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恋愛と年収について


年収400万と800万で何が変わるのか

具体的になんの数字なの?って感じですが
これは僕が実際に経験した年収になります。
なので年収1000万とか2000万の世界は分かりません。
そんな世界を想像して文書を掛ける程器用な人間ではないので
あくまで自分が経験した範囲内の事をありのままに書いていきます。

大学を卒業し新卒で入社した会社が年収400万、5年働いた後に同じ業界、同じ職種で27才の時に転職して年収が約800万となりました。

年収が上がると具体的にはどのような変化があるかという話しなのですが、
年収400万と800万の違いって結構微妙なところで人によっては大きいと考える人もいれば別に変らないでしょって思う人もいるかと思います。
確かに生活レベルの話で言えばこれは実際にどちらも経験しないと分からないと思うのですがサラリーマンの年収400万と800万の違って「ちょっと多目に貯金できる様になったなー」くらいの違いしかないんです。お金を気にせず新車で高級車を買うとか、毎週キャバクラに行って会計気にせず遊んでとかは無理です。アホみたく散財すれば結局はボーナスで帳尻合わせするしかないところは年収400万時代と何も変わりません。
累進課税も考慮すると手取りは倍変わる訳ではありません。
また、クレジットカードで付け払いができるという事は給料日に口座に20万入ろうが40万入ろうが究極的には同じ生活を送る事も可能は可能です。

そんな中でも一番の変化は心の安定かと思います。
贅沢な日々は送れませんが節制すればお金の心配はほとんどなくなりました。
そして何故か物欲は減退しました。
この物欲の減退が年収アップによるものなのか年を取ったからなのかは分かりません。しかし、年収が低い頃の僕はいつもあれがほしいこれがほしいと思っておりました。
今ではお金があまり必要ない事が好きです。
※登山とか散歩とか。初期投資は多少かかるがカメラ。動画を撮影し動画編集したり。noteにテキトーな事を書いたり。
ストレスの解消が消費活動から、内向的欲求を満たす活動に変化しました。

まぁざっと年収が上がり上記の様な変化があったのですが書きたい事はこんな事ではなく恋愛に関してなのです。が!ちょっと脱線して転職したての頃に言われた先輩の言葉を思い出したので書いてみたいと思います。

仕事で人間の価値は計れない

転職したての頃に年上の先輩にこんな事を言われました。
「仕事で人間の価値は計れない」と。

年上と言ってももう定年間近の大先輩に言われた言葉です。

僕は正直言われた瞬間、意味深過ぎて良く分かりませんでした。

でも人間の価値ってなんですか?って質問するとさすがに野暮かなと思いその場では聞く事が出来ませんでした。

僕なりにアホな頭で考えると、
まず仕事=年収(お金)は図れると思うんですよ。
そして仕事≠人間の価値という事はシンプルに人間の価値はお金以外のところにあるという事はまず間違いないのかなと。
そしてその事を証明する為には人間の価値という漠然としたものにいろいろと代入して検討するしかありません。
例えば僕は(人間の価値)に(家族の笑顔)を代入して考えてみました。

そうすると
仕事≠家族の笑顔 になります。
これはどういう式なのかと言うと、家族の笑顔の為に仕事なんてするなという直訳になります笑。
これは無茶苦茶な式ですよね。式が成り立っていませんから家族の笑顔等々の類は不正解になります。類似して大切な人とか、嫁とか娘とかは全部不正解になります。

じゃあ人間の価値ってなんなんだーって、、
結構迷いましたが僕は「自分が本当にやりたい事」って事を代入してみてなんとなくですが腑に落ちました。
式にすると
仕事(お金)≠自分が本当にやりたい事
これはどういう式なのかと言うと、自分が本当にやりたい事は(自分らしく生きるには)仕事ではない(お金はいらない)という直訳になります。
類似して、自分の正直な気持ち、内なる心、本音、本当の自分なんかは全て正解になると思うのです。
先ほどの家族の笑顔の例えと違うのは全て意識が外側ではなく内側(コア、心)に向いている点です。

