名古屋工業大学 社会共創企画室

次の時代を突き抜けるオープンイノベーションで、価値と未来をつくりだすことを目指しており…

名古屋工業大学 社会共創企画室

次の時代を突き抜けるオープンイノベーションで、価値と未来をつくりだすことを目指しております。 新しい価値の発見と創造を、新しいビジネスにつなげていく、そんなチャレンジをする人たちとともにビジョンの達成に向けたビジネスのストーリーを、バックキャスティングで一緒に構築しています!

最近の記事

価値観に触れる商材創造を目指すべき

ビジネスの場における価値化された技術と、それを価値と認識する価値観との関係を考えてみたい。技術が商材として社会に共有されている時、その商材の価値は、それを購入した個人の価値観に合致していることは論を待たない。ここでは商材を購入して頂ける顧客が存在していることを前提としているが、1990年代の我が国におけるガラパゴス携帯電話の隆盛と、iPhone登場後の滅亡とを考えてみると、ユーザーとなる者の価値観を見誤った技術の創り込みの方向性が見えてくる。 カメラ付き携帯電話の登場から、

    • 価値観と商材

      人がどのように価値と感じるか。その根源はその個人の価値観にある。価値観は人々の意思決定や行動に影響を与える。個人的な自己認識やアイデンティティ形成の骨格である。価値観はその個人が何を重要視し、信じ、望むかの精神的、倫理的な基軸から「個人に帰属して発生」する。これは生きている間に接する文化、教育、経験、人間関係性を含む社会的環境等によって強く影響を受けるから動的に変化し続ける。自らの価値観は内省によって明らかにされるのだが、これも人生における強烈なインパクトによって変容する。不

      • 三人称価値を目指すべき

        自らが「今」価値を感じたとするならば、期待されるのは今からその価値がどれだけ持続するかであり、それにお金を支払うかどうかを決めることになる。『自らに』価値をもたらすという感覚は、これからやってくる新たな期待感を充たす可能性に投資をしたくなる気持ちの表れである。両者の差異は極めて大きい。 価値の提供者においても、「今」の価格競争を勝ち抜こうとしている商材か、次世代、次々世代の機能をイメージして挑戦的に販売しようとする商材なのかの間には、極めて大きな微分値が存在する。自社が満足

        • 価値の人称と次元

          日本流の世代表現として、団塊世代、しらけ世代、新人類世代、バブル世代、ロスジェネ世代、プレッシャー世代、ゆとり世代と言われてきている。ゆとり世代は米国流表現のZ世代と年齢的に重なるところがある。時代の流れとして、コンピュータの登場で情報化が進化して、インターネットをはじめとしたIT技術が当たり前にある環境で育っているデジタルネイティブがZ世代である。それ以前の世代においては、IT技術が次々と進化していく様を目の当たりにしてきた。学ぶと新規ツールが登場し、それを学んでいる間に、

          満足と価値

          顧客に満足を喚起させることが出来るのだから、価値は能動的な意味合いを含んでいる。能動的な働きかけができるからこそ、受け手は価値観を起点にして現状の精神状態を、受動的な満足を価値と感じることに昇華させる作用を働かせることが出来る。 今現在、何かが満たされていない、足りないと感じている者に、それを満たす何等かを与えることが出来たならば、満たされていない者は自らの空白を充たしてくれた「こと」に対して価値を感じる。しかし人は満たされれば飽きを感じる我儘な生命体である。ここで申し上げ

          広報されるべきは価値

          技術を価値として買い手に受け取って頂くためには、その技術のみが発揮できる機能が、他の技術から生み出される機能と比べて優れている点を定量的かつ感性的に表現しなければならない。それが市場での需要を喚起し、評価を高める主要因となる為である。 加えて、優れた機能を有するだけではなく、実用的な形態に整え、サービスを含む商品として提供されなければならない。多くの顧客を獲得し、場を活性化させ、市場での価値を高める為である。この市場での価値を高めるためには、その技術には知的財産として特許の

          価値を技術化することがMOT

          MOTで思考することは、未来の場において、人々が心の底から幸福を感じることが出来る技術を想起し実現することである。即ち、技術を価値として人々に認識して頂き、そして活用して頂くことで、新たな幸せの有り様を見出して頂くことである。それでは技術を価値化するということは何を示しているのだろうか。商材を製造し、それを多くの方に購入して頂きたいと願う、その願った者にとっての一人称価値であろうか。 その見方も可能だが、商材を購入した者にとっての『価値』とは何かを考えるべきだ。購入した個人

