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だけど願いはかなわない 第十九話「妻達(後編)」


「真央。お母さん、妊娠してるの。真央の弟か妹、それからお父さんが出来るよ。」

小五の終わり際、未婚のシングルマザーだった母親はそう言って結婚した。それまで母親と二人で住んでいたアパートが火事になり、母親と最高に仲の悪いおばあちゃんの家に無理矢理転がり込んだ直後の事だった。

少しだけ楽しみにしていた弟か妹はなぜか産まれてこず、母親の嘘だったのか流産したのかは知らない。

結婚相手はいかにも小心者といった感じの小柄で痩せたオジサンで、私はこの卑屈でかっこ悪い義父が嫌いだった。けれど、母親と二人で暮らしていた、あの汚部屋のワンルームアパート暮らしよりも生活水準が上がったのは明らかだったので、子どもなりに我慢した。

一緒に住んでいても可能な限り顔を合わせないようにし、話しかけられても一言二言で終わらせ、それでも一応無視だけはしなかった。それは私の最大限の歩み寄りだったというのに、母親はそんな私の態度を勝手に危惧し、何かにつけて私と義父に交流を持たせようとした。そして、それもまた私の癪に障るばかりだったのだ。

中二の時に母親と二人きりで話しをしていた際、きっかけは何だったのかは忘れたけれど、突然泣きながら責められた事がある。

「お父さんへの態度を改めな!あんた、こんな生活させてもらって何が不満なのよ!」

その泣き顔がとにかく鬱陶しく、私は心底うんざりしながら母親を黙らせたい一心で言い返した。

「だってあの人、イヤらしい事するんだもん。」

間髪入れずに嘘つき呼ばわされ、そしてそれは事実嘘だった。

けれど、私にとって重要なのはそれが真実かどうかでは無い。そんな事よりも、一切の躊躇も無しに私より義父を信じた母親に激しいショックを覚えたのだ。

傷付いた私は、その翌日に学校で話しをした。

「お継父さんがお風呂を覗いてくる」「わざと体に触れようとしてくる」「下着が無くなる」ーーーーーと。

私を嘘つき呼ばわりした母親と違い、仲良しグループの女の子達は誰も私を疑わず、口々に同情してくれた。そして不思議な事に、女の子達が「酷い」「真央ちゃんかわいそう」と騒ぎ立てるうち、私自身も段々とそれが本当の出来事のように思えてきたのだ。

“絶対に秘密ね”と前置きしたはずのその内容はいつしか教師の耳にも届き、ある日の放課後おせっかいな担任に呼び出されて事実確認をされた時、もはやそれらは私の中では実際にあった事になっていた。

周囲は私の味方をし、結果、私が高校生になる前に母親は離婚した。けれどそれは母親が私を信じてくれたからでは無く、世間の疑いの目に耐えられなくなった義父が逃げ出した形だったのだけれど。

母子家庭に逆戻りした母親は仕事を増やして留守がちになり、母娘(おやこ)間の溝は埋まらないまま、私は夜遊びに溺れた。

もともとスタイルには自信があった上、馬鹿女子高で化粧を覚えた私は一気に化けた。

若くて見た目が良いという事はそれだけで充分な価値があって、わざわざ売りなんかやらなくても遊ぶお金には困らない。まとまったお金が欲しい時は、その時の彼氏で一番お金を持っている人に妊娠したと嘘を付いた。スクールカーストはもちろん最上位で、気に入らない子は嘘の噂を流して不登校にさせた。

上手に嘘をつく才能と、美貌と、若さ。

それらの武器があれば、世界は私の思い通りだった。

その世界が一変したのは、高校を卒業して小さな芸能プロダクションに所属した時だった。

スカウトしてきた最初こそ調子の良い事を言っていたくせに、何年経っても回ってくる仕事と言えば良くてチラシのモデルか、せいぜい配信お色気番組でやたら露出度の高い格好をして一山いくらの一人としてニコニコしているだけ。

「あの子は悪い意味でギラギラしていて下品だ。何より華が無い。売れないね。」

社長とマネージャーの立ち話が耳に入り、一気に頭に血が上った。匿名で何度も社長の自宅に電話を掛けて家族にある事無い事吹聴し、電話口に珍しく子どもが出た時は「あんたの父親からレイプされた」と言ってやった。

それからしばらくしてマネージャーから「お前がした事は全部バレている」と言われ、事務所との契約を打ち切られた。

それからしばらくの間は彼氏達に事務所の愚痴を言い、昼夜問わず遊び歩いて発散した。その中に一人、長い付き合いの既婚者の彼氏が居た。

彼は少し変わった人で、自分がお金を出すので何か資格を取らないかと勧めてきた。どうせなら私が得意で興味のあるネイルの勉強をしたかったのに、なぜかそれは却下された。

そして彼は、私が漢字を読めなくてもパソコンの使い方を分らなくても笑わずに根気よく教えてくれて、一年半かけて医療事務関係やMOS資格、五つの資格試験に合格した。そのお祝いの食事の帰り際、「長い間楽しかったよ、ありがとう」と言われて連絡が取れなくなった。それから少し経った後、彼は経営するお店が倒産して夜逃げしたのだと人づてに聞いた。

