見出し画像

北の旅人 2022蝦夷梅雨 炭鉄港を巡る③芦別・三笠・安平

芦別

赤平で昼にしてもよかったのですが、初めて来るエリアなのでどうしてもガタタンを食べてみたくて隣町の芦別市へ。
道の駅「スタープラザ芦別」の食堂で念願のガタタンラーメン!

ガタタンラーメン チャーハン付きでした

漢字で書くと「含多湯」。
あんかけで腹持ちがとてもよく、炭鉱労働者に好まれたのも納得の美味しさでした。
室蘭やきとりと並ぶ、炭鉄港めしの代表格。
「炭鉄港めし」のサイトはキャッチコピーと写真がマッチしていて好きです。

芦別は赤平ほど見学可能な炭鉱遺産は少ないのですが、桂沢湖へ抜ける道の途中に「旧三井芦別鉄道 炭山川橋梁」があります。

炭山川橋梁

山間の渓谷に橋梁と石炭専用貨車が展示されています。
大自然の風景にすっかり溶け込んでいて、福島県の只見線のように、四季折々に違った表情を見せてくれそうなスポットでした。

三笠(幾春別・幌内)

橋梁を過ぎると、ひたすら山奥の道を桂沢湖経由で三笠へ抜けました。
「炭鉄港」がテーマなので幾春別→幌内と炭鉱巡りでした。

桂沢湖から幌内へ向かう手前の幾春別エリアには赤平の立杭櫓同様に
住友系の奔別炭鉱跡が残っています。

旧奔別炭鉱立杭櫓

三笠中心部から幌内エリアへ。
明治15(1882)年、幌内炭鉱から小樽港まで石炭を運ぶために、北海道で1番目、全国でも3番目に鉄道が敷設された地です。
先月歩いた小樽の手宮線跡から炭鉄港を巡って遂にここまで
来てしまいました。

幌内炭鉱は平成元(1989)年に閉山。
現在は熊が出没してもおかしくない鬱蒼とした森の中に、当時の遺構が残されています。

旧幌内炭鉱変電所
旧幌内炭鉱音羽杭
一帯は鬱蒼とした森に帰ろうとしている

調理の単科校である三笠高校の学生が腕を奮う、有名な三笠高校生レストランも立ち寄ってきました!学生が運営している時間帯ではありませんでしたが、テイクアウトのコッペパン美味しかった!

安平

三笠からは岩見沢経由。
かつて空知からの石炭積み出し路線であった「室蘭本線」沿いに帰路へ着きました。
岩見沢~苫小牧間が超ローカル線化しているので気づきにくいですが、
室蘭本線の起点は岩見沢なのです。

安平の道の駅にあるお馴染みのD51も、炭鉄港を意識するとその価値がより深く分かります。

空知方面の石炭を運ぶ岩見沢経由の室蘭本線と、こちらも炭鉱で栄えた夕張線(石勝線は当時まだ開通していない)との合流地点として要衝の地だった追分駅。
ラストランから50年近く経過しているのにも関わらず、D51がここまで綺麗に保存されているのは本当に見事です。

振り返り


今回の「炭鉄港」を巡る旅はここまで。
「炭鉄港」は、北海道の近代化が歩んだ歴史を如実に今に伝えています。
空知の場合は完全に石炭産業が現役ではなくなっているので
尚更そう感じます。
産業構造が大きく変わろうとしている令和の現在、過去に北海道で起こった産業の転換を見ることで技術者を目指す者として未来を考えるきっかけにしたいという動機から、今回弾丸ではありましたが空知を巡りました。
空知の山々はとても広大で奥深いです。
今回に限らず、また機会を改めて訪ねたい場所がたくさんあります。

日本の近代化に大きな貢献をして、そして衰退していった産業遺産群からは
悲しいほどの忠実さを感じます。言葉を選んで言うなら、中央からの一方的かつ受動的な歴史であったと。
未来を考えるに当たって、能動的な産業のあり方を考えないとなかなか持続可能にはなっていかないなーという感想です。
まだまだ自分の中では整理できていない部分も多く、引き続き未来を考えるために過去から学んでいきたいと思います。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?