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芸人とファンとの適切な距離感

サムネイルはポンエペレという北海道のお酒のパッケージを見ながら描いたものである。模写のつもりだったのにびっくりするほど似ていない。そして本文とは全く関係はない。なお、ポンエペレとはアイヌ語で小熊という意味だそうだ。

今回も、実際にあったことをベースにしながら架空の話をしようと思う。

思いつくことを徒然なるままにしたためようと思ってアカウントを作成したnoteだが、以前書いた記事がいいねをいただいている。

「やばいファン」として有名になってしまったSさんのおかげで私の過疎noteにもいいねが供給されたのだ。検索を避けてこそこそ書いたものでいいねをもらうだなんて、卑怯者と非難されても仕方がない。しかし、あの魅力的な文章を読んだら書きたくなってしまったのだ。特に衝撃的だったのは、好きな芸人のライブ帰りを描写した以下の文章である。

帰りの新幹線で、僕は泣いた。
こんなはずじゃなかった。

こんなライブの感想があるのか、お笑いライブに行って泣いて帰る人がいるなんて考えたこともなかった。句読点、単語の選び方、完璧である。Sさんの文才に脱帽としか言いようがない。

いろんな人がSさんの文才に刮目した結果、Sさんは今もまめにnoteを更新している。素直に正直に紡がれたその文章は、やはり「読みやすくてわかりやすいけれど、共感できない」のである。

いや、違う。中学生くらいまでは、私もSさんみたいに友達ができなかった。効率重視で雑に給食を配膳してみんなに嫌われたというエピソードはすごく刺さった。自分にも似た記憶があるからだ。あの頃は、絶対に自分が正しいという自信があったし、何なら小学校の先生よりも自分のほうが賢いとすら思っていた。嫌われるはずである。なお、Sさんは先生に好かれていたそうなのでそれはちょっとうらやましい。

本当に先生にも嫌われていた。中学生の時、社会科の教員に「お前がそんなんやからいじめられるんや!」と言われたことだけは忘れられない。本当にあの教師のことだけは今でも恨んでいる。T先生、お元気ですか、少なくともあんたよりは楽しい人生を送っているよ。とまあ、私はこんな感じのやべえ奴なのである。このnoteにも怒りをネチネチと書き綴っているときがあるので、その性格の悪さは推して知るべしといったところか。

にしても、あの頃は人間関係での適切な距離感が全く分からなかった。今なら、相手がどう感じているかを少しは推測できるようになったが、学生の頃は他人がどう感じているかがさっぱりわからなかったし、こちらが悪気がないのに突然相手が怒りだすことが頻繁にあった。きっと私が配慮のない発言をしていたからだと思う。配慮のない発言というものは、おおむねこちらが踏み込むべきでない領域について発せられたものだ。わかっていても、性格を完全に治すことは難しい。

こんな私ではあるが、なんとか人間関係を構築し、小学生の時と比べれば楽しく暮らしている。おそらく、中学2年の時に隣のクラスに転校生がやってきて、その子となぜかゲームの話で盛り上がって仲良くなったのが転機だったと思う。今でもたまにご飯を食べたりする仲だが、今も昔も本当に性格がいい。怒ったり人の悪口をいう姿は見たことがない。彼女の来世は人間ではなく菩薩だろう。

私は傍若無人でわがままなところがあるので、嫌な思いもたくさんさせてしまったのではないかと思う。それでも、その友人はいつも彼女のペースでいるのである。

思い返すと、私が学生で彼女が社会人の時、一緒にテーマパークに行ったことがあった。並んでいるときに彼女をほったらかして私は論文を読んでいた。あの夢の国でのことだ。そのまま縁を切られて当然の事態である。今思い出しても肝が冷える。しかし彼女は「ファキ田(私)はたいへんやなあ」と受け流してMapを眺めていた。スマホなどない時代のことである。

とにかく見習うところがたくさんある友人である。彼女との交流のおかげで、少しづつ人間性というものが育ってきたような気がする。彼女の性格の良さがちょっとうつったのだろう。ありがたいことである。なぜ彼女は私と仲良くしているかはわからないが、「ファキ田は面白い」とは言われている。初老ではあるが、面白さに磨きをかけて、彼女を帰りの電車で泣かせないようにしたい。

