あるいは、透明人間の存在証明

ーーねぇ、どうすればジブンを愛してくれた?
ーー一体どうすれば……。

「犯人はあなたですね」
 事件が起こるまでは煌びやかでにぎわっていたダンスホール。
 事件が起きてからはその煌びやかさを失い、静まり返っていたが、数日ぶりに響いた音は楽団が奏でるパーティーの始まりを告げるものではなく、事件の終わりを告げる先生の言葉だった。
 事件の容疑者として先生に名前をあげられたその人は真っ白なシャツとズボンを身に付け、ただ静かに先生を見ていた。
 これまでの犯人達のように否定するわけでも激高するわけでもなく、
 かと言って、先生の言葉を受け入れるでもなく、ただそこに立っていた。
 まるで水のようだと、私はそう思った。
 手を伸ばせばふれられるはずなのに、つかもうとすると指の間から逃げていき、決してつかまえることができない。
 そんな冷ややかな水のようだと。
「どうしてと、理由は聞いてもいいのかな」
「えぇ、かまいません。理解されるとも思っていないので」
 そう前置きをすると、その人は話し出した。
「その人の子であり、その人の子ではなく、ジブンはその人の子でありたかった。だけど、その人はジブンを必要とはしなかった」
「それが理由?」
「えぇ。ですが、あなたは驚かれないのですね。それどころか不思議な顔もしない。あなたの後ろにいる刑事さんのようにね」
 その言葉に刑事さんははっとしたように口元を手でおさえると、
すまないと頭を下げた。
「いいんですよ、謝らなくても。ジブンの気持ちを理解しろという方が無理な話なのですから。むしろ、聞かなかったことに、なかったことにしようとしないだけ、アナタは良い人です」
 そう言って笑うその人は、先生の推理を聞いた今でもとても犯人だとは思えなかった。
「あなたの父親であり、今回の事件の被害者とは違って?」
「父親だと? しかしパーティーで話した際に被害者は子供はいないと」
「そう言うに決まってるよ。あの人は、あいつはジブンを必要ないと言ったんだからな。身重の母を追い出して、自分は自由気ままに、それも人格者だの何だのと評価されて……何が人格者だ、本当の人格者が子供を捨てるわけないだろう!!」
「なるほど、それで今回のパーティーに忍び込んだわけですね」
「えぇ、母親から亡くなる前に父の名前を聞いていましたから。
そこから探して驚きましたよ。自分の父が人格者として名高い人間だったことにね。でもおかげで、こうして簡単に近づくことができました」
「でしょうね。まさか人をナイフでめった刺しにしようとする人間が、
わざわざ返り血が目立つ真っ白なドレスを着ているとは思いませんからね。まぁ、僕は別ですけど」
「ジブンがドレスを着ていたことについて、思うところはないのですか?」
「えぇ、あいにくですが、僕は僕、あなたはあなたというスタンスなので。それにあなたにはあのドレスも、今のその格好も、どちらも本当によく似合っている」
 先生はお世辞を言えるほど器用ではない。先生がその人に告げた言葉は、本心だった。
「どちらも着こなせるというのは悪いことではありませんよ。そこにいる刑事のように何を着ても野暮ったいよりはマシです」
 先生は半ば呆れたような目で刑事さんを振り返った。
「まさか普段から着ているくたびれたトレンチコートとパーティーの正装であんなにも代わり映えしない人間がいるとは」
「なんだと!? 年がら年中、スーツの上から着物をひっかけて、わけのわからん格好をしているお前に言われたくはない!!」
「君に一緒にしないでくれないか。これでも僕は行く場所によって、着物を変えているからね」
「ふふ、面白いくて変わった人ですね。あなたは」
「よく言われますよ。まぁ、そうでなくては探偵なんて仕事はやってられませんからね」
「なるほど、ずいぶん説得力のある言葉です」
 その人は先生のその言葉を聞いて、肩の力を抜いたように私には見えた。
「アナタはずいぶんしっかりと己なるものをお持ちのようだ。
アナタのそばにいると、ジブンがさらに薄い、透明人間のように思えてならない」
「あなたは自分のことを透明人間だと称していますが、私から言わせてもらえば、それは違います。言ってみれば、大いなる勘違いというやつです」
「勘違い?」
 意味がわからないというように、眉を寄せ、その人は先生を見た。
 けれど、その顔はどこか道に迷った子供のように私には見えた。
「あなたが本当に透明人間だったら、その人を、あなたの父親を殺そうとはしなかったでしょう。皮肉なことに、あなたの殺意が何よりもあなたが人で在り、そしてその人の子であるという証明なのですよ」
「じゃあ、どうすればよかったんだ。ジブンは、腹の中にいて、男か女かすらわからない時分に必要ないと言われたジブンは、一体どうすればよかったんだ!!」
「それは……」
「そのままを伝えて、父親の横っ面を殴ればよかったんだと思います」
 気づけば私は先生の言葉をさえぎって、そう答えていた。
「もちろん刑事さんは駄目だって言うと思うけど、
でも、それくらいの権利があるはずだから」
 その権利は拳ではなく、凶器であるナイフを振り下ろしたことで失われてしまったが、それでも権利はたしかにあったのだ。
「……あなたの気持ち、わかるんです。どうして自分を必要ないって言ったんだ、捨てることさえせず認めることするしなかった。否定したんだふざけるな、自分をいらないっていうならなんで、なんで自分なんかつくったんだって」
「キミは……いや、キミも?」
 私は静かにうなずいた。
「そうか。もっと早くにキミに会えていたら、ジブンもその人を殴れたかもしれない。
透明にならず、ジブンとして、ここに在ることができたかもしれない」
「透明じゃないです。先生も言ってましたけど、あなたはちゃんとここにいます」
 思わず伸ばした手をその人はそっと、まるで私の手が壊れ物であるかのように優しくふれた。
「あたたかいね。本当はずっと自分の存在を知ってほしかった。自分を見てほしかった。たとえ必要なくても、ジブンがここに存在していることを知ってほしかった。なかったものにしないでほしかった……本当は、きっと、ただそれだけだったんだ……」

