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赤虫#2

数メートル先に少女らが連れ立っていたので、少女は病院の東側を通らなければいけなくなった。 
 少女は畦道を行く。
 蚊柱が濃く視界を奪い、ぬかるみはソックスに水玉模様を作る。少女は休耕田からはみ出たヨシに膝丈を濡らしながら畦道を行く。
声を枯らしたカラスが一羽飛んで来る。どこまで続くのかわからない田園のはじまりの方から飛んで来る。カラスは少女を追い越して、なにかの死骸を突いている。
 この町はいつの間にか血生臭くなった、と少女は思う。
あれは猫か鼠か。顔が潰れてよおくは見えないが、小動物にしてはあの骨は太すぎやしないか。もしかしたら人間ではないかしら。
少女は首筋に冷たいものが流れるのを感じて駆け出す。残されたカラスはまだ若い夕日の中でシルエットになる。やっと抜けた道端には、生理用ナプキン。アスファルトにへばりつくそれに死にかけのミミズが這う。
 少女は思い出す。先の少女群の中心にいる少女を、甲高い笑い声を、膝裏の白いふくらみを思い出す。かの少女が机にわざと見せびらかす包の白を、「おんなのこのひ」と言う悪戯な顔を、いつも背負うテレキャスターの赤を思い出す。
 彼女こそ少女Aだ、と少女は口ずさむ。
 少女Aはギターボーカルである。少女Aが文化祭で流行りのアニメ・ソングを歌うのを、少女は体育館の小窓から覗いたことがあった。
テレキャスターは少女Aのブレスに合わせて弾む。キーホルダーのように弾む。そして、ピカピカの塗装に反射した照明が覗き見をする少女の狡猾な目を刺したのである。
 しかし、少女は怖じなかった。少女は汗ばむ胸ポケットから伸びるイヤフォンでそっと耳を塞ぐ。まじないのように手を合わせて、純情を叫ぶ男の曲を聴く。後ろめたいことのない、男の曲を聴く。男はアコースティックギターを弾いている。アコースティックギターは男の膝に落ち着いて、栄枯を、恒久を、人間の心臓の一片を見据える。そんな男の曲を聴く。少女はその夏、体育館の壁にもたれて、弾丸に撃ち抜かれた負傷兵のように目を瞑った。

 少女はやがて駅に着く。
 ロータリーで先ほどの少女群と鉢合わせる。少女Aが例の赤いテレキャスターを取り出し、少女たちに披露するところである。
 少女Aが鳴らないギターをジャカジャカ擦ると、やはり赤いテレキャスターは弾む。キーホルダーのように弾む。そしてやはり横を通り過ぎる少女の目を、反射した光が刺したのである。少女は少女Aが歌いだす前にイヤフォンを取り出し、やはり男の曲で耳を塞ぐ。

 アルバムはちょうど十二曲目まで終わって、また一曲目が始まる。曲の中の登場人物はまた生まれ変わり、同じ人生を通過する。回る銀色の円盤の上を否応なしに走るのである。時折、溝に足を取られて転がるが、それもまた一周前の、そのまた前の人生の繰り返しなのである。しかし本人は気が付いている。この人生が遥か昔から続く何周目かであることや、自身の靴底がすり減っていること、転がった時の痛みがいつも数ミリの違いを見せていることに。そして、この円盤から逃れることが出来ないことに気が付くのである。

 少女がそう思って黄線に爪先を揃えたのと、その後ろに立つ少女の白杖によって線路に落っこちたのと、ミミズが白い大陸に辿りついたのと、それを赤ランドセルが発見したのと、カラスが帰って行ったのと、少女Aがサビに入ったのと、夕日が地平に降り立ってもろともを赤く濡らしたのはほぼ同時であった。