気が付けば私は二十代後半になっていて、学生時代の女友達の間では結婚式をどこそこで挙げるので出席して欲しいだの、二人目の子どもを妊娠しただの、聞いてもいない報告が踊っていた。

そして時折、勝ち誇ったように私に言うのだ。

「真央は最近はどんな仕事をしているの?」

「結婚しないの?」

彼氏だと思っていた人達は、いつの間にか皆居なくなっていた。いや、正確に言えば、一人、相手の方が勝手に付き合っていると思い込んでいる、冴えない見た目のシステムエンジニアの男だけは私に夢中だった。けれど、結婚を考えたくなるような相手では到底無くて、言う事をきいてくれるのでほどほどに相手をしてあげていた。眠れない夜は、ふと、なぜかあの既婚者の彼の事を思い出して少し寂しくなった。

きっと学生時代の仲間は皆、私を馬鹿にしているんだろう。私より下だったくせに勘違いするなよ。あんた達の旦那みたいな小物なら、私はいつでも結婚できるんだ。

もっと皆がうらやむ様な男と結婚したい。そう考えていた頃、芸プロ時代の知り合いから声を掛けられ、テレビ局の打ち上げ会場でコンパニオンのバイトをやった。運良く二次会の場に入り込み、独身の脚本家の男と肉体関係を持った。相手から積極的に連絡が来ることは無かったけれど、その後もこちらが誘えば応じてくれた。脈は無さそうだったので、せめてお金を貰おうと「妊娠した」と嘘を付いた。

嘘をついたその日、私は脚本家の妻になった。

脚本家に結婚式と指輪の話しをすると、「忙しいので式は今は無理だ」と、プラチナカードを渡されて好きな指輪を買っていいと言われた。

やっぱり私は特別な人間で、特別な人生が用意されていたのだ。

その翌月、学生時代の仲間の結婚式で新婦より目立っていたのは、私の電撃結婚話と薬指で輝く一際大きなダイヤだった。

そして私は、妊娠が嘘だという事がバレないよう、必死になって本当に妊娠しようとした。けれど脚本家は意外や意外、保守的で頭が固く、身体に障るといけないので安定期に入るまでは控えようと馬鹿げた事を言う。

私は、未だ私に未練たらたららしいシステムエンジニアの男を呼び出した。脚本家と血液型が一緒だったからだ。夫からDVを受けて流産し精神を病んだと嘘をつくと、男はコロッと私の涙に騙された。そして「優しいあなたとやり直したい、あなたの子が欲しい」と言って関係を持った。

妊娠はせず、この男とのやりとりがバレて離婚になった。

イヤイヤながら派遣会社に登録し、医療事務員として総合病院で働いた。どうにかして医者をモノに出来無いかと画策したけれど、事務員と接点があるのはせいぜいが看護師止まり。

三十歳を過ぎた頃から街で声をかけられる回数も明らかに減り…いや、数よりも、声をかけてくる男の質が下がっている事の方にこそイライラを募らせ、自分の容姿の衰えを受け入れざるを得なかった。

有名人や医者じゃ無くてもいい。でも、不細工や貧乏人はもちろん問題外。連れて歩いても恥ずかしくない見た目で、平均年収よりはずっと上で、そしてこちらが主導権を握れそうなタイプの男。そんな独身の男と出会わなければ。

そして芸プロ時代の仲間に誘われた合コンに、内心「三十も過ぎて合コンなんて」とうんざりしつつも一応参加してみたあの日、私は出会ったのだ。
どうぞ騙して下さいと言わんばかりに善意に満ちた、間抜け面の小金持ちの男に。

独身でマンション持ちなのを不思議に思って探りを入れると、苦労知らずな答えが返ってきた。

「祖父の遺産で、もともとは人に貸していた物件に住んでいるだけだから結構古いんですよ。」

そんな純粋培養のお坊ちゃんを落とすのは、笑いが出るほど簡単だった。

派手な女は苦手なようだったので、『実は健気な女』を演じて興味をひいた。お坊ちゃんは私のお涙ちょうだい話を片っ端から信じ込み、同情心が横滑りする気配がし出した頃に色気で迫りモノにした。

一応は高級ブランドなのに少女趣味で恥ずかしい白いコートをもらった時も、イヤな顔せず喜ぶフリをしてあげた。一年掛けてプロポーズさせ、前回の結婚の時より大分安物になった指輪に内心ガッカリしつつも嘘の涙で感動させてやった。

