのは少し無理があるときもあると思います。

旧仮名を使いこなせる人なら大丈夫かもしれませんが、口語短歌を得意とする人は、8音はしょうがない、と思っていた方が断然に良いものが作れます。字余りした、これはボツだとなりにくい。中には、全ての句で字余りしている歌もあります。情景がしっかり描けているなら、迷わず字余りを選んで下さい。

身ひとつでできることなど少なくて全速力で逃げる犬追う  戸田響子 『煮汁』より

すべて定型です。しかし結句、犬のあとに「を」を入れると8音です。どうしてもここは種明かしをしなくちゃいけないところ。後半の七七だけが動的でしかも主体の必死さが出ています。飼い犬なのかどこかの犬がスリを働いたのかは判りませんが、追いかける必要に迫られて仕方なく全速力で走る場面に面白みを作り出しているのです。このような場合、もし「を」削ることに気付かなくても、そのまま使った方が面白いと思います。

最近の流行として最初の五音を七音にする歌が増えました。七七五七七にするのです。昔からよく見られた型で、定型と認められている節もあります。短歌にこなれているな、という逆に良い印象を持ってもらえることがあります。是非チャレンジしてみて下さい。こんな感じです。

プールサイドで西瓜割りした親子らが赤き塊持ち上げる夏/中澤系

情景がありありと伝わってきませんか? 海ならまだしも「プールサイドで西瓜割り」をしていた時のカオスな感じが、違和感がないとはいえ、少し破調の文字数が効いていると思います。西瓜割りってけっこうキレイに割れてくれないので、凄惨なイメージがありますよね。

破調は掟破りではありません。歌の重みやメッセージに合わせて選べるオプションのようなものです。また、真ん中を6音や7音にするのもあります。皆さんも是非チャレンジしてみて下さい。新しい扉が待っているかもしれません。匡成でした。



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