          価値と「場」

          人間は自らの可能性を思考し、そして発展させることが出来、創造的な活動を通じて自らの思考力を成長させることが出来る。自らを活かす機会を創り出し、活かす場の整備を他者と協力して成し遂げ、更なる成長を目指し続けることが出来る。人間の思考の前提としてこれらを考えると、人間にとっての価値は、単なる生命や存在そのもののみでは無く、個々の尊厳や自由、幸福の追求、社会的関係性、そして創造性や自らの成長という要素を含んでいる。自らを活かす場には、自らのみが存在しているわけではなく、自らを活かし

          価値の連鎖

          比較用語であるから、価値はそれを唱える者にとっての「一人称」の用語である。広義に捉えれば「人間にとっての価値」と同義である。すると人間についても考えなければならない。民主主義国家においては、個々の人間は、自己実現や自己決定、そして自己表現などの権利を有し、個々の尊厳が保証されている。加えて、自分自身や周囲の人々の幸福を追求することが出来る機能を有し、その為の様々な権利や自由も獲得できる。社会的な生物であり、他者との関係性を築くことが出来、共同体や社会において貢献することが重要

          技術の価値化

          MOTで最初に語られる言葉は「価値」であろう。技術を価値化する。当たり前に語られる表現である。それでは価値とは一体何であろう。「価値がある」と言った時、それは比較用語として用いられていることに気が付く。他のものと比較して、何らかの指標において上位に位置づけられる理由がある「こと」に対して使われている。すると、価値とは絶対的なものでは無く、人の意識においてもたらされるものであるから、「価値」と語った人にとっての比較用語である。 同一の商材に対する取扱いの人依存性を見れば明らか

          管制高地に立て

          技術の進歩は破壊的イノベーションをもたらす。加えて、エレクトロニクスの進化や、地球環境保全が求められる世界的気運が高まり続けている。加えて、地政学的状況の変化の中において、今、目に見える技術が次の瞬間において、過去と同様の対価を獲得できる可能性はゼロと言って良い。技術創成の産業に関わる企業として、自社技術を過去からの延長ではなく、未来の有り様から自らを省みて、自らはどのようなカテゴリの中で技術を活かすべきかを見出し、どの様に技術を発展させることで競争優位性を獲得出来るかを考え

          技術を創造しないと・・

          我が国でMOTの大学院コースが立ち上がった2003年において、米国では「既に終わった学問である」とのレッテルを貼られていた事実がある。自社を成立させている、他社に対して優位性のあった技術を延命させ、その技術が成しえていることが対価を獲得している時間を長くしたいとの考えは、時代の変革を受け入れ、それに挑んでいく姿勢の海外においては旧態依然と捉えられるのは当然である。 改良改善こそが正義であって、革新を排除する思考においては旧態依然のMOTが日本に立ち上がったことは理解できる。

          MOTは進化していますよ

          MOTと聞いて「何の役にも立たない」と思われる方は多い。MBAも古くなった。旧態依然のMOTは、既に存在している自社の技術を、どのように延命させていくかに重きが置かれていた。技術が有する機能が、世界の進化によって生じる相対的に退化していく分を、マーケティングで補う思考であったことは否めない。自社技術を変化させないことで、設備投資を最小限に保ち、注文の獲得に注力する守りの思考である。 隣諸国から優れたものづくり提案が多数あり、我が国の中小企業が倒産していく事が問題となっている

          正当な対価のため

          近年、我が国でもベンチャー企業発信の商材が、クラウドファンディングという投資手法を活用して世に出てきている。「こんな場をこんなふうに変える」というアイデアを、買い手にビジュアルイメージを持たせて投資を引き出している。商材を獲得することで得られる楽しさを伝え、その楽しさで投資を引き出している。この投資対象こそが、今と近未来との幸せの微分値である。幸せを支える技術で正当な対価を獲得するために、どんな形態で顧客の手元に届けるか。そしてその素晴らしさを伝えていくか。MOTとは正に「技

          人材育成こそ

          MOTの根本的考え方は「社会が獲得できた『素晴らしい社会を支える技術』に、相当の対価を支払っている状態を実現すること」である。良品廉価を実現することではない。すると相当の対価を得ようと生産者が考える時「素晴らしい社会」をイメージして、それを実現するためにどのようなことの実現に寄与できる技術を作り込めば良いかを考える必要がある。将来の状態を想定して、そこで機能を発揮し、人々の喜びを喚起し、素晴らしい社会となっていくストーリーから、開発するべき技術の機能を決めていくことになる。技

          属人性とMOT

          日本の職人技は、ドイツ国のマイスターと比較されることが多い。我が国においても、社内マイスター制度を採用し、発揮できる技能に応じた給与が支払われている事例がある。有する技能に応じた人的尊敬が、技能の向上を後押しする。一方で、職人技を活用しなければ形作ることができない商材の経済的価値は、その技術を有する人材の雇用経費から算定されることになる。この状態ではMOTの思考は無用である。技術が社会にもたらす価値から価格を設定するのではなく、職人技という、神格化された「属人性」による他社と