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狂人への憧れ

最近、Huluに入会したので過去に見て好きだったドラマを見返している。
私の三大好きなドラマは「すいか」「結婚できない男」「カルテット」だ。
共通しているのは登場人物のキャラが濃いということ。

今はカルテットを見ている。
あることから弦楽器奏者4人が出逢ってひとつ屋根の下に暮らすことになるのだけど、メインキャラクターである4人はもちろん、関わる他の人たちもそれぞれが個性豊かで面白い。

中でも私が狂人だなと思うキャラクターが高橋一生さん演じる家森さんと、吉岡里帆さん演じるアリスちゃんの2人だ。

自分が他人にどう思われるかとか全く気にする様子のない言動が私のツボに刺さる。面倒臭いとか目が笑ってないとか言われても、気に留める素振りさえない。人間性を勘違いされたって、勘違いしたいやつはしとけばいいのだといった感じだ。その様が本当にうらやましくて、憧れる。

常に人からどう思われているかとか、あの発言は変に思われたかもしれないとか考えて悩んでクヨクヨする自分にはもううんざりなのだ。
でもそういえば昔は私も家森さんとかアリスちゃんまで行かずとも、近かったよな、と思う。

遡ること中学校時代。
周りから好奇な目で見られている男子生徒がいた。その子は私から見たら面白い子だったので普通に喋ったり、楽しく休み時間を過ごしたりした。それがきっかけで私たちが付き合っているという嘘の噂が立った。
母は、噂になった相手の子が変わり者のレッテルを貼られた子だったので心配していたが、私は「事実と違うのだから言わせておけばいい」と言っていた。
勘違いを全く気にも留めていなかった。
変人と言われても「はいそうですよ」という顔をしていたし、それの何が悪いんだ?と開き直っていた。
自分が間違っていると思ったことに対しては間違ってると言えたし、周りがヒヤヒヤする程のブラックジョークだって言えた。
真顔で「彼氏彼女が欲しいはわからない。好きな人いてこそ恋人になって欲しいに繋がるものだろ」とか言っていた。めんどくさ。でも正直で素晴らしかったなと思う。そして今もその考え方は変わらないし。

なのに今の私と来たら「どの方向から見ても角の立たない(どうでも)いい人」だ。大人になるってそういうことなのかもしれない。でも、なんだかつまらない人間になってしまったなあ。

本当の自分はもっと面倒くさくて、うっとうしくて、周りから見て腹の立つ奴なのに。
ある自己診断系サイトにあった「誰かに高く評価されると、その人が自分に落胆するのにどれくらい時間がかかるか考えてしまう。」という質問。今の私は本当にそれ。落胆されるのが怖い。失望されるのが怖い。それなら第一印象を繕わなければいいのに、それすらもできない。

私が人間関係を広げられない理由はここなのだろうな。私の学生時代を知ってくれている人たちにしかなかなか心を許せない。私の汚くてめんどくさくて鬱陶しい部分を知ってくれている人たちと居るのが1番気持ちがラクだ。

毎回新しいコミュニティに足を踏み入れる時、「今度こそはありのまま行くぞ!」と思うのだけど、結局繕ってしまうのだ。それも併せてありのままの自分と思うしかないのかもしれないけれど。
結局のところ、自分が変で面倒臭い人と思われたくないのではなく、変で面倒くさい人ということをバレたくないのだと思う。

「狂人への憧れ」というか、「本当はそういうとこあるよって隠さずに生きていきたい」のだ。隠さない彼ら(家森さん、アリスちゃん)に憧れているのだ。
しかし、まあ、もうこれからの自分には昔のように生きるのは無理だろうな。つまらない人間として生きていくことに、面倒臭いやつということを隠して生きていくことに、その場限りの心の平和とその場限りの楽チンを覚えてしまった私がいる。

でもきっと、ドラマ・カルテットのファンの中には私みたいな人がたくさん居ると思う。そう思うだけで少しだけ私の気持ちは軽くなる。

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