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地球人のリーダーを目指すワケ②

※3580文字縛りの推敲なし即興文です。

「地球に恩返しをする」

何をする事が地球に恩返しをする事になるのだろう?

環境に対する取り組みはわかりやすい。地球を一つの人体にとらえるなら、外科的なアプローチが環境問題だと僕は思う。

ただ、それだけでは本質的には解決しないと僕は直観していたので、追求していく。

漠然とこの先にやっていきたいことは、地球に恩返しをすること。
それを明確に言語化したのは、
27、8歳の頃だったと思う。

その当時は、個人事業主でネット物販をやっていて、仕事のパートナーとのご縁で千葉の新松戸に住んでいた。

2年くらいほとんど一人で黙々と動く時間が多くて、
この時、人生2度目の長い内省モードに入っていた。
ただ、仕事に関しては利ザヤを稼ぐという数字の移動でしかなく、ネットなので人との出逢いもなく、僕にはやりがいを感じられなかった。

ただ、この時期は、今までの自分を浄化していくとても大切な時間だったし、
30歳で意識が覚醒していったのもこの新松戸時代があったおかげだ。というか、全部つながってるから全てのおかげなんだけど、

この時に出逢ったみんなから受け取ったもの、書き出すとキリがないな。愛に溢れたオープンで氣持ちのいい人が多かった。

この時に、スピリチュアル的な感覚を持っていたり、そういうの違和感のない人に多く出逢った。

今までは封印しないとダメだった自分の感覚を素直に出しても、普通に受け止めてもらえる。

こんなに楽で氣持ちのいいことはない。僕が僕のまま、僕らしくいられる。僕がおかしかったわけじゃないんだと思った。

自分らしさを取り戻していった時間だったと思う。

新松戸は、知り合いが仕事のパートナー以外誰もおらず、はじめての関東進出だった。

来てからの2年くらいは新しいご縁を自分からは開いていかなかったが、自然食品店やカフェなどに顔を出すようになると、

僕のキャラもあってか
あれよあれよと友達や知り合いが増えていって、その街で100人くらいの顔が想い浮かべられるくらい人とのつながりが生まれた。

だからこそ、色々な出来事や出逢いがありすぎて記憶の時系列がごっちゃになり
どういった経緯だったか忘れちゃったんだけど、

仙台で風車を立てようとしていた若者の集まりのNPOに応援したい氣持ちで、なんちゃって参加していた。ほとんど何もできてない。

3.11の後に
千葉の新松戸は放射能の影響がとても出てしまってホットスポットとなっていた。

そのNPOと他のNPOが主催するイベントで、メインが亡くなられた登山家の栗城史多(くりきのぶかず)さんの講演だった。
エベレストに5回挑んで、指を10本切断。オンライン配信登山をして、みんなに勇氣を与えたいとその道の半ばで命は尽きた。生きてたら、僕の1つ2つくらい歳上の方だったと思う。

「一歩を越える勇気」という本を出されていて、講演前に読んだし、サインをもらった。

彼の想いや生き方に、魂が熱くなった。伝わってくる波動。

命に、生きるという事に本氣で向き合い、それで人々にいい影響を与えたいと願う純粋な想い。

今でも、強く記憶に残っている。
サインをしてもらってる時のほんの少しの時間のやりとりだが、

人というのは目と目で、
魂で一瞬で分かり合えるんだと感じた瞬間だった。これは当人同士では分かる。

サインをもらってる時は他のみなさんと同じような感じで、僕は本の感想で僕がしびれたなと思う部分の感想を伝えた。

そしたら、目の輝きとギラツキ
魂そのものの輝きが目から溢れてくる状態になって、こう言ってくれた。

「お逢いできて光栄です」
と嬉しそうに言ってくれた。

それが、社交辞令の返信トークじゃないのは僕が一番感じた。

その一瞬に人は感動し震えるのかもしれない。その時とその感触は、魂の同志の再会のような懐かしい感じがあった。

彼は北海道出身だったし、僕は青森の血筋。北の地の縄文民族、国津神、過去のどこかで交わっていたんだろうなと僕は感じている。

それで、NPOもそうだし、
栗城さんもだし、若くして活動している人たち、他にも本当に様々な事を様々な形で、先輩方も含めて学び教わり、自分でも考えた。

新松戸時代の当時から、食や健康への関心が出てきていた。

ストイックな高校のボクシング時代は、フェザー級で57.0キロ以下。体脂肪は5%
試合前は、3食カロリーメイトとか、ウィダーインゼリーとか今では食べないようなものだった。

