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銀河鉄道999という哲学

アニメの最終回が観たくて、16歳の私はバイトを辞めた。

あれは、高校1年生のときだった。当時、父の事業がうまくいかず我が家の家計は苦しかった。運動系の部活動をしていた私は、試合の交通費や用具代をマックのアルバイトで賄おうとしていた。

立川駅から少し離れた盛り場にあるマクドナルド。隣に場外馬券場があり、夢破れた男たちがフィレオフィッシュバーガーを頼んでいった。部活帰りの中高生はポテト単品、ホストやホステスはビッグマックセットが多かった。

シフトに入っていない日は帰宅時間が早い。テレビをつけると松本零士先生の「銀河鉄道999」が再放送されていた。古臭いタッチだが丁寧な描写と色鮮やかな宇宙空間に心が躍る。何よりもメッセージ性の強い内容に高校生ながら感動した。

主人公の少年・星野鉄郎が機械の身体を手に入れるため、謎の美女メーテルと銀河超特急999で宇宙を旅する。宇宙版の鉄旅だ。停車していく惑星での出会いと別れを繰り返すうち、少年の心が揺れ動いていく。貧富の格差や紛争を寓話的に描くことで、「大宇宙で本当に必要なものとは何か」を松本先生は視聴者に問いかける。

23時過ぎ、最寄り駅から自転車を漕ぐ。学校に隠れてコソコソ働いて、疲れて家へと帰る。道中の夜空を見上げて思った。「おれは何のために働いているのだろう」。自分のための旅が、いつしか皆の想いを背負った旅へと転換していく鉄郎の姿に、私は哲学を見た気がした。

アニメが最終回を迎える頃、アルバイトを辞めた。遊ぶには足りないがクラブ活動をするには、じゅうぶんな額を稼いだ。結局、最終話は部活で見逃した。その後、奨学金を借りて大学を出て就職をし現在に至る。

私のなかの宇宙は今も広がっていて、まだ終着駅にはたどり着いていない。


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