冷静になった今あえて、フェスの凄みを考える

5月4日にジャパンジャムに行ってきた。当日に日記を書こうと思ったけど語彙が死んで「やばい」「めっちゃすごい」みたいな感想しかなかったので今書きます。

初めてフェスというものに参加したけど、想像以上に興奮した。映像で見られる迫力の数十倍はあった。正直行く前までは(歌のクオリティは音源には敵わないだろうになぜあんなに大勢の人が集まって手を上下させているのだろう)みたいなことを考えてた。

行ってみてわかった。フェスはアーティストとともに空間を作るということなのだ。開会の挨拶で偉い人が「主役はお客さんの皆さんです」と言っていたように、フェスはアーティストを見るだけでなく、参加者も主体となってフェスを作り上げていく。客のボルテージと共にアーティストもテンションが上がっていく感じは、なるほど俺たちも主役なのかもしれないと思った。

また、何故手を上下させるのか?と言う疑問についてだが、これはそもそも疑問が間違いで別に手を上下するのが全てではなかった。目を瞑って縦乗りするもよし、遠くの方で横ノリするんでもいいのだ。それでも一体感を感じられるのだ。
人間にはたくさんの臓器や細胞があり、それぞれがそれぞれの働きをするように、フェスの参加者もそれぞれがそれぞれの楽しみ方をして良いのだ。その楽しみ方が幾重にも重なり、「フェスの参加者」と言う一つの生命体となるような気がした。
この一つの生命体という感覚がたまらなく心地よかった。隣の赤の他人が仲間に感じる。あの瞬間でのみ感じる最高潮の一体感はフェスならではの感覚だと思う。

アーティストの歌は音源の方が良い理論については、まあ確かに単純な歌の上手さとかは音源の方が良いかもしれない。実際に歌詞を間違えてしまったり、曲の入りがうまくいかずもう一回仕切り直す時とかもあった。でもそれが良いと思える。
言うなれば大きな文化祭と言えば良いだろうか。ミスも愛嬌と感じるし、逆に音源だったら絶対にお目にかかれないレアな瞬間と思える。
また、フェスは生なので、音源にはない良さが確かにある。それはMCだったりその日限りのアレンジだったり様々だが、生であるが故、より実在性を感じ取ることができ、今まである種ファンタジーのように一歩引いて享受していた「音楽」がレイヤーを1つ飛び越え俺たちの方に歩み寄ってくれる。これが「ライブ感」と言うのかはわからないが、この実在性が音源よりも人間らしさを感じることが出来て、俺たちの心に突き刺さるのだと思う。

フェスの凄みは「一体感」と「実在性」にあると思う。参加者みんなで楽しむことにより、何万人もの人が1つの生命体とさえ感じる一体感、またコンテンツとして外側から楽しんでいたものに直で触れるような実在性がフェスの醍醐味なんだと思う。

フェス。本当に楽しかった。誘ってくれた上に前泊まださせてくれた友達、本当にありがとうございました。今度手土産持ってきます。
楽しすぎて写真撮ってなかったけど、数枚は撮ったので以下に載せる。

レッドブルウォッカで乾杯。この日飲んだ酒はこれ一杯。後はフェスに酔ってた
サンセットステージ。夕方になると実際に日の入りが見える。エモい。
寄せ書きみたいな壁。ちゃんと俺も書いた。どこに書いたか当ててみてね

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