ベトナムで産まれて、2歳になった娘

今月でめでたく、無事に2歳になった娘ちゃん。あの出産からもう2年とは、本当に早い。思い返せば細かいことは色々あるのだけど、彼女がお腹から出てきてから、2年。
感慨深い気持ちになって、自分もまだまだ母親2年か、もう、2年か、と思いながら彼女の誕生日を迎えました。

3月下旬産まれの彼女は本来は4月2日産まれの予定で。10日以上早く陣痛がきて、身体を疑ったのを今でも鮮明に覚えています。

出産の痛みは忘れる、という話も聞くけれど、全く忘れられないくらいなんとも言えない、痛い時間でした。

出産のタイミングで日本から来てくれていた親と、翌日から病院に宿泊できなくなる夫と一緒に過ごしたくて、出産翌日に退院。

病院の近くに住んでいることもあり、出産から12時間後には彼女を抱っこして家に帰宅しました。

そのため母乳マッサージも、彼女のお風呂の入れ方も、授乳の仕方も分からないことだらけで退院。
おむつの変え方も、彼女の抱っこの仕方さえままならない。ついでに本当に夜泣きは凄いし、ベトナムの水でミルク作っていいのか、暑すぎないか、眩しくないか、とか。その日から自分の人生は彼女第1に変わりました。

彼女は生後すぐに粉ミルクを飲ませたら、身体中に発疹がでて、涙が出るくらい焦りました。いや、実際に出ていた、ね。

こんなに小さい子をどう扱っていいのやら、と途方にくれる日々。母親が数週間来てくれたので助かりましたが、不安で不安でいっぱいの毎日でした。朝起きると呼吸してる?!と飛び起きたり、2時間おきに授乳したり、1日10回くらいおむつ変えたり、抱っこしたりで24時間は終了。

世の中のママたちはこんな毎日を送ってきていたのかと、心から尊敬しました。
1か月くらいすると、出産で負った身体の傷の痛みがなくなり、本調子で動けるようになりました。

4か月目くらいからシッターさんに来てもらい、その数週間後に職場復帰。

彼女と離れた最初の日は、なんだか幸せで、1人ってこんな楽なことだったんだ、と実感しました。好きな時間にトイレに行ける、ご飯が食べられる、歩き回れる、こんな幸せないよーーー。と心で叫んで出勤していました。

その生活が安定してきたと思ったら、夫が日本に帰国し、娘と2人、ベトナムに残ることになりました。

やっと落ち着いてきた仕事と、ベトナムにきてこのまま帰国したら何しに来たのかと後悔すると思ったので、残る決断をしました。彼女が1歳2ヶ月のときでした。

シッターさんに相談したら、私がついてるよ、と言ってくれて本当に心強かったのを覚えていて、彼女が居てくれたから、1人だけで娘を守らなきゃ、というプレッシャーが少し緩和されていたと思います。

彼女が産まれてから2年、1日も自分の体調不良で寝込んだことはありません。自分でも自分に感謝するくらい、有り難い。寝込んでいる場合ではない、という気持ちが大事なんだと改めて思って、日本の実家で暮らしている夫が風邪で寝込んだという話を素直に心配できないときがかなりありました。笑
病は気からだろ!!みたいな口うるさいおばさん発言を繰り返したり、いいね、寝たい時に寝られて、という嫌味を言ったり。笑

子育ては他の家庭とは比べられないけど、彼女が寂しい思いをしないように、仕事終わりには彼女と一生懸命遊びました。話しました。

仕事復帰後も職場のトイレで搾乳して、なるべく母乳を与えるようにしました。すぐに出なくなってしまいましたが。。

子育てって本当に自己満というか、自分でどこまでやるか決めるだけで、どうにでもなるから、ラインを決めるのが大事なのだけど、どうしても万全に出来ていない否定感だけが残ってしまう毎日。

仕事も頑張りたい、頑張らなきゃ。

もっと色々な人と交流したい。
せっかくベトナムにいるんだもん。

娘との時間もほしい。
パパいない、昼間シッターさんに預けていて寂しい思いさせてしまっているかも!

とか考えると優先順位を付けるのが本当に難しくて。

欲張って、その結果全てが中途半端で、イライラして負の循環が続きました。

それは今でも変わってないけど、、。。

でも少しずつラインを決められようになって、自分らしい、無理をしない彼女との距離感をつくれるようになってきました。

2年経って、やっと。
不器用なんです、ほんと。

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1人で海外で育てるということ、今はまだ珍しいことかもしれないけど、今後は同じ境遇の人が出てくると思っています。今でもベトナムに数人、仲間がいます。

旦那さんの仕事の関係に振り回されるなんて、ごめんだ、という人、本当はもっともっといっぱいいて、泣く泣く仕事を辞めて転勤についていったり、そこから主婦になったり、そんな人こっちでもいっぱい会いました。
日本ではバリバリ働いていたのに、という駐ママさん、いっぱい会いました。

娘と2人で暮らしていると言うと、周りの反応は本当に人それぞれだけど、何をそんなに頑張るのか、と言われることもあったりしたけど、頑張っているというより、自然の流れだし、夫の帰国が私の帰国となるのが当然という世の中の流れはまだまだそりゃ変わらないな、と。
こんなに女性も働いて、同じほどの給料だとしても、きっと夫優先なのではないかと思います。

仕事を辞めてきた駐ママさんも、周りの理解があればなー、という人もいました。

今でこそ色々な家族の形があって、それぞれだけど、日本の世間はそんなに甘くない、と日本の幼稚園事情を調べていて思いました。

前途多難だなー、と思いながらも、こうして彼女の2歳を迎えられて、安心しています。

誕生日当日に発熱して初めて幼稚園から電話がかかってきたときは、どうして今日なのーーー!と予定していたパーティのキャンセル電話をしながら心で叫びましたが、予定不調和、子供はそんなの分からないですからね。

仕方ない、仕方ない、と思いながら即席自宅パーティでシッターさんと3人で当日はお祝い。

その日の夜中日本から駆けつける予定だった夫を空港に迎えにいくのもやめて、彼女の看病。

翌日は有給をとって久々夫とのデートだ!の予定も彼女の看病日へと変わり。
なんだか、そうゆうことになるとは予想していなかったので、ちょっとショックだったけど、娘に会いにきた夫はそれでも良かったのかな、と思いながら3人で過ごして、夫は早々と日本へ帰国。

夜中に1人で過去の写真を見ながら、備忘録もつけて、とりとめない文章をつらつらつら、書いてみました。


娘の成長を心より願いながら、明日も朝起きた時に、毎朝恒例のハグハグタイムを楽しみに、おやすみなさい⭐


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