「元〇〇」になるものに捉われるのは虚しいということ。

 〇〇になりたい。これは純粋な願望であり素敵なものです。
 ただし「元〇〇」にいずれなってしまうものへのスタンスを違えると、虚しく、ひどくは醜悪になるので、慎重な注意が必要です。

 〇〇をしたい。〇〇を楽しみたい。これら〇〇の具体的な中味、コンテンツに興味がある願望の場合は、特段、心配はいりません。

 問題になるのは、〇〇の肩書き、称号に願望の焦点がいっている場合です。
 これは大体において、今を蔑ろにしながら〇〇を目指し、〇〇の間は、コンテンツには興味がなく肩書きに満足し、〇〇を過ぎると「元〇〇」に執着します。

 その姿はとても醜悪なものになるのですが、たいていにおいて、その人は自分の醜悪さには気付いていません。

 特に「元〇〇」に縋っている人は、とても醜いといっていいでしょう。しかも幸せのピークは〇〇だったと言っているに等しいので、今には不満を感じて生きることになります。
 不満を抱えた人は、周りに迷惑をかけるので、困ったものです。
 また、自分軸で生きることが苦手な人が多いので、時間が経つほど、不満も、人にかける迷惑も大きくなりがちです。

 「元〇〇」になってしまうものに変に捉われてしまわないように、今を感じ、今を大切にし、今を幸せにし、今成長しましょう。


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