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ストア派哲学(ストア哲学)とは

ストア哲学は、古代ギリシャとローマ時代に発展した哲学の一派で、その中心的な教義は「自己の内面にあるものだけが真の幸福をもたらす」というものです。
ストア哲学は、人間の理性が宇宙の理性(ロゴス)と一体であると考え、その理性に従うことで人間は自己を超越し、不変の価値を見つけることができると主張します。

ストア哲学の主要な思想家には、ゼノンクレアンテスクリュシュッポスエピクテトスセネカマルクス・アウレリウスなどがいます。

ストア哲学の主要な教義

  1. 自己の内面にあるものだけが真の幸福をもたらす:ストア派は、外部の事象や物質的な成功は幸福を保証するものではないと考えました。真の幸福は、自己の内面、特に自己の理性と道徳性に基づいています。

  2. 理性と道徳性:ストア派は、人間の理性が宇宙の理性(ロゴス)と一体であると考えました。したがって、人間は自己の理性を用いて道徳的な行動をとるべきであり、それが最高の生き方であると主張しました。

  3. アパテイア(無動心):ストア派は、人間が自己の感情に振り回されることなく、理性に従って生きるべきだと主張しました。これは、人間が自己の感情をコントロールし、外部の事象に動じないことを意味します。

  4. 宇宙の法則との調和:ストア派は、宇宙は理性的な法則に従って運営されていると考えました。したがって、人間は自己の行動をこれらの法則に合わせるべきだと主張しました。


ゼノン(Zeno of Citium)

紀元前334年から紀元前262年まで生きた古代ギリシャの哲学者で、ストア派哲学の創始者として知られています。彼はキプロス島のキティウム出身で、その教えはアテネのストア(柱廊)で行われたことから、その学派は「ストア派」と呼ばれるようになりました。

ゼノンの教えは、人間の理性が宇宙の理性(ロゴス)と一体であるという考えに基づいています。彼は、人間は自己の理性を用いて道徳的な行動をとるべきであり、それが最高の生き方であると主張しました。また、ゼノンは「アパテイア(無動心)」という概念を提唱し、人間が自己の感情に振り回されることなく、理性に従って生きるべきだと主張しました。

ゼノンの著作はほとんど現存していませんが、彼の思想は後継者たちによって引き継がれ、発展していきました。

エピソードとしては、ゼノンが哲学者となるきっかけが興味深いものです。伝えられるところによれば、ゼノンはもともと商人で、ある航海中に船が難破し、アテネに漂着したと言われています。そこで彼は書店に入り、ソクラテスの著作を読んで深く感銘を受け、その店主からソクラテスの弟子であるクラテトスに会うよう勧められました。その結果、ゼノンはクラテトスのもとで学び、哲学者となる道を歩むことを決意したとされています。

このエピソードは、ゼノンが偶然にも哲学と出会い、その後の人生を変えるきっかけを得たという点で興味深いものです。また、ゼノンが商人から哲学者へと転身したことは、ストア派哲学が「自己改善」や「自己の内面にあるものだけが真の価値」という価値観を重視する背景を示しています。

クレアンテス(Cleanthes)

古代ギリシャのストア派哲学の重要な思想家で、ゼノンの後継者としてストア派の学派を引き継ぎました。彼は紀元前331年から紀元前232年まで生き、その大部分をアテネで過ごしました。

クレアンテスは、ストア派哲学の基本的な教義を継承しつつ、自身の解釈と思考を加えてそれを発展させました。彼は特に、宇宙の秩序と目的についての理論を発展させ、全ての存在が理性(ロゴス)によって統一されているという考えを強調しました。これは、宇宙が一種の生きた存在であり、その全てが互いに関連し合っているというストア派のパンテイズム(全て即神論)の観念を支えるものでした。

クレアンテスの著作の大部分は失われてしまいましたが、彼の「神への賛歌」は現存しています。この詩は、神(宇宙の理性)への敬意と、全てが神の意志に従って運命づけられているというストア派の教義を表現しています。

クレアンテスの哲学は、後のストア派哲学者、特にエピクテトス、セネカ、マルクス・アウレリウスに大きな影響を与えました。彼らはクレアンテスの教えを引き継ぎ、それぞれの時代と環境に合わせてストア派哲学を発展させていきました。

クレアンテスが哲学を学び始めたのは既に40歳を過ぎてからと言われています。それまで彼は水運びの仕事をして生計を立てていました。しかし、彼は哲学に強い興味を持ち、働きながらでも学び続けました。その献身的な姿勢がゼノンに認められ、彼の後継者となったという話は、ストア派哲学の中心的な価値観である「自己改善」や「自己の内面にあるものだけが真の価値」を象徴しています。

クリュシッポス(Chrysippus)

紀元前279年から紀元前206年まで生きた古代ギリシャの哲学者で、ストア派の第三代の学派長です。彼はゼノンとクレアンテスの後を継ぎ、ストア派哲学を大いに発展させました。その貢献は非常に大きく、彼がいなければストア派は消えてしまったかもしれないとまで言われています。

