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自己紹介

私、看護師のみゅーり、37歳!

もはやどういうテンションでの自己紹介なのか分からないが自己紹介をきちんと書いていなかったのでここらで書いていこうと思う。

長くなるかも。後半は家族のスペックも書いていくよ!

出生から学生まで

1984年2月に岩手県にて出生。第一子、長女。3つ下の弟がいる。

ずーっと地元で過ごす。

過干渉な母親(今で言う毒親)のもとで多感な頃を過ごしたが、完全に母親のレールに載せられた感があるのであまり多感ではなかった気がする。

ちなみに、父親は中学の時から単身赴任。よって母親のワンオペで私は成長した。

中学の時に亡くなった母方の祖父の影響で中学1年の頃からなんとなく看護師を目指す。手に職をつけなさいと言う母親の強い希望も加味した形なので家族からの反対はなかった。

地元の県立高校に進学し、一応進学校として他の学校と競っていた時代だったので勉強漬けの日々を送る。

あ、でも部活は楽しかった。卓球部。当然、今ほどの人気はなかったのだけどそれでも楽しかったし、高校の部活仲間とは男女一緒に結婚式に呼び合ったり年1回は会ったりしている貴重な存在。

大学も家から電車で数駅のところに合格した。前述の通り、看護師を目指す大学である。当時は看護系の大学はまだまだ少なくて、地元でも看護専門学校が主流だったし受験したが、大学に受かったので当然大学を選択した。

大学時代は本当に勉強しなかった。実習以外、本気を出したり興味を持った授業がなかった。こんなこと言ったら怒られると思うけれど。やりたい分野もなかなか見つけられなくて、単位を取るために授業に出ていた。

授業よりも大学祭実行委員会の活動の方が楽しくて楽しくて。

夫ともこの委員会で出会いました。

看護学部の仲間も貴重な存在。あの厳しい実習や国家試験を乗り越えた同志だから。その中でも親友2人には本当に助けられた。彼女たちがいなければ国家試験の合格どころか卒業さえ危うかったであろう。

こうして無事に大学卒業し、国家試験に合格した看護師の卵が世に放たれたのだ。

看護師として

新卒で就職したのは地元の公立病院。地元といってももう岩手出生って書いてあるから言うけれど、岩手の県立病院って本当に数が多い。

というか、岩手が広すぎるのでそのために病院の数も多いのかな?

就職試験は岩手県医療局で受けて、その年度末に止める人数によって採用していく仕組みなので、自分が合格してどの病院に配属になるかは年度末じゃないと分からなくて怖すぎる。

例えば、地方大学から東京にある大学病院や民間病院なんて早ければ秋には合否出てるもんね。

地方公務員なので点数順に合格者名簿に登載されていって上から順に空きが出る病院に割り振っていく。そんなイメージ。

幸いにも私は実家から車で一時間の病院に配属になりました。何度も言いますが岩手は広すぎるので私は幸せな方です。当時は一応第3希望まで出せました。ちなみに私は第2希望の病院へ配属。

外科系急性期病棟。「外科」がつく急性期の患者さんはほぼくる病棟。外科、泌尿器外科、整形外科、脳外科、耳鼻科(手術適応)などなど。怖いけれど親切な先輩方と一緒に5年間頑張ることができた。

