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32. キッチンペーパーとゴミ袋

 私は非常に忘れっぽい。
ひどい時は、昨日の記憶すら満足にないこともある。この物忘れの激しさは、年齢を重ねるにつれ激しくなっているような気もする。ある意味恐怖だ。

だからよく、‟今日買うもの”も忘れる。

この日の仕事帰り、私は‟キッチンペーパーとゴミ袋”を買いにドラッグストアへ向かった。

店内に入るや否や、買うものを忘れないように、頭の中でリズミカルに目当ての品を反芻して歩く。

キッチンぺーパーとゴミ袋♪
キッチンペーパーとゴ袋♪

その時、化粧品コーナーにふと目が留まった。

(あ、このアイシャドウ可愛いー!)

…………。

………………。

なんだっけ?


もはやこの忘れっぽさのレベルは病気かもしれない。
そっとアイシャドウを棚に戻し、考えてみた。私はいったい、ここに何を買いに来たのだろう。少なくともアイシャドウじゃないことは確かである。最近無駄使いはやめたのだ。(偉い!)

うーん、思い出せない。思い出せないけれど、とりあえずそのまま歩き出してみた。
商品を見て歩けば、そのうち思い出すのではないかと自分に期待をしたのだ。

しかし結局、この日は思い出すことができずに終わった。家に帰ってから、ああああゴミ袋がないいいいい!明日ゴミの日なのにいいいいいい!とジタバタしたのは言うまでもない。

だから私は考えた。
あ、これnoteに書こう。買うものをタイトルにしよう。これなら絶対忘れないぞ★(キラッ☆)

そう思って、さっそくスマホを取り出しタイトルを打ち込んで保存しておいた。こうしてこのなんとも無益なnoteが完成されたわけだが、後悔は何一つない。

その数日後、私は見事にキッチンペーパーとゴミ袋を手に入れることができたのだから。そしてこうして文章を書く習慣も果たせているのだから、ある意味一石二鳥である。

ただ、読者にとって有益か、面白みがあるかという点においてはマイナスであろう。一応ライターの端くれたるもの、それでいいのかと問われたらぐうの音もでない。

だけどきっと、毎回毎回有益さや面白みを追及していたらこのnoteは続かない。自分への過度な期待は重しとなって圧し掛かり、呪いのようになると思う。それで何も書けなくなるのは本末転倒だ。

私はライターとして、物書きとして、まだまだ未熟だ。
だからスキルや文章力を少しでもあげるために、こうして毎週noteを更新している。有益さや面白みを重視して、プロのライターを気取ってはいけない。だからこれでいい。私は私の進み方でいいのだ。

とはいえ、いつか大好きな作家である朝井リョウさんのような、爆笑を呼ぶエッセイを書きたいという野望も捨てきれない。もしその時がきたら、もう一度自分の物忘れの激しさをテーマにエッセイを書いてみよう。そして今回のnoteと見比べるのだ。

その時の自分がどれくらい成長しているか、今から楽しみでニヤニヤしてしまう。
まぁ仮に、そんな日が来たとしてもその頃にはもうこのnoteを書いたことなんて忘れているだろうけれど。

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