坂本家は、レトルト添加物ジャンクファミリーだったゆえ、僕はそれが当たり前として育っていた。

そして、幼少期からのアトピーもあり、保湿剤ステロイドもたくさんぬっていた。新松戸時代、放射能の影響か、アトピーが悪化して痒くてたまらなかった。

そうして、勉強して
荒療治のやり方で脱ステしました。2年ちょっとかかったかなぁ、地獄の苦しみでした。かゆさのあまりに何度発狂したか。
何度掃除機でこぼれ落ちた自分の皮膚を吸ったことか。
かゆさで寝れずに不眠症になり、毎日睡眠不足だった。

今ではアトピーだったのがウソのようです。

そう、それでボクシング時代からの反動で、そこからの酒を含む暴飲暴食は半端なく、

魂2人分だからこんなに食べるのか?と昔から食に関しては、よく食べるのです。エネルギーが足りなくて、それを食べて補給しようとするんだと思う。

それで僕は後にマックスで90キロくらいまで太るワケです。

大学を出て、少し夜の世界に
その後、友人の助けも借りながらはじめての就職活動。心の底から履歴書とかスーツとか、そういう文化好きじゃないです。

で、運良く100人の中から1人選ばれて、(結果もう1人同期が採用に)ナイト業界の広告代理店へ就職。ここでの3年半くらいもなかなかに壮絶な経験をさせてもらって、レベルアップしたと思う。

ただ、その代償として
心身を完全に蝕まれた。

食生活も、コンビニ、ラーメン、チェーン店など、今ではほとんど食べないものしか食べていなかった。タバコも吸いまくってたし。身体に悪いことしかしてませんでした。

それで、動悸がとまらなくなって、営業なのに電話に出るのが無理になっちゃって、精神科に通って薬もいっとき飲んだ。

ただ、そこまで追い込まれても
病院に来ているうなだれている皆さんをみて、

あ、俺この人たちとは違うわ。
ここまでは落ちてないと思った。

それで、こんなに苦しい思いをするのなら、同じ苦しみなら自分のやりたいことをやりたいと思って、会社を辞める事に。

ああ、色々と前提を説明しないと何でそう思うようになったのか、背景を伝えないと分からないだろうと思って、過去のストーリーの差し込みが多発しちゃってるけど、

即興文なのでこのままいきますね。

新松戸の自然食品店は、
何度か通るたびになんのお店なんだろう?と氣になっていた場所で、

仕事中に通りすぎていて
ある時に寄ってみたんだよね。

そしたら、そこのおかみさんが素敵な方で初対面なのに色々良くしてくれて、

今日ここのカフェで
絵本とライアーの弾き語りのイベントがあるから、予約制だったんですけど、当日でしかもあと30分後にはじまるから、

今からいっておいでと言われて。
なんかあまりにも真剣な感じで言われて、その時はその勢いでよくわかんないけど、これは行った方がいいやつだと直感してライブに向かったワケです。

そして、演奏者のライアーの男性と、僕以外はみんな女性という、

この頃から周りの友達に女性が多くなっていった氣がする。
僕は見た目いかつくて男性的なのですが、けっこう女性性の強さも自分で持っている氣がしていて、僕の魂のもう一つは姉になるはずの人のものかなと。

そのライブで僕はずっと忘れていた、幼少期の夢なのか記憶を思い出すのです。

ちょうどこの時期に、
世間一般で知られているような洗脳情報ではなく、

真実の情報や、信じていたことが実はそうじゃなかったんだとか、この世界の現実的な構造みたいなことをぼんやりと理解していくのと同時に、

目に見えない世界や感覚への探求も進み始めます。

自分の無知を様々と痛感していくわけです。そして、世界の幅も広く深くなっていく。

この時、僕を守護してくれているであろう何かや、天に応援されるような現象が次々と起こるわけです。

例えると、おみくじを引いたら大吉が10連続で出るみたいな、

目の前に選択していく答えが自分の意図とは関係なく自動的に現れてくるんです。

こんなにも事が運ぶ時はスムーズなのかと思いました。どれだけやってもダメなものはダメなのに。
これは、大いなる流れや働きがあるとしか僕には思えなかった。

それが神なるものだと思う。

このタイミングで、
江本勝さんの「水からの伝言」という絵本と、

自主上映の「神さまとの約束」という胎内記憶や前世の記憶を持った子どもたちのドキュメンタリー映画を観ることになりました。

つづく。

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