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迎えた横顔(中編)



 おっちゃんの車で家の前に着いた時、どっと男どもの笑い声が外まで漏れてきた。親父達が組合のメンバーで集まって酒盛りしているのだ。子ども達のはしゃぐ声も聞こえる。クリスマスはとっくに過ぎて、新年を祝うには早すぎる時期。
「こっちも変わらねぇよな」
 何でもない日でもどんちゃん騒ぎは親父達の日常だ。あまりの騒音で、俺が玄関のドアを開けても誰も気付かない。こんな田舎の人間は、都会では生きれないだろうなとつくづく思う。親父達がまた変な企てをしていませんようにと俺は祈った。隼斗と澄美の婚姻とその絵を俺に描かせるアイデアは、この組合の集まりで盛り上がって生まれたのだ。逃げ続ける俺にきっかけを与えようとしたのは理解する。しかし、俺は納得が出来なかった。何よりも苦痛を与えただけだった。
「俺の気持ちは無視かよってさ」
 俺は親父達の居間を避けて、キッチンへと向かった。


「ただいま」
 キッチンでは母と組合の嫁さん達が、追加の酒とつまみを用意して、立ったまま談話していた。ほとんどはたわいもない愚痴だ。
「おかえり!」「久しぶりねぇ」「まぁ龍平君格好良くなってぇ」と嫁さん達皆から、一斉に温かく歓迎される。
 母と、澄美の母親の土屋さんが傍に来た。俺は思わず自分の手を握り締めた。冷えた汗で指が滑る。胃はぐるぐると軋んだ。決して、さっき飲んだ酒のせいではない。
「絵を見に行ったって聞いたわ。どう? 立派に飾ってあったでしょう? さすが美大生ね。ほんて素敵な絵で……龍平君。本当にありがとう。澄美子は幸せ者です」
 そう言って土屋さんは目を潤ませた。母は「良いのよ……良いのよ」と土屋さんを慰める。

 母は親父の組合の関係で土屋さんと知り合った。あまり大きくないこの村で俺の母と澄美の母、それぞれ近い時期に妊娠し、家も近所で、互いに支え合って生活してきた。母親同士も親友だし、俺と澄美は赤ん坊の頃からの親友だった。村の皆は、俺と澄美が付き合っているとずっと思っていた。
 俺はあの絵を描いてから特に、土屋さんとは会いたくなかった。何と答えて良いか分からない。思考は真っ白に固まって、後ろめたさで上手く息が吸えない。
「あ……ありがとうございます」かすれた声を絞り出すので精一杯だった。
「お墓には寄ったの?」
 土屋さんは気を使って明るい調子の声で俺に聞いた。気を使わなければならないのは俺の方だ。
「……暗くなってしまって」俺は首を小さく横に振った。
「そう。でも東京に戻るまでまだ日はあるのよね? 良かったら顔を見せてあげてね」
 土屋さんは優しい表情で笑った。温かいキッチンの空気がしんみりとした。隣の居間の騒音だけが響いて、俺はまるで別空間で浮遊しているようだ。
 俺は声にならない声で「すみません。すみません」と繰り返した。動けなくなった俺の背中を「良いから」と母は押す。
「あっちで話してきたら? 子ども達も会えるの楽しみにしてたよ」

 母に助けられて、俺は仕方なく居間へと顔を出した。別空間から急激に音量が上がり、現実へと引き戻される。
 組合の親父達は、俺の顔を見ると「よ! 待ってました。美大生!」と大袈裟にもてはやした。俺に逃げ場はなかった。
 奥に座っている俺の父親は、酒で陽気に大喜びする親父達を横目に「男が美術なんて」と呟いた。厳密には声は埋もれて聞こえなかったが、何百回と聞いたそのフレーズの表情と唇の動きは、俺の潜在にまで染み込んでいる。そして今回、新しく追加された言葉がある。

「アートなん良く分からんもんすてっから、統合失調症なんて良く分からん病気になるんだ。……弱弱しい」



ご清覧賜りまして誠にありがとうございます。
是酔芙蓉ぜすいふよう


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