対象に対する愛情 ー 「本屋に聞こえてきた食器の音」番外編

先日は、会場構成のための設営日でした。

設営に与えられた時間もタイトで、条件も厳しかった。

ま、いろいろと思うところはあったけれど、学生たちも臨機応変に対応しながら、なんとか乗り切った。

そのあと、眼鏡の調整のためにモール内の眼鏡店に寄ったのです(なかなか横浜に出る機会が少ないのです)。と書きかけていたところに、「本屋に聞こえてきた食器の音」とそれへの返信(?)が投稿されていたので、でここからはそれに便乗しながら続けます。

折よく、買ったときの店員さんがいたので、話しは早い。状況を話して、調整してもらったわけですが、その時の口調にちょっと驚いた。説明するたびに、「この子は……」と言う具合なのです。たとえば、眼鏡を畳む時に決まりがあるかどうかを訊くと、「どんな眼鏡でも左が下というのが基本ですが、『この子』の場合は……」となるというわけです。

最初はちょっと驚いたし、不思議だったのが、だんだん慣れてきて、やがてそれだけ眼鏡のことが好きなのだとわかってくる。

だから、この意味ではモール(あるいは、そこの店舗)がアウトというわけではなさそうです。すなわち、店員さんの資質次第。これは商店街でも変わらない。

眼鏡店は小さなお店だったので、次なる問題は個人商店(小規模店舗)か大規模店舗かということ。大規模店舗の方がお客との対応は事務的(無機的)になりがちです。スーパーで、個人的な話しは(店員と客だけでなく客同士でも)ほとんど生じにくい。

そして、その次に「食器の音」が聞こえるかという問題がありそうです。それが聞こえるならば、その場所と個人の生活の結びつきが強い。利害関係もより強く意識されるに違いない。そうだとすれば、いきおい他者との関係に敏感にならざるを得ない。

とすれば、「モール」の罪というよりも、他者との関係が稀薄になってきている今の時代にあって、これを強制的に意識させ、維持しようとさせるためのシステムの問題に行き着きそうだと書いたところで、ちょっと怖くなった(下手をすれば、戦前の「隣組」みたいになる可能性があるのではないかと思ったのです)。

件の店員さんは、そのあともていねいに調整してくれたのですが、その口調と同じように眼鏡のことが好きなのだと思わせるような取り組み方でした。ちょっとずれてるんじゃないかと言われたりした時に、すぐにこれじゃダメですかあなどと間延びした返事をしながら、やり変えることを避けようとして検討しない学生諸君もぜひ見習ってほしいものです。(F)


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