vrchatを一年やって思うこと

vrchatを始めて一年経った。この一年の間で俺は学生から社会人となり、後数ヶ月でそれも2年目へ突入しようとしている。

この前、別の人が書いたvrchatのnoteを見た。その人もvrchatを始めて一年経った所感を語っており、始めたきっかけや始めたことによる環境の変化を書き綴っていた。

自分の場合。というか大半の場合はおそらくあまり共感はできない内容だろうと思った。なぜならその人は一年間で様々なイベントや遊びを開催しているからである。

自分はと言うと、あまりvrchatにのめり込まなくなっていった。と言うのも、人がいないのである。

どうして人がいないのか。いや正確にはいるのだが、どうして仲良い人がいないのか。それはやはり、類は友を呼ぶというか(俺と類にされる奴らゴメソww)、自分と同じ「消費する人」が多いからだと思う。

vrchatは確かに遊びで溢れている。しかしながら、それを遊ぶ人もその方面でのモチベがないと遊べないのである。
ゲームワールドなんて1人で行ってもつまらないし、探索ワールドは1人はなんか怖い。リミナルスペース的で。じゃあ人がいたら遊ぶかというと、大体お布団に入っておしゃべりをするだけである。

別にそれが楽しくないわけではない。vrchatを始めて後悔した日は多分ない。だけれども、vrchatを始めてできた友達と喋るだけなら、別にvrchatが無くても良いのである。そしてそれは多分他の人にも言えてると思う。

また、自分も含めてそうだが、生きている限り、飽きや気分の変化は絶対に来る。先ほども話した「消費する人」なら尚更来る。

vrchatは作って、共有して、遊ぶゲームである。他のゲームは遊ぶだけで良いところをvrchatは作って、共有もしなくちゃいけない。普通に遊ぶだけだと1/3しか遊べない。
そして最近は世界で面白いゲームがたくさん出てきている。面白ければ日本語非対応なぞお構いなしでみんな色んなゲームをプレイしている。

そんな面白いものが溢れる世界で「消費する人」たる俺たちは一つのゲームに固執することなど出来ない。vrchatは主体性が試されるゲームなのである。今の俺の喋るだけの遊び方だったらvrchatはいらない。

vrchatを始めたおかげで楽しい友達ができた。その友達と遊ぶからvrchatは全盛期ほどやらなくなった。
おそらく陽キャたちがクラブで友達を見つけたように、俺はvrchatで友達を見つけることができた。というだけの話なんだなと思う。

vrchatを始めて一年が経った。一年経てば趣味趣向は変わるし熱意も下がる。しかし今日も一応vrを被る。

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