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「デッドエンドの思い出」と、彼のブックカバーに寄せて

今更ながら2000年代に出版された、よしもとばなな氏の「デッドエンドの思い出」という短編集を読了した。

今更、と言いつつ、いつか誰かの言葉に自分が思い立ったタイミングで浸れるという読書という行為は、いつも新鮮な気持ちにさせてくれる大切な趣味のひとつ。また自分の中でブームが来てくれたことを嬉しく思う。

本を読むことで私は頭で旅ができるし、何気に自分が日頃作詞するものや、話す言葉にも影響して、他の人の視点までも実装されたように深みが増すような気がする。文字だけで表現される世界は繊細で、普段ならここまで描写しないであろう表現の豊かさに感服し、キラーフレーズのような言葉の数々に胸を躍らされる。

だけど私はどうしてか、ここ数年は本を読むことより自分の頭の中にある言葉のこびりついた隅々を、指でこそぎ落として物書きをしていた。それは早く作品を作らなければいけないという義務感や、何かと小さな日々の中で起こるにはあまりに大きな事象に圧倒されていたからだろうと思う。活字を読むと、他の事柄や文字まで引き出されては頭を過ぎってすぐに眠くなってしまっていた。

そうして、ふかふかの真っ赤なハリスツイードのブックカバーに読もう、読もうとして一年ほど置き去りにされたのがこの小説。


あぁそう、このカバーは私が初めて付き合った学生時代の彼からのプレゼントだ。

…よくそんなものを今だに持っているなと気持ち悪がられそうだけど、私よりもはるかにセンスの良かった彼からのプレゼントだったし、何より本を読むのが好きな私にとってはとっておきの物だった。

当時、恋愛小説を読むことにハマったのがドラマでみた山本文緒氏の「ブルーもしくはブルー」という作品が印象的だったことがきっかけで、このブックカバーをもらったのもその頃だ。表紙のデザインも美しく、またこの可愛らしいケースに代わる代わる新しい本を入れていくのが心地よく、ますます本を読むのが好きになった。それからもう何年経ったかわからないけれど、ずっと大事にしていたからか壊れることもなくこれだけを使い続けている。別に、彼には何の未練もないのだけれど。

「デッドエンドの思い出」は、そんな彼のことをふと思い出させるようなこの恋愛短編集の最後のお話。小説のあとがきには「これまで書いたもののなかでいちばん私小説的な小説ばかりです。」
「これまでに書いた自分の作品の中で、いちばん好きです。」と締められている。以前から何作か彼女の作品を読んでいたけれど、何か特別な熱感があって、似たような経験をそっと映してくれるようなこのお話が、私も一番好きだと思えた。

当時の彼とは色んなことが、男女のそれら全てが初めてだったから、細かいことが思い出せないいい加減な私でもよく覚えている。付き合うことになった経緯から別れることになった理由まで。

特に別れた時のことは鮮明で、もうこんなに一生の中で好きだと言い寄られることもないだろう…というくらい、あれだけ好きだとか、卒業してもずっと一緒だとか言い続けられていたのに、学校が変わればさっさと幼馴染みとやらに出逢ってしまったらしい。それを言い訳にか泣きながら電話で「新しく好きな人ができてしまったから、別れてほしい」と言われたのだった。

私はあっさりと「それは仕方ないね」なんて言って、すぐに電話を切った。本当に急に呆気なく、終わりを泣きながら懇願され、私が悪いことをしたかのように向こうでワンワンお涙されて、本当に泣きたいのはこっちの方だったけれど、色んな意味で気が引けてしまいそうする他どうしようもなかった。

若いながらに2年そこそこも付き合っていて最後に顔を合わせることもなく、ほんの2〜30分のやり取りで。情もなく、冷たくあしらわれたの…最低だよねとか、メールの文章だけで寄越すなんて酷いよね、とか言いふらしたい気持ちだったのに。フラれた本人は涙すらも、僅かに証拠も跡形も残さずにほんの一瞬で終わってしまった。

花の女子大に進学 “してしまった” 私は、この気持ちはすぐに紛らすようなことも出来なさそうで後に鬱々としていたんだっけ。心にぽっかり穴が開いて、それからのことはあまり覚えていない。いなくなってから穴の周りの柱がひしひしと軋んで崩れていったことだけ。今頃思い出して書いてみて、まぁ良くある愛だの恋だの、という気持ちの反面、自分のこんなどうでもいい些細なことへの記憶力を可笑しく思った。今となっては、自分で作った曲の歌詞ですらも完璧に覚え切れないのに。だけど、少なからず今の自分の考えや言葉を作ってくれている大事な思い出になったのだろうとその頃を尊く思った。実際にその頃に感じたことを歌にもしている。当時は若さ故、素直過ぎる彼を悪者にしていたが、きっと本当は自分の慢心から彼の心が離れ始めていたことも分かっていた。永遠など続かないから恋が輝き美しいのだ、ということも。
衝撃の反動は、自分の言動のプロセスにくっきりと刻まれているものだ。

「デッドエンドの思い出」は、まさに学生時代から交際していた婚約者に裏切られたからこそ出逢えた、他人を受け入れることや、景色の美しさ、季節の彩なんかを美しく描写している。失って、何者でもなくなった自分が一皮剥けた真っさらな気持ちで、またその思い出を胸に仕舞い生きていく。新鮮な気持ちを取り戻してまた日常へ向かう人の生きる力強さもそこにはある。

読み終わってから、初めての彼との記憶を以前に思い出した頃よりも更にあたたかく、真綿のように愛おしく感じた。ずっと悲しい過去は、こんな気持ちにして私を立て直すために、一度突き放して遠くへ飛んでいき、待ち続けてくれているのか。そう思えば今の自分を痛めていることすらも、いつの日かそんな風に思えるような、人生の旨味になるのかもしれない…なんて前向きに捉えられた。

もう一度、その頃の気持ちに恋をしたかのように儚く、だけどあったかくさせてくれた「デッドエンドの思い出」

読み切った後、もしかしたらブックカバーもこの小説を私に読まれずにずっと抱きしめていたかったのかもしれないな…とすら思えてくると、何だかカバーから外してしまうのが少し寂しい気持ちになり、表紙の面を優しく摩ってやる私がいたのだった。

それはまるで、自分の心を撫でるように。


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