多少期待外れではあるけれど、やっと安息の場所を手に入れた。あとは幸せにしてもらうだけだ。

それなのに、夫の無垢なまでの優しさは度々私をイラつかせた。そして何よりムカついたのは、その優しさが、あの既婚者の彼氏を思い出させる事だった。

過去の沢山の男達の中、唯一私に『寂しさ』を覚えさせた、そして何の説明も無く私を置いて消えていった彼。

この人も、いつか私の前から消えるのかもしれない。何せ、こんな私に騙されて結婚するくらいの馬鹿なのだ。他の女にも騙されないとは限らない。

童顔の夫は、実年齢より若く見える。私の好みとは外れてはいても及第点は出せるその見た目と、腰が低くマメな性格、そして何より、大手企業勤務である点と、金持ちの年寄りからもらった遺産は魅力的だ。

考えれば考えるほど不安になり、残業で遅くなると言われれば帰宅後に残り香をチェックし、体調が悪いので夕食が食べられないと言われれば女と食事してきたのかと疑った。それでも私に向けられる優しさは、最早やましさの裏返しとしか思えなかった。

幸せが欲しかった。

イイ男と結婚して、金銭的な不自由も無く、夫からはずっとチヤホヤされて、子どもが出来たら育児の大半は夫がやってくれるかベビーシッターを雇って、私は出産しても綺麗なママで、子どもにも良い服を着せて私立の学校に通わせて、周りのママ友達からは常に一目置かれて、子どももクラスメイトから羨ましがられて。

そんな、誰が見ても幸せな女になりたかった。

汚部屋のワンルームアパートで、夕食がわりのスナック菓子を手に、キャバクラに出勤していく母親の背中を見送る生活をしていた、あの頃の私をやり直すために。火事の夜もたった一人で逃げ出して、酒の匂いをさせながら戻って来た母親に抱きしめてももらえなかった私を、無かった事にするために。

ーーーーーだけど、願いは叶わない。

ある晩、水を浴びせてベランダに追いやった夫は、私達のマンションに帰って来る事は無くなった。

そして無理矢理別居を始めた夫の居場所を突き止めると、彼が仮の住まいにしていたのは、あの火事になったアパートによく似た飲み屋街の路地裏に建つ物件だった。

幼かった頃の記憶がフラッシュバックしてふらふらとした足取りで引き返し、どのくらい歩いた頃だろうか、道端の収拾所に積み上げられたゴミの山からはみ出たガラクタにヒールの足がもつれて転び、とっさに地面に着いた手に小さな箱が触れた。

今時珍しい、マッチの箱。レトロ系をコンセプトにした飲み屋らしき店名の入ったそれは、一、二本だけ使用された後、アスファルトの上に無造作に捨てられた様子だった。

私はほとんど無意識にそのマッチを一本取り出し、何かに操られるように火を点けた。

その小さな灯りをゴミの山に投げると瞬く間に炎が立ち上がり、そしてその炎は一瞬だけ火事の日の恐怖を呼び起こしたが、その次の瞬間まるで魔法のように私の中に渦巻く不安や苛立ちを一気に消し去ってくれた。


・・・・・


ちゃんと惚れた相手としたはずだった一度目の結婚は、すれ違いのまま幕を閉じた。俺には『家庭』の作り方が分らなかった。

二度目の結婚は、妊娠したと言って来た女とした。子どもが居れば自然と家庭が出来上がるかとも思ったが、妊娠は嘘だったので離婚した。

俺には結婚の才能が無いらしい。

それでも三度目に婚姻届にサインをしたのは、家に居座った女が籍を入れろとうるさかったからだった。

「もう結婚するのはやめたらどうですか、向いてませんよ。」

そう苦言を呈する奴も居たが、自分でも情けない事に、どうやら俺は完全に一人で居るのは少し寂しいらしい。

女にモテるという自覚はある。四十を過ぎた今もそれは変わらない。

しかし、学生時代からの付き合いだったイズミはともかく、女達が惚れているのは俺という人間では無く、俺の肩書きと金だという事も分っている。そして、心のどこかでそれでいいのだとも思っていた。

もし仮に『売れっ子独身脚本家』でもなく、金も無いのだとしたら、惚れた女を大事にする術も知らないこんな下らない中年男に、おいそれと女達が寄ってくるわけもない。

子どものためでも、金目当てでも、何でもいい。いや、むしろ、目的がはっきりしている方が分かりやすくていいとすら感じた。

仕事と金を整理して身軽になる事を決めた時、ジュンを手放す事に躊躇は無かった。むしろ、さっさとどこかに行ってくれ、そして俺の知らないところで幸せになればいいと思った。あの、気色悪い程にお前に惚れている子犬野郎とでも。

つまりジュンは俺にとって、金も名声も失った後の自分を見られたくない女なのだと気付いた瞬間、ジュンに惚れている自分を認め、そして同時に蓋をした。






つづく

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