僕なりに解釈すると
「仕事で辛い事、理不尽な事、嫌な事、いろんな経験があり、いろんな事を言われると思うが皆仕事だからこそ言う事、仕事だからやらなければいけない事があり、それをもってしてもその人の本心はとてもじゃないが分からない(計れない)」という事になります。

大先輩に「仕事で人間の価値は計れない」
これを言われた当時を思い出すと僕は転職したてで苦しんでいた頃でした。
そう考えると大先輩なりの僕へのエールだったのでは?という気がしないでもないです。
「仕事ができなくても、まだ不慣れでも、お前はお前で自分の考えもあって、例え怒られることがあったとしてもそれは仕事上の話で、お前を否定している訳ではないから。今は我慢して耐えろ」と。

最近は仕事がある程度上手くできるようになってきて、営業をしているのですが数字も順調に上げられる様になってきて、たまに天狗になったりする時もありますが
そんな時も大先輩からの言葉を思い出します。
きっと先輩は調子に乗った僕に
「仕事で人間の価値は計れない」と言うのでしょうか。
「仕事が出来ても、売上をどれだけあげても、例えどれだけ褒められる事があったとしてもそれは仕事上の話で、お前を認めてる訳ではないから、やるべき事をやれ」と。

非常に厳しい先輩でした。

年収(これまでの総収入)と総活動量=エネルギー量は比例するかもしれないという話し

そんな訳で僕は仕事(年収)と人間の価値は≠(ノットイコール)だと洗脳されてしまいましたのでとてもじゃないですが年収が高い人間が価値のある人だとは思いません。
例えば年収600万の消防士と年収1億円のIT企業経営者の価値なんて比べるの
もナンセンスだと思っております。

しかし、収入の量という物理的な指標があるからには人間の価値とはまた別のところでなにかしらの数字の根拠があるのかもしれないという考えに至り、結論から言うと総活動量の違いにより年収は上下するかもしれないという考えに辿り着きました。

シンプルに年収400万の時と800万の今を比べて仕事量がどう変化したかって事を比べるとこれは間違いなく増えたと言い切れます。
これはチンパンジーでもゴリラでもエサのバナナを森の中から2倍の量取ってくるには沢山動かないといけない事と同じです。
人間は頭脳を使うので一見すると行動量が変わっていない様に錯覚するのです。
例えば年収400万と800万の職場で同じ月曜日~金曜日までの勤務に違いはありません。勤務時間も倍伸びたのかと言われると毎日平均して1、2時間程度余計に働く様になっただけです。しかし思考する量は格段に増えました。

たまに、「いやいや以前はブラック企業にいて、思考の量も物理的な活動時間も長時間で、ホワイト企業に転職したら思考の量も、物理的な活動時間も半分になったが年収は倍になったよ」という人がいるかもしれません。

確かにそれはあり得る話しです。

なので僕が考える総活動量とはなにも現在の仕事量だけではなく過去の努力、思考量、行動量全てをまとめて考えております。

総活動量(エネルギー量)=過去の活動量(勉強、部活、仕事、恋愛etc様々な活動、努力)+現在の活動量(仕事量、思考量、転職活動、勉強、副業、スキルアップetc様々な活動、努力)

そしてこの総活動量と年収(これまでの総収入)は比例するかもしれないというのが今現在の僕の結論です。

全てを捨てて野球しかやってこなかったというプロ野球選手がいれば野球に対するこれまでと現在の活動量はエグイ事になっていると思うし、恋愛だってそれを極めた人は本を出して(何かしら発信して)収入を得られると思う。

「過去にエグイくらい努力して、現在も激務ですが安月給です!」って人は転職も副業(youtube、ブログなど)も自由にできる令和の日本においては仕事量は多いと思うのですが思考量、行動量が少ないと言わざるを得ないと思います、、また過去のエグイ努力っていうのも何をどのくらいの量やったのか分からないのですが残念ながら収入増につながる量ではなかったのかなと。

運もあるのでは?という話しもあるのですがそれは努力した人に敬意を払い運は関係ありませんと僕は言い切ります。
イチローも大谷もあれだけ野球界で活躍しているのは運なんですかね?

