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僕が宗教をつくるとしたら

※3580文字縛りの推敲なし即興文です。

基本的に文章は自分のために書いています。
自分が書きたいから書く。アウトプットしながら整理する。
やりながら創っていく。

届く人には届くと僕は思っているので、ご縁のある方が読んでくれる事は意識して、
オナニーではなく、僕自身が自分らしく生まれ変わり、自分らしく生き続けていく過程をシェアすることで、たとえ1人でも同じように自分らしく生きていきたいと思っている人のヒントになったらいいなと、そんな氣持ちを持ちながらつづりますね。

僕たち一人一人が、世界そのものだから。
1人の生き方が、在り方が世界を創造し、変えていけるんだよ。
僕のセカイにお付き合いありがとう、今日も楽しもう!この美しいあおの星での経験を。

宗教をつくろうとしているわけではありません。
既存の宗教や、人の信仰心にとやかく言いたいわけでもありません。

アーティストとか、独自の世界観を持っている人の周りに人が集まるのは、宗教っぽい要素は紙一重であるかなとも思います。

良いとか悪いの話をしたいわけじゃなくて、

僕が地球にとって
地球人にとって
こうだといいんじゃないのかなぁというのを宗教っぽくイメージして考えたらこうかなぁっていう例え話みたいなもんです。

地球にとって良いというのは、
地球が美しい星として保たれて未来に続いていく可能性が高まると言う意味です。

宗教や何かにすがったり、
依存したいと思うのは、心が弱いわけではなくて、

使い方を知らないからなんだと思います。宗教というのは、心の使い方を説いているのだと思います。

人間は、不安や恐怖心やネガティブな感情などがやってくるとそれから逃れたいと思うものだと思います。

そこへ、これを信じれば救われるというものがあったり、また体感できたりすると、基本信じるし、お金を払ってでもその状態を欲するようになるかもしれません。

依存したくなります。

例えば悪徳?宗教的なものがあったとします。教祖が悪いようにも思いますが、信者も同じなんだと思います。

依存したい人と、依存させたい人でニーズがマッチするからです。
そこにお金が発生するかしないか。税金がかかるかどうかみたいなところなんだろうなと。

お金で解決できる人や、払いたい人は払って自身の精神の安定が手に入るなら払いたいですよね。

お互いにとって、ニーズがマッチするから全然OKですよね。

お金が発生しようがしまいが、根本的な心の幸せというか、平穏みたいなものは外からは手に入らないと僕は思っているので、自身の心のチューニングを保つ技術やクセ、習慣が必要になるんだと思う。

そこには、思考のブロック、心のブロック、両方外していくことは必要になってくるんだろうなと。

洗脳を解いていく、
洗脳デトックスと
心の傷を癒すみたいなことなのかなと。インナーチャイルドを癒すとか、トラウマを克服するとか、

とにかく内側の世界に突破口がある。

世界のゲーム設定を
初期設定から見直した場合に、

自身=自信=自神

なんだと僕は思っています。
ある意味これを信じている事が、僕の信仰心だと思います。

我は神なり。
というやつですかね。

自分自身が神なのに
それを信じていないという状況設定こそが、

それ以外の、外側のもの他者のもの依存したいものへと向かわせるものになるのではないかと。

話がちょっとそれますが、中村天風さんの本『心に成功の炎を』という本を10年ほど前に高校の友人が貸してくれた。

僕が割と目に見えない世界の話のような事を口にしていたら、なぜかピンときたみたいで、彼の親父さんが塾を経営していて、天風さんを好んでいたそうだ。

その本は定価12000円?くらいと本としては割と高価なもので、

その本の冒頭の天風さんの写真を初めて見た時に、何とも言えない衝撃が走って、いっとき天風会に通っていたし、墓参りにも何度か行ってる。死んだ後の人の写真なのに、何と言うのかな僕としてはエネルギーをとても感じたんです。

それくらい当時の僕に必要な事を当時の人として、僕の中では先駆者的に表現されていたと感じた。日本で初めてのヨギーニだとも言われてる。その頃の僕は、アトピーの苦しみも相当で、天風さんの影響で瞑想とかめっちゃやってた。

天風さんは、
「宗教じゃないと言ってる宗教」
とか言われたりしてるわけです。笑

ロックフェラーからのヘッドハンティングの話とか、満州で軍人として人殺ししてたとか、まぁ人として面白い魅力のストーリーをたくさん持ってる方だと思うし、当時はもっと学びたいなぁと思ってて途中で離れていったけど、

