二種類の人間 - 補遺

前回の文で書き忘れていたことがあるので、書くことにします。

『ジャズジャイアンツ 名盤は……』を図書館で読んだ際に思いついて、手帳にメモしていた大事なこと(と言っても、僕自身にとってというだけのことです)を失念していた。簡単なダイアグラムまでまで書きつけていたのに。ま、ただの思いつきですが……。

それは、アメリカのポストモダンの建築家のロバート・A・M・スターンが、街を自身とその追随者が高層ビルでアメリカの都市を埋め尽くす事になる20世紀最大の建築家ミース(彼は、建築こそが時代を表現するのにふさわしいと考えていた)が古い伝統的なアパートメントに住み、ごく普通の安物の椅子に座って酒や音楽を楽しんでいたことを揶揄して言ったことを思い出して、頭をよぎっただけに過ぎないのですが。

スターンは、ミースは『20年代のアパートの中で、自身の新しいビルを眺める。彼はそこに住む必要はなかった』。そして、「彼は人間の仕事をし、聖アウグスティヌスを夢見た。そしてその隙間をマティーニで埋めた』というようなことも言っている。DVDを見た時は、なるほどそうしたものだったか、と思ったのだけれど、前回書いたことを考えていたら、案外そうとばかりは言えないのではという気がしたのだった。

すなわち、もしかしたらミースも、自身の住まいを伝統的なアパートとすることで、それが彼の好みだっただけかもしれないということはひとまず措くとして、住まい(すなわち、生活の原点、あるいはデザインについて考える出発点)を伝統的なものに定めることによって、常に建築・デザインのスタンダードに立ち戻り、そこから時代にふさわしい新しい建築のあり方を捉えようとしたのではあるまいか、ということでした。

とすれば、常に新しさを追求することを自身に課している人だって、伝統を重んじることがあるということで、前稿で書いた分け方も間違っていたということになる(面目ない次第)。

それから、ジョン・ヘイダックが、「ガラスのスカイスクレイパー」を見た時に釘付けになったいう体験を述べていたことも思い出して、何かを作りたいと願い、続けるためには、特に若い時にこうした経験をすることが、とても大事なのだと改めて感じ入ったのでした。(F)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?