結局のところ本人の主観で総活動量を考えてしまうとそれはそれでいろいろと勘違いもあるのかなーという。。
10人いれば10人努力したと思う基準は異なると思いますので。

でも比例する「かもしれない」と言い切れないのは単純に僕が考えているより、世の中もっと複雑な家庭があり、人生があり、環境がありってところを全て知っている訳ではないのでもちろん例外もあるだろうという理由です。

恋愛と年収について

やっと恋愛と年収について本題に入るのですが
ここで結論を「恋愛は顔と年収とフィーリングがなにより大切です」と締めくるとここまで良く分からない話をつらつら書いて来た意味がないのでもう少し頑張ってみます。

先ほど、総活動量がどうのこうのって話をしたと思うんですがこれってその人のエネルギー量とも言い換える事ができますって話しなのですが、イメージしてもらえるでしょうか。

良く野球選手と女子アナが結婚して「なんだよ結局金かよ」って言う人たまにいると思うんですがこれは全く違くて

男女の恋愛は総活動量(エネルギー量)が同等クラスでなければ成立しないというのが僕の結論です。

アイドル、女優と実業家の結婚だって、サラリーマンの恋愛だってみんなそうなのですがテレビで話題になる様な結婚報道に関しては、僕らはその人たちの総活動量をもちろん知らないので「はぁ?なんで?」とかになったりするのですが当の本人達は無意識化で相手のエネルギー量というものを感じて惹かれあったりしているものなのかなーと。

分かり易いのが学生の恋愛です。
スポーツばりばりにやっている女の子(総活動量が多い子)と病院で寝たきりの男の子が恋愛する事はないと思うのですよ。
でもスポーツばりばりにやっている女の子と運動部ではないが勉強がめっちゃできる男の子が恋愛する事はありうると思うんです。

何故学生が分かり易いというのかは総活動量(エネルギー量)が計りやすいからです。
総活動量は過去と現在の活動量の総和と言いましたので大人になればなるほど活動量は段々と分かりにくくなっていくのです。

例えば学生時代は病弱で寝たりだった男の子も、大人になりその過去を武器に事業を起こし、社長になるかもしれません。そうして学生時代は恋愛対象にならなかった運動ばりばり女子と再会して結婚するかもしれません。

大人になればなるほど人は、いろーんな経験をするので総活動量(エネルギー量)が多岐に渡ります。
なのでじゃあ相手の総活動量(エネルギー量)がもし分かれば恋愛においては有利に事を進められるのでは?となりますがそれはどういう事なのでしょうか。

先ほど総活動量(エネルギー量)は年収に比例する(かも)と書いた通り、総活動量(エネルギー量)の指標として分かりやすいのがどうしても年収(総収入)になってしまうのです。

そしてやはり僕が見渡せる範囲で回りを見渡してみると男女の恋愛は総活動量(エネルギー量)が同等クラスでなければ成立していないという結論になります。

明らかに違う人同士が成立しているけど?という声もあるかと思いますが外野が当人同士の総活動量(エネルギー量)を確認するには限界があります。また、多くの場合現在しかみていなく過去をみていないとか、なにかしらの見落としが必ずあるはずです。

もちろん多少の例外はあるかもしれませんが、ただ金持ちと結婚したい、とにかく美人であればなんでも良いんだと考える程恋愛は簡単で単純なものではないという事です。
また、僕の経験上自分に不釣り合いな人を好きになってしまうとあまり幸せな結果にはならない様に思います。

結局は自分のエネルギー量に見合うお相手と恋愛(結婚)するのが一番の幸せだと思います。


まとめ


年収と人間の価値は=ではなく、
しかし年収と人間のエネルギー量というのは相関関係があり、
近いエネルギー量同士が惹かれ合うという事実があり、
結局はそれが一番幸せな恋愛(結婚)なのかもしれない。

という僕の勝手な推察でしたー。
以上です。さようなら!

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