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上野鈴本「権太楼噺爆笑十夜」第三夜観戦記

 イベント参加で東京に来たものの、コロナの対策緩和がぎりぎりだったこともあり、特に打ち上げなどが行われるわけでもなかったため、折角ですからぶらぶらと寄席に足を伸ばしてみました。

 もっとも、その前に済まさないといけない用件がいくつかあり、一番近かった上野鈴本演芸場に到着したのは6時少し過ぎでした。
 おかげで、当日の番組表はこんな感じだったのですが、

 実際に観賞することができたのはむかし家今松の落語からでした。

むかし家今松「猫の茶碗」

 江戸の古物の仲買人ハタ師(端師、果師とも)についての説明がマクラでなされた後、自然に本編に入り、主人公となる古物商が茶屋で腰を下ろした際に、そこから望む景色の良さをさらりとけれども印象に残るように語ってくれて、ぱあっと場景が開けるようでした。
 起承転結のはっきりした噺だけに、小さくまとまりやすいところを鷹揚に構えて、長い旅の最中のハプニングをのぞくような奥行きを感じさせてくれました。
 古物商が口調は丁寧で物腰もやわらかながら、いかにも海千山千の抜け目なさがセリフや所作の端々に現れて、それだけに純朴そうな峠の茶屋の親父にしてやられるギャップを堪能させてもらえました。

三遊亭白鳥「老人前座じじ太郎」

 柳家喬太郎のコロナ罹患による代演。
 今年六十歳の還暦ながら落語界ではまだまだ若手という振りから、現在東京だけで噺家が900人いて前座がそのうち40人、これがこのまま少子高齢化が進んでますます前座の割合が少なくなり、とうとう真打1800人に前座が0なんてことになってしまった時代の話へ進んでいきました。

 人材派遣センターからやって来た80歳を越える前座が、真打に楽屋仕事を教わるものの、そこから引き起こされるドタバタを描いた噺で、そのおじいさん前座を教育するのが三遊亭天どんと実名使うあたりからボルテージ上がりっぱなしで、掛け合いの鋭さや迫力など最初から最後までとてもパワフルな高座でした。
 世界一短い天国の小噺「あのよー」はなんか癖になりました。

 もちろん噺の中でのくすぐりの一環なんですが、真打が1800人にも増えると仕事のない噺家も圧倒的に多くなり、本来なら二ツ目がするような前座への教育係という仕事も時給五百円で喜んでやるようになり、一方で派遣会社からやって来たおじいさん前座は時給千円などの風刺的な要素も含んでいて、おおいに笑いながらも背筋に冷たいものの走るリアルさも含んでいました。

米粒写経 漫才

 三遊亭白鳥の後仲入りをはさんでイロモノの漫才から。
 ジャケット、シャツ、パンツを黒で揃えたスーツ姿で、白いネクタイだけをだらんと垂らした「格好だけ見れば反社」のコンビで、林と森といった、似たような言葉の違いを解説するのに合わせてボケていくネタで、

「爆笑と大笑い」「大笑いは茨城の海岸じゃないか」

 というのはちょっと嬉しかったです。
 軽めの毒を含みながらもテンポよく、嫌いではないタイプの漫才師ですね。

柳家三三「たけのこ」

 春風亭一之輔の代演としての登場で、開口一番「笑点に魂を売った一之輔師匠に代わりまして」という一節があったので、もしかすると「笑点」の公開収録日だったのかもしれません。

 元来短い小噺のような「たけのこ」ですが、特になにかを足すわけでもない本寸法でやられるものの、掛け合いのよさが光って時間以上の濃密さを味わわせてもらいました。
 隣の隠居が好々爺としている分、咄嗟の機転がますます光り、主人公側よりも上手な感じが出て、例えば「あれほど言い聞かせておったのに」と無念さをにじませながらつぶやくといった切り返しが一層楽しめました。
 端整な語り口調が武士同士のやりとりに合っていて、おもしろい落語を聴いたとしみじみ思わせてくれる一席でした。

「たけのこ」といいますと柳家喜多八を思い出してしまいますが、こうして小三治門下の三三が演じられているのを見るのはなんとも嬉しい気分にさせてくれますね。

林家正楽 紙切り

 ご存知紙切りの正楽師匠。
 今回のリクエストは「初孫」「花魁道中」「フクロウ」でした。
 紙を切る間、のべつまくなくしゃべり続けるわけではなく、むしろ必要最低限で留めているのですが、それでも間を持たせる呼吸が芸なのだなあと思わされます。
 だからこそできあがりを目にした時の感動もひとしおです。

柳家権太楼「幾代餅」

 ゴールデンウイークの興行は毎年恒例だったとのことですが、コロナと体調不良でかなわず、今年は三年振りの開催ということで高座からの喜びが伝わってくるようでした。

 演じられた「幾代餅」は、こんなに笑える人情噺があっていいのかというくらいに大笑いにつぐ大笑いの爆笑編で、特に雇い主の搗き米屋の親方がこれ以上ないくらいに竹を割ったような性格で、主人公の清蔵以上に強烈なインパクトを持っていて登場するたびに笑わずにはいられません。
 けれども、花魁幾代に搗き米屋の奉公人である清蔵が恋慕を打ち明ける場面では、それまでの笑いの空気が瞬間的に引き締まり、厳然とした身分制度が社会全体を覆っていた江戸の現実が顔をのぞかせます。
 ただ権太楼の場合は、この緊張感もまた次いでの笑いの場面に向けての助走で、「来年の三月年季が明けます。その時にはあちきをお嫁さんにしてくんなます?」「くんなます! くんなますです!」というやりとりをきっかけに、さらに結末に向けて笑いの絶えない趣向を凝らしてくれます。

 この「幾代餅」は、私もCDで何十回と聴き返してきた噺で、マクラやくすぐりなど録音と同じというところも多かったのですが、そこはやはり年月を経て練り上げられた間や口調があり、変化を楽しませてもらいました。また、聴く側が普段おもしろいと感じていたところを、演者も手応えとして同じ演じ方をくり返しているのだと思うと、ついつい嬉しくなってきました。

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