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鎌倉の家をリノベする計画(2)

鎌倉の家をリノベする計画が本格化したのはやっと今年に入ってからである。

梅さんが亡くなって23年。

2017年に私がこの家に転がり込んだとき、襖で仕切られた8畳と6畳の部屋をオール無垢のチーク材のフローリングに変えた。材料は私が購入した。工事をしたのは弟だ。若い頃に工務店で働いていた彼はこういう時にとても役立つ。しかしながら残念なのは本人があまりリノベ自体に興味がないということだ。必要に駆られフカフカとしてしまった畳をどかし根太を作りなおしそのついでに腐食してしまっていた基礎の根元を交換して(どうやったかはわからない)補修工事したり、玄関の庇の内部に雨水が入って腐ってしまい支えていた柱が心許なくなってしまった時もどうやったのか柱自体を交換して庇が落下しないように柱そのものを丸ごと交換していた。とにかく必要ならばやるけれどそれ以上のことはやらない。雨漏りがひどくなった時も屋根に登って防水シートをうまく被せ雨が入り込むのを塞いだ。かなりの才能だとは思うが残念なことに美しくしようという感覚がないらしい。

そして庭のボーボー加減が半端なかった。家守の弟は一生懸命に草原のように青々と育つ雑草と長年格闘していた。最近では除草剤を撒いていたので私はそこに生えるべきものまで殺してしまうのではないかと危惧していたが、やはり木斛の木は葉が一つ残らず落ち逝ってしまった。逝ってしまった木といえば、庭の中心に堂々と立っていた南高梅の木もそうだ。梅さんはこの南高梅の木を相当気に入っていたらしい。私は密かに彼女の名前と関係しているのではないかな、と考える。確かにこの梅の木は堂々としたもので太い幹に大きな枝が数本伸び、そこからさらに枝が広がるもので夏にその下にいれば日傘はいらないくらい涼しく感じた。BBQをするときはいつもその梅の木の下にテーブルを置いて昼間から酒盛りしていた。私もとても気に入っていたし、毎年たわわに実をつけた南高梅を母や叔父、叔母は取りに行っていたのに、である。梅の木が大きくなりすぎ枝が屋根にかかってしまい瓦を壊してしまうのではということで枝を少し切る予定が素人の叔父が父とやったためどんどん短くなり手足がない丸太が立っているようになってしまった。とのことだ。そこでデクノボウのように立ち尽くす梅の木と毎日対面していかなければならない弟はあまりにひどい見栄えに申し訳なくなり成仏していただくために南高梅に塩をまいたらしい。成仏したかは定かではない。。。父がその後、あれはひどかった。とことごとく言っていた。もう梅さんの南高梅は取れない。

そんなふうに騙し騙しあちらを直しこちらを整えこの家と付き合いようやく出した決心。この家をまた昔のようにきれいにしてあげよう。





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