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「悪魔の証明」は数学的にはどうなるの?(悪魔の証明を数学的に証明することはできるの?)<前編>ーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」㉛


悪魔の証明


「悪魔の証明」という法学用語があります。土地や物品の所有権をめぐる訴訟において、過去の記録をさかのぼって所有権の存在を証明することがあまりにも難しいことに由来するようです。現在ではより解釈が拡大し、論証することが不可能か極めて難しいことについて言うようになりました。実際に、冤罪や相続問題といった問題が起こることからも、事実の立証はしばしば悪魔の証明に陥ることが見て取れます。

悪魔の証明を応用(悪用)した論法が、いわゆる「立証責任の転嫁」です。これは立証すべき仮説を提示しておきながら、相手に悪魔の証明に相当するような反証を求め、証明が不可能であることを応用して自説が自然に立証されたと主張する、いわゆる誤謬です。そして、残念ながら、この論法は日常にありふれています。



このように、悪魔の証明に持ち込まれた場合、ツンデレ展開に持って行くことで不当な負けを回避することができる場合があります。え、絶対にそんな展開あり得ないって? それは証明できるのですか?

数学の証明との違い

さて、「証明」という単語が入っていると、まるで数学の文脈で用いられる「証明」と関連付けられるかのように思われるかもしれません。
しかし、「UFOが存在しないことの証明」(悪魔の証明)と「2乗して2になる有理数が存在しないことの証明」(数学の証明)は、根本的に異なります。それは、「存在する」という概念が異なるということです。
数学的対象物は、例えるならばプラトンが定義した「イデア」に相当するものであり、この世に実在しうる個別の事象を極限まで抽象化したものです。「りんごを2個買う」「人が2人いる」という個別の事象はこの世に実在しえますが、「2」という数字そのものは目で見たり手に取ったりすることはできません。数学は逆に、「りんごを2個買う」「人が2人いる」という個々の事象を扱うことはできませんが、「2」という抽象的な概念なら扱うことができます※1

※1 「『一つ100円のりんごを2個買ったとき、合計金額はいくらでしょう?』という個々の事象の問題だって数学で解けるじゃないか」と言われるかもしれません。しかし、これはあくまで「一つ100円のりんごを2個買う」という事象を抽象化して、「100」と「2」という数字と、「掛け算」という演算に昇華しているだけであり、それ以上の意味は持ちません。実際の買い物では、「一つ100円のりんごを2個買おうと思ったが、そういえば明日から出張だったことを思い出し、多くても1個しか食べきれないので、1個だけカゴに入れた。しかし、値段表示をよくよく見ると、ふたつまとめて買うと3割引きになると書いてあったので、ついついもう一つカゴに入れてしまった。」のように、必ずしも「100」と「2」だけで事象を特徴づけることはできません。

「UFOが存在する」の場合の「存在する」は、実際にこの世に実態として存在する、すなわち「実在する」という意味になります。これは物質還元主義的に言えば、「物質として存在する」ということとも捉えられます。つまり、金属の円盤のような乗り物が空を飛び回っていれば「UFOが存在する」と言えますし、逆に宇宙の隅々まで探し回ってそのようなものが見つからなかったとしたら、「UFOが存在しない」と言えます。なぜ「UFOが存在しないことの証明」が悪魔の証明になるかといえば、実際に宇宙の隅々まで探し回ることが現実的にできないからです。逆に、「2025年12月31日の日本時間15時から16時の間に、巣鴨駅構内にUFOが存在しない」ことは、実際にその時間に現場で見張っていれば、これは証明することができます。

後編>につづく


プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)

1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。

7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。

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