もともとの性格が傲慢なので、人に迷惑をかけないよう注意しなければいけない。年を重ねてわかったのは、人との付き合い方よりも、自分との付き合い方のほうが重要だということだ。自分の性格の凹凸にバランスをとる、と言い換えてもいい。老いた今もまだまだ未熟者なので、ますます精進していきたいところだ。

実は、私もあるピン芸人の強烈なファンなのである。こういう言い方は良くないが、ライブやグッズにかけた金額はSさんといい勝負だと思う。とはいえガチ恋勢ではないし、芸風はSさんが好きなお笑いコンビとは全く違う。

自分はステージの上の芸さえ面白ければそれでいいので、その芸人さんがネタを思いっきりネタを書いてくれたらええなと思っている。とにかくコントの設定がすごい。物事の概念を問い直したり、お笑いという形ではあるが哲学や数学の要素があって本当に面白い。ほかの芸人の方々が「あの人は天才や」とコメントしている動画を観たこともある。

なのに、なのに、なぜもっと売れないのか。滂沱の涙を流しながらパソコンに向かっている。嘘である。ああ、Sさんがうらやましい。Sさんみたいになりたい。あの文才が欲しい。Sさんにとってはつらいことだとは重々承知しているのだが、あの一連の騒動であなたの好きな芸人さんは確実にファンを獲得したに違いない。「ファンが泣くほどおもんない」とハードルを下げに下げた状況で「けっこうおもろいやん。今度はライブ行こうかな」と思った人は多いはずだ。

私もなにか炎上させて知名度に貢献するべきなのか。とはいえ初老なので、炎上といってもレイジアゲインストザマシーンの初期のジャケットしか思い浮かばない。

ああ、こんなにおもろい天才芸人がいるのに、世間はなんでほっとくんだ。時代がまだ追いついていないのか。きしょめなネタがあるからなのか。芸人としては性格が誠実すぎるからなのか。

根拠を述べたら1万字超えそうなので割愛するが、もう少ししたら絶対売れると思う。どんどんライブの収容人数が増えて、ライブにいっても舞台が遠くなっていくのだろう。寂しい気持ちもあるが、そこは一人のファンとして心の準備をしておこう。

ふと思ったのだけど、Sさんって、その芸人さんのことが好きだろうけど、尊敬の気持ちは持っておられるのだろうか。どんな形であれ、活動を続けることは大変なことであり、人を笑わせるという難しいパフォーマンスを完遂する発想や研鑽に、私は敬意を払っている。好きな芸人でも、稀にこのネタきしょめやなと思う時があるが。なお、「たまにきしょいですね」はその芸人さんご本人に伝えたことがあるので、私もSさんのことは批判できない。出禁になったら帰り路ずっと泣く。

私がその芸人にはまったきっかけは、ネットで仲良くなった友人に誘われたことだった。彼女はもともと配信者だったが、サブカルチャーに造詣が深く、とても面白かった。私よりも若く、センスにあふれた彼女がはまっているなら面白いに違いない、と期待してライブに行ったが、その期待をはるかに超える面白さだった。

ある事情があって彼女とは連絡が取れなくなってしまったのだが、今でも彼女には感謝しているし、元気にしていたらいいなと思っている。彼女は動物の絵が好きで、私のつたない絵も、いつも喜んでくれた。彼女は割とリア恋のファンだったので、ライブの没入感がすごかったし、尊敬を超えて崇拝のまなざしをステージに送っていたのを今も覚えている。かわいらしかったし、彼女とライブやご飯に行ったりすることは本当に楽しかった。もっと売れたら、彼女は喜ぶだろうか、それとも寂しがるだろうか。そんなことを思ったりもする。

まとまりなく書いてしまったが、ここまで読んでくださった方が万が一「そのピン芸人だれやねん」と思った場合のために申し添えておきたい。カタカナのくしゃみの擬音と芸人でGoogle検索したら出てくると思うので、気になった人は検索してみて欲しい。東京のあたりにお住いの人ならライブに行くことをどうかご検討いただきたい。

再度申し上げるが、この話は架空のものである。

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