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LHCのはなしーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」㉔


大型ハドロン衝突型加速器LHC


LHCはLargeHadronCollider(大型ハドロン衝突型加速器)の略で、世界でおそらくもっとも有名な加速器施設である欧州原子核研究機構(CERN)の中の白眉に相当する加速器です。
CERNは、その名の通り、原子核の研究を目的として1954年に設立されました。スイスとフランスの国境にまたがる領域に位置し、欧州各国から研究者が集まる一大拠点です。
LHCが2008年に稼働するまではLEP(LargeElectron-PositronCollider)という加速器が活躍していましたが、より高いエネルギーを目指すためにLHCが建設されました※1


※1 エネルギーを高くする動機の一つは、クォークや他の素粒子の研究を進められるようにするためです。一般に、衝突する粒子の運動量が高いほど、調べられる長さスケール(ド・ブロイ波長)が短くなり、より細かい構造を調べることができるようになります。
また、電子の代わりに陽子を使うことで、有限の大きさの加速器でエネルギーを高めることができます。
なお、CERNにはLHC以外にも多数加速器があり、反粒子や原子核・原子の実験も行われています。

LHCには4つの衝突点※2があり、それぞれに検出器が作られています。
ヒッグス粒子の発見に大きくかかわったATLAS・CMS、および重イオン衝突に着目するALICE、そしてボトムクォークが絡む稀崩壊事象に着目するLHCbという、4つの検出器があります。

※2 LHCでは陽子をある方向と逆方向に周回させ、充分にエネルギーが高くなったところで衝突させます。この時の周回軌道と周期を精密に制御することで、ちょうど決まった位置で衝突するようにしています。

「検出器」とひとえに言っても、衝突型加速器で使われるものはとてつもなく大規模です。衝突点をほぼ全包囲するように、検出する粒子に応じて何層も検出器のブロックが巻かれています。粒子を加速する真空管は地下に埋まっているので、地下深くに巨大な建造物が埋まっているようなイメージです。



これは、私が大学院生だった当時、LHCに見学に行ったときの記録です。

<チューリッヒからジュネーブへ>


当時修士課程一年生だった私は、チューリッヒ近郊のポールシェラー研究所 (PSI) に滞在し、中性子EDM実験※3に参加していました。ALICE実験の先生にCERNを見学させてもらえることになり、週末を利用してジュネーブへと向かいました。

※3 中性子の永久電気双極子能率を精密に測定する実験です。陽子加速器を鉛標的に衝突させ、それを極めて低いエネルギーに冷却した後に、強い電場の元でスピンがどのように応答するかを調べます。当時の私のプロジェクトは、環境磁場の変動や非一様性を監視するために使う、セシウム原子磁力計を、レーザーを使って評価することでした。


入り口には謎のモニュメントと、ホールのようなものが


スイス国鉄の急行列車は、すべて牽引式で運行されており、客車にモーターがないため、とても静かで快適です。さらに、景色も「アルプスの少女ハイジ」のように雄大なため、車窓を眺めるだけで癒されます。
ベルンを境に、車内放送がドイツ語からフランス語に変わります。
スイスは公用語が4つあり、どの国と国境を接しているかによって主要な言語が変わります。
夕刻にジュネーブ駅に到着。チューリッヒと同様にターミナル駅ですが、チューリッヒよりも混み合っているような印象でした。


「アルプスの少女ハイジ」のようなスイスの景色


<CERNへ>


翌朝、見学のためCERNへと向かいます。ジュネーブ駅からCERNの入り口までは路面電車が通じており、簡単にアクセスできます。加速器施設は郊外にあり、公共交通機関でアクセスしにくいことが多いですが、CERNと理研は例外です。
まず、LHCのコントロール室を上から眺めます。広い部屋に無数のコンピューターが並んでおり、たくさんの人が協力して実験が成り立っていることが実感できます。壁際には酒瓶がずらりと並んでおり、何かの節目にはその場で祝杯を挙げるのでしょう。

続いて、車に乗ってALICE実験の拠点に移動します。
検出器も多数の部分からなっているため、こちらはこちらで独立にコントロール室が存在します。LHCの状態を確認しながら、測定を進められるようになっています。地下に向かって広くて深い穴が掘られており、検出器本体のほか、他の実験室なども入っています。

昼食はCERNの食堂でいただきます。
「CERNの食堂は美味しくない」というのは日本人研究者の間でよくネタになる話ですが、確かに日本の通常の食堂のレベルの高さに改めて感心しました。当時滞在していたPSIはドイツ語圏で、食文化もドイツ語圏と似ているため、ジャガイモとソーセージとチーズが変わりばんこに出てくるようでしたが、それに比べるとCERNはよりバラエティー豊かでした。

午後は、Antiproton Decelerator(AD)の研究者に、反粒子の実験施設を案内してもらいました。陽子と陽子を衝突させると、陽子に加えて反陽子を生成することができます。この用途にはLHCほどのエネルギーは必要ないため、Proton Synchrotron(PS)と呼ばれる、より低いエネルギーの陽子加速器を用います。ここで作られた反陽子を減速して実験に使えるようにするのがADの役割です。減速された反陽子はイオントラップに捕獲し、物質と反物質を直接精密に比較する研究を行っています。
この分野はもともと日本、特に東京大学の貢献が大きく、今では複数の実験グループが隣同士で切磋琢磨しながら研究を進めています。

<帰路>


チューリッヒへの帰りの途中、レマン湖沿いの小さな街モルジュで途中下車します。ここは、作曲家ストラヴィンスキーが一時期住んでいた別荘が残されており、現在もホテルとして営業しています。地元の人で賑わう湖畔や歴史的な建物が並ぶ街を通り抜けながら、新旧ヨーロッパの文化を感じた日でした。


レマン湖


<おまけ>


スイス留学中に泊まったホテルのドアノブ。回しても開く気配がない!



プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)

1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。

7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。

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