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法華経:五百弟子受記品第八(部分解釈)【立花大敬先生による】

五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)第八

地球人の未来形
(あらすじ)
その時、富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし/プールナ・マイトラーヤニー・プトラ)は、仏から素晴しい教えを聞き、また、大弟子たちに次々と授記されるのを見て、心の奥底から喜びがフツフツと湧き出してきて止まりませんでした。そして、思わず座から立ち上がって仏のみもとにゆき、礼拝合掌して、やや退いて立ち、瞬きもせず仏様をジッと見つめながら考えました。
『私たちが仏様に出会えたのは何と大きな幸せだろう。仏様は生ある者たちの様々な執着の傾向を見抜いて、それぞれに応じた(三段階の)教えを説いて、私たちが、対象に執着することによって落ち込んでいる、それぞれの牢獄から解放して下さる。
ただ、仏様だけが私たちの心の奥にあって、自身ですら忘れてしまっている本願(いのちの本当の願い、天命)をご存知であり、私たちを本来の道に引き戻して下さるのだ』
その富楼那の想いを感受した仏は弟子たちに告げられました。
「君たちよ、この富楼那をごらん。私は常に、すべての弟子たちの中で、彼こそが説法(仏の教えを分かりやすく人々に解説するコトバの御用)の第一人者だと褒め讃え、君たちもそうだと認めてきたであろう。
しかし、富楼那は私のもとでだけ説法の第一人者なのだと思ってはならない。彼は、過去九十億の仏のもとでもやはりコトバの御用を勤めて第一人者であったのだ。
彼は本当は菩薩であり、空の悟りを得ている。だからこそ、コトバにこだわりが無く、自在柔軟に、対象と時と処に応じた適切なコトバを次々と繰り出して、人々の心の傷を癒し、なぐさめ、元気づけ、人生の再出発へと鼓舞することが出来るのである。
しかし、自分自身はあえて一段低い声聞のみすぼらしい姿を現わしており、それによって、高い教えに耐えられない人、弱い立場の人を安心させ、自分たちにもやれるはずだと自信を持たせて、彼らとともに歩み、少しずつ彼らの心境を高めてゆき、強くしてゆくという、気の遠くなるような困難な道を、あえて選択しているのだ。
また、この富楼那は、私を含めた過去七代の娑婆世界の仏たちのもとでも、やはり説法第一であった。また、私より後の未来の娑婆世界の仏たちのもとでも、やはりコトバの御用を続けるであろう。それが彼の本願(天命)だからだ。
さて、彼はこのように生まれ変わり、死に変わって努力を続け、最後にやはり、この世界(地球世界)において、法明(ダルマ・プラバーサ)という名の仏となるであろう。
その法明如来が、地球上に創造する仏国土と、その時代の地球人の特徴をこれから述べよう。
(1)その時、この地球上には分裂した国というものはなく、地球全体で一つの国となっているだろう(すでに国家という発想がなくなっている)。
(2)七宝の大地となっており(大地に汚染がなく無垢清浄で、実り豊かであること)、山や谷や溝がなく、手のひらのごとく平坦であろう(差別や貧富の差の意識すらない平等社会が実現している)。
(3)七宝に輝く高楼が立し、人々はその中に住むであろう(意識を高く上昇させることが出来るようになること)。
(4)多くの天の宮殿が上空近く見られるようになり(地上世界が進化して天上昇のレベルと接近すること)、人間と天人たちが普通に顔を合わせ、対話交流するであろう(天上界や他の星のハイレベルの住人と魂の振動数がシンクロするようになるので、お互いが存在を認め、対話できるようになる)。
(5)男女の区別がなくなり、肉体性が希薄となるので、性交というものがなくなり、肉体による妊娠、出産(胎生/たいしょう)ということがなくなる。空中から忽然と出現するという形で、必要に応じて地球上に誕生する(化生/けしょう)であろう。
(6)肉体性が完全になくなるということはないが、光明身でいることが普通となるだろう。
(7)想いの焦点を目的地に合わせることによって、空間や時間を自在に飛行するであろう。
(8)金剛身(病や怪我を寄せ付けない、バリアで覆われた身体)となっているので、衣服を着ることがなくなるが、その裸の身体(肉体も光の体も)は完全な美を体現したものになっているであろう。
(9)また、この時代の地球上は、他の生物のいのちを絶つことによる栄養摂取(食事)というものが必要なくなるであろう。彼らの生存に必要な糧は、坐禅の悦び(禅悦食)と学びの喜び(法喜食)から得られるだろう。

[大敬先生《しあわせ通信》第8集:法華経講義(P112-115)]

法華経原文(訓読文)
号をば、法明如来・応供(おうぐ)・正遍知(しょうへんち)・明行足(みょうぎょうそく)・善逝(ぜんぜい)・世間解(せけんげ)・無上士(むじょうし)・調御丈夫(じょうごじょうぶ)・天人師(てんにんし)・仏世尊といわん。
(1)(2)その仏は、恒河(ごうが)の沙(すな)に等しき三千大千世界をもって、一仏土(いちぶつど)となし、七宝を地となし、地の平(たいら)かなること、掌(たなごころ)の如くにして、山陵(やま)・渓澗(たに)・溝壑(みぞ)あることなからん。
(3)(4)七宝の台観(たかどの)は、その中に充満し、諸天の宮殿(くでん)は近く虚空に処し、人と天と交接(きょうしょう)して両(もろもろ)ともに相見ることをえん。
(5)諸(もろもろ)の悪道なく、また女人(にょにん)もなくして、一切の衆生は皆、もって化生(けしょう)し、婬欲(いんよく)あることなからん。
(6)(7)大神通(だいじんずう)をえて、身より光明を出して、飛行すること自在ならん。
(8)志念は堅固にして、精進と智慧あり、普く皆、金色にして、三十二相をもって自ら荘厳せん 。
(9)その国の衆生は、常に二食を以てせん。一には法喜食(ほうきじき)にして、一には禅悦食(ぜんねつじき)なり。


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