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ぴよぴよ亡霊



 あれは確か小学校4年生頃のことだ。
 私はとある男の子 村上くんを見ると何故か無性に「ぴよぴよピヨピヨ」と言いたくなる衝動を抱えた。

 村上くんはクラスで後ろから3番目くらいに背が高く色白の痩せ型で、性格は優しすぎるくらいに温厚だった。暴れ回ったり喧嘩したり、なんてことは一度もない。どちらかと言えば静かで内向的なグループに所属し、学校の成績は下の方で、自分の成績も中の下の癖に、私はどこか彼を軽く捉えていたのだろう。冗談も通じないほどの真面目な村上くんの動揺する姿を見たくて仕方がなかった。
 そして、いつの間にか彼を見ると私の脳内で「ぴよぴよピヨピヨ」と何かが木霊し続けるのだった。

 最初にそれを実行できたのは、一緒に裏庭の落ち葉掃除の当番になった時だ。広い裏庭、生徒は分散しており、彼の周りに人気はない。絶好のチャンスだと思った。私はにやにやとしながら、正面から彼に近寄った。
「どしたん?」村上くんは、微笑みながらやって来る私に怪訝そうな顔を向けた。
 私はそれには答えず、まだまだ無言で近寄って村上くんの目の前に立つ。じっと彼を見つめた。10秒ほども見つめ合うと女子に慣れていない村上君は、色白の顔を一気に真っ赤へと変えた。頬だけを染めたのではない。顔全体、何なら首まで真っ赤になったのだ。
 私はその様子を見て、ますます面白く可笑しく、愉快で仕方がなかった。やっちゃえ。脳内で自分の妄想が背中を押した。
「ぴよぴよ」最初は控えめに、一度だけ言ってみた。
「え?」予想通り、村上くんはこの脈絡のない言葉に困惑して、裏声交じりの少し高い声をあげた。しかし彼は優しい。他の男子みたいにきつい言葉で突っぱねたりはしない。
 調子に乗った私は、更に、今度は少し大きな声で言ってみた。
「ぴよぴよピヨピヨ。ぴよぴよピヨピヨ!ぴよぴよピヨピヨぴよぴよピヨピヨ!」
 村上くんは「え! 何!? どしたん? いやいや何? なになに? 意味分からん」と後ずさる。
 大人しい村上くんが大きな反応を示している。嬉しい。楽しい。私はじわじわと距離を詰めてぴよぴよの呪文を唱え続けた。ますます村上くんの顔は赤くなり、遂に「やめろよ~」と背中を向けて逃げ出した。私は彼が少し、ほんの少しだけ笑顔だったのを目ざとく確認した。「ぴよぴよピヨピヨ!」笑顔満面で追い掛けた。
 急に追い掛けっこを始めた私と村上くんは、周辺の生徒の目にも入ってしまった。私はもう人目を気にしていなかったし、小学校ではそこまで珍しい光景でもなかった。


 このぴよぴよ欲求は、その後も村上くんに会う度に私の中に発生した。休み時間の廊下で。放課後の下駄箱で。たまたま同じだったクラブ活動で。私からわざわざ会いに行ったりはしない。たまたま出会った時の遊びだった。追い掛けっこは飽きるまで続けられたのだ。

 村上くんは何度繰り返しても、顔を真っ赤にして照れながら逃げてくれる。私は絡むという行為が、楽しくて仕方がなかった。(相手の本心は分からないが、虐めではないと信じたい)。
 当時、私には他に好きな人がいたし、決して村上くんが好きだったわけではない。しかし、なぜか村上くんにだけ無性に絡みたくなったのだ。これはもうぴよぴよ亡霊に憑りつかれていたとしか考えられない。




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