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「体重を載せた演芸」をしよう

これはハリウッド(ザコシショウ)の言葉です。ヘッダ画像をお借りしています。

ぼくはかつてハリウッドを上げたり下げたりしたことがあったのだが、今回また上げたく思います。それはあちこちオードリーの終始真面目なハリウッドのことだ。

めっちゃ最近なんだけど、納言の女のひとの番組に出た時は、終始ふざけ倒していた。えっまじでそこでいちいちふざけちゃう!?話全然進まねーけど??みたいな。いくら収録だからってめんどくせーなおい、制作の連中なんてさっさと帰りたいんちゃうかぐらいのことを思ったのでした。

ぼくはオードリーにおいて、下記のように決して若林を否定したり嫌いだったりってことはないんだけど、いまいち有吉の位置が邪魔すぎてそこに行けない感じ含めて愛嬌があると思っている。出たての頃はままある春日がうぜーから若林はかわいいねみたいな風潮には真っ向から反対しており、あまのじゃくでした。つまり春日を評価して若林は何気取ってんだよ、うぜえな、と。

だけど今や春日のカスっぷりは絵に書いたようであり、若林が常々どんだけ春日に切れ散らかしたいかが手にとるように解るようになってきた。いつもひとりで台本を考える若林こそオードリーのブレインだと。

そしてこの回の若林は、そんな(ぼくからの)下馬評がどうでもよくなるぐらい裏方に徹していた。それぐらいハリウッドが本気だったわけですね。

ハリウッドにしてみれば当該納言の番組でみせたように、とにかくふざけ倒す変なあぶねーおっさんに見られるべき、というのがセルフ・ブランディングなのだろうと思われる。それは今でもかわらないし、実際あちこちに出た際は、どんな打ち合わせやオファーがあったのかは知らんが終始徹頭徹尾クソ真面目に答えていたわけです。

つまりハリウッドといえばR1の実績もあればR1で審査までしている、またSMAの同郷に別ジャンルで優勝した西村瑞樹のコンビがおり、

漫才で優勝した錦鯉がおり、

ハリウッドは彼らの相談役でもあった。世間から見れば、かのコンビたちを育てたといっても過言ではないのではなかろうか?世話役、女房役、なんでもいい。そしてぼくは彼らの関係を微笑ましく思う。

そんな芸事(げいごと)に邁進し、さらに極めんと相当の努力をしているハリウッドであれば、上から目線で適当なアドバイスを後塵に与えてもおかしくはなさそうなものの……冒頭の言葉を述べたわけです。奇をてらったこととかしたくなっちゃうかも知れないけど、心からやりたいことやんなよ、と。

こういうのがしてえんだよな、という思いが乗った芸をしていれば、その芸に「体重が乗る」と表現した。これはハリウッドが独自の経験で培ったひとつの答えである。ぼくみたいななんちゃってマーケターぶった野郎が「あーハイハイ!フロー理論ね、チクセントミハイね」と形式では知っていてもお前そんなんできてんのかよと傍から言われてもおかしかない理論について、ハリウッドは自己の体験で学び取ったのでしょう。言葉の重みが違う。体重の重みの話題だけに……という言い方は気持ち悪いのでしたくないのだがしてしまった。

つまり重みとは正当性、説得力であり、好きなことのためならどんだけ負担だろうと、どんだけ時間がかかろうと、終わってしまえば「あれ!?もう終わったの!?」となるあのZONE体験のようなものだ。チクセントミハイは結果だけグラフとかで示してくれたけど、マジで自ら体感して身にまとうこの男が恐ろしい。

だからぼくは上記リンクでZAZYをけなした……けなしてはいないかも知れないが、準決勝と決勝のZAZYの雰囲気を見たときに、ぴくりとも笑わないハリウッドを見て……でもそれがZAZYにとって体重が乗る行為なのだったらソレは違うのか?とハリウッドに聞きたいのだが、審査員としてのハリウッドにはおそらくそうは見えなかったのかも知れませんね。ああ、お前置きにいっちゃったね、と。こればっかりはあの場に居合わせてZAZYの芸を見たハリウッドの心情を覗き込まねばわからない。

ハリウッドとはどうやっても話が通じない、異常なおっさんだと思われることこそが今後のブランディングとして適正なのだろうが、このようにクソ真面目なことを言う。それを若林は営業妨害かもしんないんスけど……といちいち断っていたほど真摯に答えていたわけです。

実際ぼくも、万が一自分の車運転で事故ったら怪我も命もその後の芸事人生も一瞬で終わるからやらない、だとか……そこまで言っちゃって大丈夫か!?となることばかりだったのだが、これこそがハリウッドが見いだした新しい芸でもあるのだと思い知った。

つまりこれまでのブランディングが成功しており、あからさまに変な奴であり、話が通じない、客に理解してもらうだの笑わせてエンターテインメントを提供するだの、女にもてるだのではなく、自分のためだけに芸をやるようなどこか「終わった奴」とみなされていた時期は今おわり、まさにハリウッドの次のステージ、新しいブランディングが始まっているのだと推察する。

つまりこのようにクソ真面目に芸を話す人という視線で見られることだ。そしてあんまそういうのやめてくれやwというようなこれまでの「ええやんええやんおじさん」でいたいんだろうな、という周囲からのギャップをあつめ、といいますかUGC的に周囲にはそのギャップを感じさせることに成功しつつある。

だってこんだけ芸歴があれば嫌でもそういうこと話せちまいますもんね。で、それをマジで語っちゃうとクソ上から目線のクソ寒い連中になっちゃうので、このような形で実行することで自分も下げずにさらに照れ屋さんという可愛いキャラクタをキープし続けられるという……ハリウッドとは、ハリウッドザコシショウというキャラクタのプロデュースに尋常ではないパワーを注ぎ込んで成功に導いた男なのだ。

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