やはり新人の時に教わったことは10年選手になった今も染み付いていたりするもの。うまく後輩に受け継いでいきたい。

新卒から4年目の時に夫と付き合い始め(学生時代はそんな雰囲気ゼロ)、5年目を終える年度末で公務員を辞めて東京に引っ越すことに決めた。

それは2011年のこと。そう、東日本大震災の年。

3.11についてもいろいろ書きたいけれど今回は割愛。年度末に引越しができなくなったので一ヶ月遅らせて、2011年5月に東京都民になりました。

東京の総合病院に再就職して現職。

CCU→血液内科・糖尿病内科混合病棟→消化器科外来→化学療法室→消化器科外来→内視鏡室。

結婚、第一子妊娠・出産からの繋留流産、第二子出産へ

東京に転居して夫と住み始めたのはすでに結婚が決まっていたからで、そこから記念日を待って入籍して結婚式して新婚旅行にパリへ行ってなどバタバタと。

新婚旅行に行った年に娘を妊娠・2014年3月出産。

マタニティライフも出産も大変だったからいつかじっくり書いてみたい(需要なさそうだけど)。

1歳になる前日まで育児休暇を取得し、3歳になるまでは育児時短勤務をできるとのことで外来で勤務。

子供は最低二人欲しかったのでどうせなら時短勤務のうちに産休入りたいなと目論んでいたらコウノトリが。

でもそれは心拍確認前の繋留流産でした。自然に出てこなかったので搔爬術を。一生忘れられない出来事。それでもまだ、娘がいたのは幸いなことだと思った。

術後の医師からの「一人目が自然妊娠だったから確率が無いわけじゃない」と言う言葉を希望に、第二子妊娠。本当にうちの夫婦は恵まれているとしか言えない。

第二子の息子、2017年1月出産。

岩手へ引っ越し

2020年3月に東京から岩手へ引っ越し。

4月より母校の大学の大学院に入学。社会福祉学研究科の臨床心理コースで一回り以上若い子たちとともに勉強中。

修士課程なので2年で修了が通常だが、社会人ということtで長期履修制度を使いトータル3年で修了予定。うまくいくかな!?

大学院入学とともに、同大学の看護学部で非常勤助手を1年。たった1年だけど、とても貴重な経験だった。

2021年4月からは訪問看護ステーションで、未経験だった看護の形を体験中。難しいけど、楽しそうな予感。

もうさ、私の話で長くなりすぎたから家族のスペック書いておこうね。

夫のスペック

1983年2月生まれ。岐阜県で生まれる。2つ上の姉が一人。

高校まで地元で過ごし、大学はなぜか岩手の大学へ。何でだろうね。変だよね。まぁ、来てくれていなかったら出会っていなかったんだけど。

入試のために新幹線で岩手に向かっていたら途中から田んぼしかなくてめちゃくちゃ不安になったと言っていた。そりゃ、当時18歳。そうだろう。と思ったけれど、彼の実家も周りはたんぼだらけだったよ。

大学を卒業して関西の大学院へ進学して、マスターとった後に一部上場企業へ就職。高給取りだった気がする。そして私と結婚。

「会社辞めて起業したいんだけど」

私、第一子妊娠した夏。え、これから子供産まれるんだけど!?

不安がなかったといえばゼロだけど、昔からそういう感じの人だったし、ま、いいかと。そして娘出産した二ヶ月後にマジで一部上場企業を退職した。(一部上場企業2回目)

今は従業員を数名抱えながら頑張ってる。本当に頑張ってると思うよ。私、薄給だしさ、今は適応障害で休職中だしさ、なんなら来年から大学院生になるって言ってるしさ。

典型的な血液型Bの男だけど、頑張ってるよ。申し訳ないくらい。

(私、普段は血液型の性格診断なんて気にしないけれど夫に限っては完全にB型男です)

娘のスペック

2014年3月生まれ。小学2年生。

可愛い。標準曲線よりはみ出すレベルで小さめちゃん。少食。運動神経はいい方だと思う。

しかし、記憶力は抜群に悪い。記憶力の前に人の話を基本的に聞かない。

聞いたとしても3歩歩くと忘れる。これマジで悩み。

これはこの年齢の平均なのかどうか迷うレベル。

そして最近は都合の悪いことは「無視」または「空返事」という荒業を使ってくるのでイライラさせられる笑

息子のスペック

2017年1月生まれ。年中さん。

標準曲線はみ出すレベルではないが平均より大きめちゃん。大食漢。運動神経は多分悪い方。記憶力は悪いと思いつつ、前に体験した話とかしてくるから年齢平均並であってほしい。

腕力が強い。善悪を学び中なので毎日お姉ちゃんが泣かされている。

ちなみに成長スピードが早いので、お姉ちゃんがこの間まで履いていた靴とか履いてる。

あと、顔はお姉ちゃんよりでかい。

引っ越しとともに保育園が変わりましたが、何とかやっている模様。

2020年3月満を持して岩手へ引っ越し

引っ越した直後の3連休で東京ではコロナが大爆発したといわれていますね。
あのタイミングを逃したら引っ越しできなかったかなと思うとぞっとします。


また新たなイベントが起こったら追加・修正していきます!

ではまた。

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