改めて今また学んでみたら
当時は理解できなかったものとかが、
きっと前よりも発見や氣づきが多そうだなとは思う。

天風さんは
「絶対積極」という哲学を説いているけど、
これが僕的には我は神なりで、
自分=神=世界
の一人一人の集合体が時空の概念超えてわかり得ない領域で絡み合ってんのがこの宇宙だろうなと僕は思っている。

霊長類って人はカテゴライズされるけど、霊って文字が入ってるのが面白いし、

万物の霊長の意。
霊の長(おさ)ってこと。
その自覚がないってことなんだと思う。本来はそのつとめというか、役割が人間には、地球人にはあるんだけど、万物の霊長の役割を放棄してませんかね?

人間の事だけしか考えてないんじゃないのかなと。万物とは生きとし生けるもの全ての事ですよね。

それの、霊の長ですよ。
地球人にはそれを取り戻す必要があると僕は感じています。

得意の脱線をしたので、戻ります。

僕が、宗教つくるとしたら

『依存させない教』
『依存しないで教』
『自立教』
『独立教』
『自神教』
『人間神化教』

的な方面かなと。
えっと、全部適当ですからね。笑

つまり、宗教って依存させようとする感じが僕は何かな〜と思っていて、

一人一人が神であれば
依存する必要がないわけですよ。

だから、一人一人の自立、独立を自分の可能性、役割に目覚めていくような教えをやると思う。

教祖は上に立つものじゃなく、
横一線で中心にいて
ハチとかアリとかが一つのコロニーで一つの生命体のような感じで、そのコロニーの調和を保つ役割をするのが教祖かなと。

発酵で例えるなら、腐敗に向かわない方向を司る役割の人みたいな感じ。

あと、啓蒙活動みたいな
宣教師みたいな、教えを説く人と信者との関係性といいますか、

一神教的なスタンスのものが僕はあんまり調和的に感じられないんだろうなと感じてます。

それだけが、唯一絶対的な。
確かに、宗教は表現や手段が違うだけで、根本の普遍の真理は同じで、どれも結果言ってることは同じになるんだと思うけど、

幹は同じなのに、枝葉の違いで争いあってるみたいな。

この枝こそが、絶対だ!みたいなね。

ワンネスじゃないけど、
大元はみんな一つの幹で繋がってるんだけど、

一枚一枚の葉や、実は別々でしょ。それが、一人一人の人間の違いみたいな感じ。ざっくり例えで分かりにくいかもだけど。

一つの世界観だけを広げていこうとする取り組みは、聖書を拡げていこうとする啓蒙活動に似ているといいますか、

キリスト教がどうだとかではなくて、別々の世界観が融合していくスタンスが好きというか、

それがやっぱり
やおよろずの神的な
古典神道的な自然崇拝なんじゃないかなと。

何で宗教に例えた感じにしたかというと、

僕が割と生まれつきなのか
弁が立つタイプなんです。

特に努力をしたわけでもないけど、話し出すとペラペラとツラツラと言葉が出てきて、

割と人が聞き入ってくれるような場面を今までにたくさん経験してきた。

多くの人前で話すこともひるまない。なんなら、やる氣になる。

小4でスポ少(野球)やるまでは、モジモジして物静か目な女の子みたいな少年だったんですけど。

今まで、何人かの人から
宗教やった方がいいとか、
教祖になった方がいいとか言われたりもしてきた。笑

それで、僕がいい影響、導きをしてもらえたと感じてた10年前の占いの占い師の方からは、

『あなたの前前前世、元祖は宗教家です』と言われたり。笑

有名か無名かは知りませんが、
有史のいずれかの時代で、教えを解いていた経験があるから、

今生でその能力が備わって生まれてくるのだと言いますから、
納得できる感はありました。

やっぱり、悟りとかこの世の真理や仕組み、法則のようのようなものへの探究、追求への意識の向かい方がかなり優先度高いので。

文字数があと少し。

それで、僕が日本の義務教育にこれがあった方が良いと思う教えが2つあります。

1つは、お金を稼ぐ力を学ぶもの。

もう1つは、自給自足を学ぶもの。

この2つが僕も含めて、日本人には圧倒的に足りていない。なぜなら、教えてもらう機会がないから。

この2つがあれば、会社や国に依存しなくても自立独立して生きられる。

この2つはどっちかじゃなく、僕はどちらもがベースに備わっているといいと思うんだ。

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