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「卒業式も出ず、制服もつくっていない」小6で不登校した私が高校進学に挑戦しようと思えた理由【全文公開】

 「不登校経験は私にとって『挑戦の原点』だった」というのは、小6で不登校を経験した富良野しおんさん。富良野さんの挑戦心は、不登校を通してどのように育まれていったのか、執筆いただいた。(新連載「私にとっての不登校」第1回)。

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 私にとって不登校の経験は「挑戦の原点」だと思う。小学6年生で不登校になってから約3年半、私は学校へ一度も行かなかった。入学式も卒業式も出席しなかったし、制服もつくらなかった。不登校になった直後はそれなりに罪悪感を感じていた。しかし、両親や周囲の支えのおかげで、比較的穏やかな不登校の日々をすごせたと思う。

 そんな健やか不登校ライフを送る私に訪れた壁、それは高校進学だった。中学3年生の年、フリースクールの同級生から「みんなは高校どうするの?」と聞かれ、ハッとする。「そうか、私は高校をどうするか考えなければいけないのか」。その日から進学という2文字が私の頭に渦巻いた。

 不登校になった私が、学校へ行く意味はあるのだろうか。何度も考え、結果、私は通信制高校へと進学した。毎朝7時に起きて、電車に乗って通学する毎日。文化祭委員をしたり、放課後に友だちと遊んだり、テスト前に焦って一夜漬けで勉強をしたり。ほどよく真面目に、ほどよくサボりながら3年の学校生活を終えた。

 私が高校へ進学したのは、挑戦をしてみたかったからだ。将来のために安定がほしかったわけでも、今までの遅れを取り戻したかったわけでもない。不登校で一度ボロボロになった自分が、もう誰とも関わりたくないと心の底から思ったことのある自分が、学校という場所を今どう感じて、どこまでやれるのか。自分で自分を試してみたかった。

 挑戦したいという価値観を持っていたことは、高校生活において大きなメリットになったと思う。人間関係の難しさや勉強の壁に当たっても「私は高校に挑戦をしにきたのだから、失敗やうまく行かないことがあってあたりまえ。大丈夫」と思うことができたからだ。うまく行かないことが前提、だからこそ挑戦するのだと自分の軸を保っていられた。

 不登校をしなければ、きっと私のなかに「挑戦」という価値観は芽生えなかったと思う。不登校のときのつらさに比べたらこれくらいは大丈夫、あのつらかった時期を乗り越えてきたんだからある程度のことはやれる。そう思えたからこそ、これまで自分が本当にしたいことに挑戦してこられた。やっぱり、不登校は私の挑戦の原点だ。この挑戦する心はこれからも私の人生を豊かにしてくれると思う。

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