四神相応と蔵風得水 平安時代の風水思想

今日twitterでこんなツイートを見つけた。

平安時代の貴族の住宅である寝殿造りについて家相の観点から見たツイートなのだが、私はこれを見た瞬間別の事を考えた。

これ庭全体を見たら「蔵風得水」でしょ?

でこのツイートに付けた引用RTがこれ

実は四神相応というのは平安時代の後期にできた考え方で、つまり平安京が四神相応で造られた訳がない(驚愕の真実)。
このツイートを見て一番感動したのは、平安時代に日本に伝わっていた風水思想は平安京そのものではなく、貴族の建物である寝殿造りの中に生きていたという事が分かったという事。
私がこの記事を書いたのはその感動を形にしたかっただけ(マテ。
四神相応と蔵風得水については後日書きたいと考えてますのでしばしお待ちを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?