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対談:村上さんとかの井戸論

対談人物(F:俺、A:安部ちゃん)

A:お久しぶりですねえ。

F:そうだねえ。俺も定年にあたって引き継ぎとか事務処理とかなんやかやで忙しくてね。で、それらがようやく終わって時間ができると、「今は何もしたくない」気分になっててね。

A:ほとんどリハビリじゃないですか。

F:まあ、そんなところかなあ。だから今日は軽くね。井戸について考えているわけよ、最近。

井戸的な井戸

A:また微妙な題材ですねえ。病んでるのかな、この人。………井戸とか使ったことあります?

F:使ったことはないねえ。小学3年生の頃に住んでいた貸家は古くて、使っていない井戸が庭の隅にあったかなあ。あ、4,5年の頃住んでいたアパートの近くにも使っていない井戸はあったなあ。管理が杜撰で、覆いをずらして、石とか投げ込んでいた記憶があるわ。正規の使い方をした経験はないな。

A:で、今、井戸が気になる、と?

F:あのさあ、俺も村上さんとか一応読んできたわけよ。村上さんって、物語に井戸がちょこちょこでてくるイメージあるんだよな。ねじまき鳥とかノルウェイとか。こないだの騎士団長とかでも、「井戸的なもの」が出てきたよな(笑)。

A:なんで笑ってるんすか?

F:いや、「的」って、何か村上さん的だな、みたいな?まあ良いや。で、俺が同時に考えたのは、他の物語に出てくる井戸なんだよ。例えば、『リング』で貞子さんが出てくる井戸とか、お菊さんの井戸とか、落語の『ちはやふる』の井戸とか。

A:まあ井戸なんてありがちなメタファーでしょう。

F:雑な人間が雑に言えば、そのひと言で終わるけどね。

A:なんか感じ悪いなあ(怒)。

F:雑に言えば村上さんの井戸は、登場人物が自分の無意識を掘り下げる過程に同調しているんでしょ?主人公たちは「やむにやまれぬ内的な強制力」によって井戸の底に降りていき、その行為によって意識が変性する、的な。まあどこまでもメタな感じでしかないけどさあ。

A:そう言えば、村上さん井戸の水って、どーなってるんですか?

F:それ重要か?………全部の村上さん井戸を覚えているわけじゃないけど、乾いていたと思うなあ。濡れたり溺れたりっていうシーンは記憶にないんで。

A:なんで村上さんの井戸は乾いているんですかね?

F:そんなことは村上さんにでも聞いて欲しいな。俺は知らん。

A:急に放り出さないでくださいね。

F:うーん、水が溜まっていたら、登場人物たちが井戸の底で内省しにくいからじゃねえの?「ひえええ」って犬かきしたり、どーにかよじ登ろうと頑張ったりして、パニック小説になりそうじゃん。それにさあ、人物の内面の空虚さを表現するのに、「乾いた井戸」って、いかにもって感じしない?

A:まあ、「ひえええ」ってジタバタしている人物って村上さんっぽくないですよねえ。

F:彼らはそうやって、井戸の底で「さて、僕はこうして井戸の底についたわけだが、残してきたスパゲッティと猫が心配だ。いやはや」とか一生、言ってれば良いんですよ。

A:………嫌いなんですか?村上さん。

F:何言ってんだよ。俺は、ほとんど読んでるよ。ただ最近のは………、おっ、ヤバい、止めよう。そんなことより、村上さん的な井戸に対し、貞子さんとかお菊さんとかの井戸は?ってことを論じないといかんのだよ。

A:彼女たちの井戸って、水が溜まってますよね?

F:そうそう。だってさあ、彼女たちは「僕はふと井戸に降りてみた」なんて感じで井戸に入ったわけじゃないんですよ。暴力的に放り込まれるんですからね、そんじょそこいらの素人さんとは違うんですよ。

A:何の素人なのかは聞きませんが………。基本的に、放り込まれた彼女たちは死にますよね?大丈夫かなあ。

F:何が?

A:彼女たちが溺死して怪談が始まるとして、その井戸、使えなくなっちゃいますよね?普通は。

F:まあ、衛生上良くないよな、土左衛門入りの井戸って。でも貞子さんもお菊さんも事件的に井戸に放り込まれたからねえ。地域インフラとしての井戸の衛生管理なんて、犯人側でも深く考えずに放り込んじゃったんじゃない?保健所から怒られるパターンだな。

A:その前に警察沙汰でしょうけどね。その井戸、事件以降も使われていたんですかね?