 刑事さんに連れていかれるその人の背中を、私は先生の隣で何も言わずに見送ることしかできなかった。
「悪かったね。今回の事件は君にとっては辛いものだったんじゃないかい?」
 先生の一言に私は思わず目を丸くして、隣に立っている先生を見た。
「なんだい、その未確認生物と遭遇したかのような目は」
「いえ、まさか先生の口からそんな誰かを気遣うような言葉が出てくるなんて思わなくて」
「君はずいぶんと、まぁ、失礼なことを言えるようになったものだね」
「先生の助手ですから。先生が依頼者達を怒らせてしまうところを何度も見て、どうすれば相手を怒らせることなく会話ができるのかも、その逆も勉強させてもらいましたから」
「初めて君に出会った頃は無口を通り越して、静寂が人の形をしたような子だったのに。そういえば、さっきの彼、いや、彼女と言うべきなのかな。君にどこか似ていたね」
「そういうところが、依頼者を怒らせるんですよ、先生。思っていても言わなくていいこともあるんです」
 しかし、先生が今言ったことは、私自身が思っていたことでもあった。
 自分は先生に出会うことができた。しかし、その人はちがった。
 唯一の肉親であった母親を亡くし、誰にも必要とされることなく生きていく中で、ただ父親への憎悪だけを胸に、それだけを糧として生きるしかなかったのだ。
「……もしかすると、私も父を殺していたかもしれませんね」
「君は君じゃないか。名探偵の助手、それ以外、君は何者でもないよ」
「……自分で、名探偵っていうの……名探偵っぽくないので、やめてもらえませんか」
「えぇー、ひどいな。それよりなんか暑くなってきちゃったから、僕のかわりに着物かけておいてよ」
 笑いながら先生は私の答えも聞かずに、すっぽりと私の頭の上から着物をかぶせてしまった。
 その不器用な、先生らしい優しさに私の目からはしばらく涙がとまることはなく、着物の裾を揺らす風に、零れ落ちた涙が流されていった。

作品を執筆するための勉強や参考資料の購入資金にさせていただきます。サポートしていただけると、とても励みになりますし嬉しいです。