クリュシッポスは、ストア派の教義を体系化し、特に論理学において重要な貢献をしました。彼は命題論理の先駆者とされ、複雑な論理的推論を分析するための方法を開発しました。これは後の哲学、特に中世のスコラ学や現代の論理学に大きな影響を与えました。

また、クリュシッポスは道徳哲学においても重要な業績を残しました。彼は、人間の行動は運命によって決定されていると主張しつつも、自由意志の存在を認めるという難しい問題に取り組みました。彼は、運命と自由意志は両立可能であると主張し、これは「互換性論」と呼ばれる立場の先駆けとなりました。

クリュシッポスのエピソードとしては、彼が非常に多作な著述家であったことが知られています。彼の著作は700以上にのぼったと言われていますが、残念ながらそのほとんどは失われてしまいました。しかし、彼の思想は他の哲学者たちの著作を通じて部分的に知ることができ、その影響力の大きさを示しています。

エピクテトス(Epictetus)

エピクテトスは紀元50年から紀元135年まで生きた古代ローマのストア派哲学者で、彼の思想はストア派哲学の中でも特に影響力がありました。彼は元々は奴隷で、その主人エピアフロディトスはネロの秘書でした。エピクテトスはその後解放され、哲学者となりました。

彼の教えは、自分がコントロールできるもの(自分の意志や反応)とコントロールできないもの(他人の行動、自然現象など)を明確に理解し、自分の感情や反応をコントロールすることに焦点を当てることで、人生の困難に対処する方法を提供します。彼は「我々がコントロールできるものとできないものを知ること」が重要だと述べました。

エピクテトス自身の著作は残されていませんが、彼の弟子アリアノスが彼の講義をまとめた「語録」や「エンヒリディオン(手引き)」が現存しています。これらの著作は、ストア派哲学の教えを実践的な形で表現しており、現代でも多くの人々に読まれています。

エピソードとしては、エピクテトスが奴隷出身でありながら、その後解放されて哲学者となったことが挙げられます。彼は自身の困難な境遇を乗り越え、自己の内面に向き合い、自己の感情をコントロールすることの重要性を説きました。これは、ストア派哲学の中心的な価値観である「自己改善」や「自己の内面にあるものだけが真の価値」という教えを体現しています。

また、エピクテトスは身体の不自由な人々に対しても、自分の心と精神は自由であるというメッセージを強く説きました。これは、物理的な制約にもかかわらず、自己の内面の自由と平和を追求することの可能性を示しています。

セネカ(Seneca)

紀元前4年から紀元65年まで生きた古代ローマのストア派哲学者で、同時に政治家、劇作家でもありました。彼は特に道徳哲学において重要な業績を残し、人間の幸福は外部の事象ではなく、自己の内面、特に道徳的な生活に基づいていると主張しました。彼の著作には「自然についての問題」や「幸福な生活について」などがあります。

セネカはローマの上流階級出身で、若い頃から哲学と修辞学を学びました。彼は政治家としても活動し、ローマ皇帝ネロの家庭教師や顧問を務めました。しかし、ネロの暴政に対して次第に批判的になり、最終的には陰謀の一員としてネロによって自殺を命じられました。

セネカの生涯は、彼の哲学と深く結びついています。彼は自身の著作で、人間の幸福は外部の事象や物質的な成功ではなく、自己の内面、特に道徳的な生活に基づいていると主張しました。これは、彼自身が政治的な成功と物質的な富を手に入れながらも、それが必ずしも幸福をもたらさないことを経験したからかもしれません。

また、セネカは自身の死についても哲学的な視点から考えました。彼は自殺を命じられたとき、その状況を冷静に受け入れ、自身の死を哲学的な視点から考えることで、死を恐れずに受け入れることができました。これは、ストア派哲学が人間の感情をコントロールし、自己の内面に向き合うことの重要性を強調していることを示しています。

マルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius)

紀元121年から180年まで生きた古代ローマの皇帝であり、同時にストア派哲学者でもありました。彼は「哲人皇帝」として知られ、その治世はローマ帝国の最も安定した時期の一つとされています。

彼はストア派哲学を深く学び、その教えを日々の生活と統治に活かしました。彼の著作「自省録」(または「自己対話」)は、彼が自己の内面に向き合い、自己の感情をコントロールし、道徳的な生活を送ることの重要性を強調したものです。この著作は、彼が軍事遠征中に書かれたとされ、個人的な思索や自己啓発のためのノートのようなものでした。

エピソードとしては、彼が皇帝としての職務と哲学者としての追求を両立させたことが挙げられます。彼はしばしば戦争や政治的な危機に直面しましたが、その中でも彼はストア派の教えに従い、感情に流されることなく冷静に判断を下すことを心掛けました。

また、彼は皇帝としての権力を悪用することなく、公正で寛大な統治を行いました。彼は貧困層のための救済策を導入し、奴隷の権利を改善し、教育の機会を広げるなど、その統治は公正さと人道主義に満ちていました。

これらのエピソードは、マルクス・アウレリウスがストア派哲学の教えを、ただ理論的に学ぶだけでなく、日々の生活と統治に具体的に適用したことを示しています。彼の生涯は、哲学が個人の生活だけでなく、社会全体にもポジティブな影響を与えることができるという、ストア派哲学の理想を体現しています。




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