F:どうかなあ。貞子さんの井戸は林だかの近くにあって、放ったらかし感があったよな。そんな場所に井戸があるか?ってツッコミはしないが。お菊さんの井戸は、武家屋敷だかの内部だったと思うんで、まあ「今後、使うな」はありか。

A:衛生面は置いといて、彼女たちは、水の入っている井戸に暴力的に放り込まれた、と。で、お化けになって戻る。

F:安易に言いたくないけど、溜まっている暗い水=無意識とか異界に通じるメタファーかなあ。

A:雑な話ですね(笑)。

F:(苦)本当になあ。暴力的に無意識に呑まれた女性たちは「お化け」になって戻ってくる。しかしこれって、本当に「女性」の物語なのかな?

A:違いますか?

F:溺死した女性に「意識」はないよね?村上さん井戸に入る主人公がのほほんと戻ってくるのに比べて。

A:幽霊の「意識」っすか?何だか自動化された怨念マシーンみたいな気もしますね。

F:井戸に放り込まれた人間に意識の連続性はない、としよう。死んじゃってるんでね。もしかしたらこれらの物語は、女性を殺害し、「お化け」に襲われる加害者側が主体なんじゃないの?とか思うんだよね。彼らは、どーでも良い女性を井戸に放り込んでるわけじゃあないよな?

A:そりゃあ貞子さんもお菊さんも、彼女たちにある意味執着していた男に放り込まれますね。

F:貞子さんやお菊さんって、言ったら、加害者にとっての「感情を注入する器」みたいなもんじゃないの?色々あって、それを井戸に放り込むってのは、「自分の精神の一部を見えないようにする行為」だ、と。コンプレックスと呼んでも良いか?あー、こんな用語使っちゃうと論理が安易な方向に流れる気がするけど………。処理しきれない何かを「見えないようにする」=「暗い水に沈める」。そういうのって、一時的には無化されたように見えても、結局は見えない場所で悪化するんだよ。

A:悪化した結果、お化けになって戻るって図式ですか?

F:安易だけど、そういうロジックかなあ。まあこの辺は決まりだな。で、翻って村上さん井戸はどーなんかね?

A:村上さんの場合、加害者も被害者も居ない感じはありますよね。執着とか恨みみたいな関係自体が存在しない。

F:井戸の底に水も溜まってないしなあ。

A:貞子さん井戸に比べると、村上さん井戸って、自己完結してる感じがしてきました。メタファーとしての無意識って言っても、貞子さんの井戸と深さが違う気がしますね。どっちが深いかなんて分からないけど。

F:うーん、貞子さんの井戸では、少なくとも加害者と被害者が存在して、言葉として正しいか分からないけど、社会性はある。

A:村上さんの自己完結井戸ってのは、時代ですかねえ?

F:時代というか、まあ、そーゆー人も一定の割合でいるってことじゃないの?あっ、思いついたけどさあ、村上さんの『女のいない男たち』ってタイトルも、そんな感じしない?

A:「執着する相手がいない」みたいな?

F:言い方が悪いが、村上さん井戸って、どーもヴァーチャル臭がしてくるんだよなあ。貞子さん井戸みたく、暗い水が澱んでいて、ごちゃごちゃした挙句の土左衛門が日々腐って、髪の毛が浮くっていう本寸法に比べると。

A:現代では、村上さん的無臭ヴァーチャル井戸にビビっと来る人の割合も一定数いる、ってことすよね。

F:あれ?それ、悪口?

A:やめてください(怒)。

F:こうして比較してくると、村上さん井戸って、段々何がしたいのか分からなくなってくるなあ。加えて、「私は分かりました」って人の話も聞きたくなくなる。

A:きっと我々などには分からない深い、深いものがあるんすよ。男女の情のもつれなんて卑近なものではない。

F:器用に逃げるねえ、君も(笑)。映画にでもして欲しいな。「村上井戸 VS 貞子井戸」みたいに。肩透かしで村上井戸の勝ち、とかね。

A:この辺が結論ですかね。

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