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あなたの顔なんて見たくない(ヨルシカにおける「匿名性」についての考察)

お久しぶりです。
note書く書く詐欺をして1年近く経ちました。

ベボベとKANA-BOONとの対バンに行った時の感想も、
「流浪の月」の実写版を見て、原作と比較した考察も。

色んな事を感じた1年でしたが、
思い返してみると薄い記憶が残っているだけで
どのような心境で、どのような衝撃を受けたのか
きちんと思い出すことはできません。

そんなことを考える日々の中、
1月24日 ヨルシカ LIVE 2023
大阪城ホール公演に行ってきました。

ライブ終了直後にもツイートしましたが、
本当にただの音楽を聴きに行くのではなく、
映画のように洗練された作品を魅せられている、
また一方で舞台や演劇のような、リアリティのある、
感情をすべて吐き出したような気迫のこもったパフォーマンスで
本当に見る人が引き込まれるような公演でした。

武道館公演がまだ終わっていないので、
公演の中身には触れることはできませんが、
以前からヨルシカを聴いていて感じている、
匿名性」について、自分なりの考えを話していきます。


作り手側が、音楽をより多くの人に対して聞いてもらえるようにする
一つの手段として、何らかの匿名性を加えることが
挙げられると個人的に感じています。

例えば、誰もがうらやむような、大金持ちの美男美女が
自身のコンプレックスについての曲を歌っても、
それほど多くの人の心には刺さらないだろうし、
場合によっては曲の中身さえ見られずに避けられてしまうことも
想像に難くないでしょう。

そういった点で、ヨルシカは
素顔を見せないという方法で匿名性を保っています。

ヨルシカの楽曲はしばしば"文学的"と評されることが
多いような気がしますが、そのように感じさせる要因として
実はこの匿名性がかなり大きいと感じています。

小説を読むときに、誰しもその物語の主人公像を頭の中で、
自然と想像していると思いますが、まさにそれです

どんな表情で、どんな人が、どのように歌っているのかは
曲を聴く人の数だけ生まれている。
それによって歌詞や曲に込められたメッセージが、
届きやすくなっていると私は考えています。


(※余談ですが、"声の匿名性"を追求したのが「赤い公園」なんですよね。

津野米咲さんは、石野理子さんの声を次のように評しています。

誰でも自分を主役にして聴くことができるというか。匿名性を感じるんだけど、真似しようとすると、誰もできない。そういう記名性の高さがあるという、不思議な現象が起きてる

確かにそう言われてみると、理子さんの透き通った透明に近いあの声は、
誰の声にも似てないように感じられますよね。)


以上が、私の思うヨルシカにおける「匿名性」の活かされ方の考察でした。

今回言及した以外にも、匿名性を秘めているアーティストの方は
他にも思い当たるかもしれません。

この記事を読むあなたの好きなアーティストは、どうでしょうか?
どんな匿名性が秘められていますか?
その匿名性はどのように活かされていますか?

そんなことを考えてみると、
そのアーティストのことを、より一層好きになれるかもしれませんね。

それでは。

百笠 双世


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