冬石

終焉へ向かう緩やかな曲線のように

冬石

終焉へ向かう緩やかな曲線のように

最近の記事

懐古虫

「あの頃はよかった」 なんて言いたくはないし、言いたくなかった。 でも、あの頃のインターネットはよかった、本当によかった。 「インターネット」自体は変わっていない。 変わったのは使う側、自分、その他、諸々、それはだけは確実だ。 パソコン=インターネットが使える、ではなかった時代。 ネットを使える環境はある程度の条件を満たした人にしか無かった時代。 無秩序で混沌とした、なにもかもが嘘であろうと本当であろうとも流れ、ただ「世界」が横たわっているだけだった。 あの頃の世界は

    • どこにも行けない

       自分は今、ここに居る。  物理的には月3万7千円でウナギの寝床のような1Kにもう長いこと住み続けている。天井が高いのでさほど狭さは感じない。けれど私の手取りではこれ以上高い家賃は厳しい。ユニットバス以外に大きな不満は無いし、節約にもなるので、まあいいかなあとも思う。  もう一人暮らしを始めて8年目になる。当初はすぐもっといい物件に、となど言っていた。けれど結局、この部屋に住み続けているのだ。どうしてだろうと思う。不便なら変えるのが合理的である。ユニットバスは不便だ。それ

      • 批判される覚悟、断罪される覚悟。

         随分と、まあるくなったと自分を改めて思う。 つまらない人間になった、批判されるのが怖くて事なかれ主義に走った。  そうすれば叩かれることも揚げ足を取られることもないから。心が平穏でいられるから。  それでいいじゃないか。争いもなくみな仲良くにこにこ笑って幸せに生きる世界が理想なのだから。  そう、事なかれ主義になれば平和な人生を送れるのだ。  昔の自分は、尖っていて攻撃てきで、けれど芯のある人間であった。いつしか世間の色に染まって控えるようになり、イエスマンになった。

        • ヴィーガンvsイーガンvsわたしで戦った場合の勝者は?

           海外SF作品に抵抗感を覚えてしまう事には、理由がある。国内SF作品の場合、小説の内容は作者→読者という流れなわけだが、海外作品=他言語で書かれた小説の内容は、作者→「翻訳者」→読者という流れとなる。  この「翻訳者」なる存在がとてつもなく分厚いフィルタとなる。過激に言うならば、翻訳された作品は厳密には作者の書いた小説として読者には届かない。最早、翻訳者が読み解いた原作付き小説なのである。  どのジャンルでも、海外の素晴らしい小説を「翻訳者」が該当言語を日本語へと変換し、

        懐古虫

          世界中のだれも、時計の針は左には回せはしないし、右に回るタイミングの規則性も乱せはしない

           6月に入り早いものだなあと感じる。 先日までマフラーを巻いていたのに、半袖にカーディガンを羽織り外出する。まるで季節に、時間に、世間に置いていかれているような錯覚に陥る。特に今は人生の節目に居るため、余計そう感じるのだろう。  確かに時間はできた。眠る時間も増え、自分の時間が増え、自由に行動できる時間が増え、好きなことが出来る時間が増え、時間のゆとりができた。けれども、イコール人生が充実したものになるとは言えぬことを知った。  時間は、確かにある。この地球上に存在する、

          世界中のだれも、時計の針は左には回せはしないし、右に回るタイミングの規則性も乱せはしない

          昇りはじめる太陽のように

           ごきげんよう。  ご無沙汰しております、残念ながらまだなんとか生きております。 半分死にかけたり棺桶に片足を入れた状態で日々を過ごしたり、色々とあり、  これもまた、もう少し続きそうな自分の人生において良い経験及び判断材料となり、結果的に人間として思考するための糧をいくつか増やすことができたのだと、思いたい。 そう思わないとやっていけないのが、人生。  時間がかかったとしても、また文章を書けるようになりたい。 肩に力を入れず、時に何も書けぬ際であろうとそんな日もあるさ

          昇りはじめる太陽のように

          140413

           自分は何をやっても中途半端な人間で、そういう所が嫌になります。これはどう頑張っても直せないというのをここまで生きてきて理解したので、性格なのでしょう。受け入れたくはないですがそれは事実であり、変えられません。世の中には変えられることと変えられないことの二通りがあるように思い、変えられない点についてはゆっくりと自分の本性として咀嚼し飲み込んで昇華させるしかないと思います。変えられる点については、こちらも焦らずに改善していけば良いと思います。  人間の個性はどの時点で発生する

          なぜ宇宙に憧れるのか

           漠然と、宇宙というものに幼い頃から憧れがある。  それは手が届きそうで届かない場所。未知で覆われたその世界に想像を馳せる。我々は宇宙の一部であり、宇宙は我々の一部でもある。遠いようで近い、まるで誰かに恋をするような感覚に近い。 人類は宇宙に恋し焦がれる乙女でもあるのかもしれないと、思う。  

          なぜ宇宙に憧れるのか

          インターネット時代

           インターネットが普及しとても便利になった、と感じる人がいる一方で、不自由になったと感じる人もいるのではないかと思う。  我々現代人にとってももはやインターネットは生活の一部となり、欠かせないものになりつつある。  どのようなものにも利点と欠点がある。また、使う人間によって悪くも良くも働く。  インターネットが社会に悪影響を与えている、と言うのは簡単だろう。 では、なぜ悪影響を与えていると言えるのか?そういったところまで踏み込み考えることが、重要だと自分は考えている。

          有料
          100

          インターネット時代