宝塚歌劇 大運動会あれこれ(2023年7月)

みのおエフエムで毎月第4週目にお送りするコーナー『今月のMyスポットライト』は大好きな舞台やエンターテイメントを熱く語る時間。
今月のテーマは宝塚歌劇団の「大運動会」。
過去に開催された「大運動会」について、思い出をまじえながら番組内で語ったものを文字化した。
いつも以上に熱く語り過ぎ、時間の都合上、番組内で語れなかったことも掲載する。長文になるが、最後までお付き合いいただけるとありがたい。
なお、芸名は敬称略で失礼する。
また記憶違いがあれば申し訳ない。もしよかったらメッセージをお送りいただければ喜んで訂正させていただく。

宝塚歌劇の運動会

来年110周年を迎える宝塚歌劇団は、2023年7月10日、110周年の公演とイベントについての「宝塚歌劇110周年概要発表会」を行なった。
話題のインド映画の舞台化や、宝塚歌劇団のヒット作であり、節目節目に再演されてきた『ベルサイユのばら』など話題作がずらりと並んだが、私はそれよりも、大運動会が開催されることの方が嬉しかった。新型コロナウィルスが5類になってから110周年を迎えることができて本当に良かった。
ショービジネスの団体で運動会とは?と、疑問に思われる方がいらっしゃるかもしれない。しかし、宝塚歌劇団に在籍する人たちの身分は全員「生徒」なのだ。「生徒」と「運動会」と考えればしっくりくるのではないだろうか。
そして宝塚歌劇団は「組」に分かれている。組ごとに競い合う運動会、それを熱く応援するファン。盛り上がるのは必然であろう。
宝塚ファンになって47年の私には、自慢のタネが一つある。それは、ファンになってから開催された宝塚歌劇の大運動会を全て会場で、生で見ていることだ。
初めて見た大運動会は1984年、宝塚歌劇団70周年記念の大運動会だ。
以後10年おき、周年ごとに開催されてきたので合計4回見ている。
それではその時々の思い出をつらつらと。


70周年記念 大運動会(1984年)@西宮球場

この年、私は大学生で時間の余裕があり、宝塚大劇場には結構通い詰めていた。お稽古待ちなどもしていた。当時応援していた生徒さんが花組生で、ちゃんとしたファンの代表が決まるまで、頼まれて暫定的に代表をやっていた頃だった。
ちょうど花組『名探偵はひとりぼっち』の公演中に大運動会が開催されたと記憶しているから開催は8月か9月だったのではないだろうか。花組は1時公演を終えてからバスで西宮球場に向かったと記憶している。
のちに、応援していた生徒さんから運動会当日の楽屋の様子を聞いた。当日花組の楽屋では「公演中に怪我したくないから、運動会は適当にしよう」という意見もちらほらあったらしく、みんなおっとり、のんびり構えていた。しかし、当時の花組組長 但馬久美が楽屋内放送で「今日は大運動会の日です。みんな、全力を尽くして頑張りましょう!!(自分で聞いたわけではないので、言葉は正確ではない)」と檄を飛ばしたとたん、楽屋全体から戦場のようにウォーっと鬨の声が上がったらしい。きっかけ一つでノリノリになってしまうタカラジェンヌの一面を見た、とその生徒さんが語っていた。
さて、一方私たちファンはどうしていたかというと、応援グッズなどを持ってそれぞれが阪急西宮球場に向かった。ほぼ全員が阪急電車に乗って行ったのではないか。何しろ宝塚(または宝塚南口)駅から電車一本、20分もあれば行ける西宮北口に球場があったのだ。今の西宮ガーデンズがある場所だ。
ちなみに、阪急西宮球場は宝塚歌劇とは親戚に当たるプロ野球パ・リーグの球団 阪急ブレーブスの本拠地だった。収容人数は35,000人とも、40,000人とも発表されていた。そんな巨大な球場での大運動会、宝塚歌劇団も今ほどアナウンスしていなかったので、チケットの心配は全くナシ。おそらく行けば誰でも見られたのではないかと思う。
私は当然花組の応援席に陣取った。

初めて見る大運動会は本当に楽しかった。劇場で観劇している時には声を立ててはしゃぐことはできない。せいぜいご贔屓に対して爆竹のような拍手を送るくらい。それが大運動会では心置きなく大きな声を出してご贔屓を応援できるのだ。自分の贔屓だけではない。「組」対抗がこんなに熱を帯びるものかと、現場にいて思った。
先にまとめておくと、70周年記念の大運動会で印象に残ったのは月組の選手入場、綱引きは足袋に限る、花組生フライングの濡れ衣の3点だ。
それぞれについて語る前に当時の各組のトップスターを記しておく。
花組 髙汐巴、月組 大地真央、雪組 麻実れい、星組 峰さを理。

1.月組の選手入場

 宝塚歌劇の大運動会において、選手入場は大きな見せ場だ。普通の運動会の入場行進とは全く違う。組ごとに大いに趣向を凝らして、数分間踊る、歌う、芝居をする、言うなればショーのひと場面のようなもので、私は選手入場を見るだけでもチケット代の元は取れると思っている。
 これは私の推測だが、70周年の大運動会では、各組単位で仕切っていたように思う。というのも、当時はマイケル・ジャクソン「スリラー」が大ヒット中だったために、花組と星組の両組が「スリラー」を踊ってしまい、私は心の中で「ああ、星組とかぶってしまったか…」と少々がっかりした。80年以降は組ごとの秘策はあるにしても、趣向がかぶることがないように全体的に目を配っているように感じられる。
ともかく、花組と星組はスリラーかぶり、雪組は当時「和物の雪組」と言われていたことと、次の作品『千太郎纏しぐれ』の稽古中だったこともあってTシャツの上に組カラーの黄緑色のハッピ、ボトムスはキマタ(祭のハッピの下にはく、ショートパンツのようなもの)で足袋はだしという、他の組とは全く違う出立ちで目立っていた。入場行進の最後を飾った月組は、トップスター大地真央がブルペンからリリーフカーで登場。リリーフカーの運転手は当時二番手の剣幸。大地真央の声で録音されている音楽に乗って月組生が踊るのだけど、その曲がなんと「炭坑節」。「月が出た出た」だから炭坑節なのだろうが普通に歌うと単なる盆踊りになるところを、歌詞は英語に、曲調はロックにアレンジされており、やたらとかっこいいのだ。おまけに鳩まで飛ばすではないか。最後はみんな腰に刺していた小さな旗を取り出し「今夜は月組すごいですね、すごいですね」と当時はやっていた所ジョージさんのセリフの手旗信号まで繰り出す。音楽、大道具小道具、全てが大掛かりで、花組ファンの私としても月組の入場パレードのオリジナリティとクオリティが突出していることを認めないわけにはいかなかった。後で聞いたところによると、月組は当時東京公演中で、他の組に全く情報を漏らすことなく、極秘で練り上げたとのこと。総合プロデュースはミヤイさんこと条はるきだったとも聞いている。

2.綱引きは足袋に限る

 トップスター麻実れいの性格によるものだろうか、雪組はどの競技でものんびり、のほほん、目を引くところはほとんどなかった。それなのに組対抗の大綱引きでは他を寄せ付けないほど強かった。その理由は足袋はだし。
競技が行われたのは西宮球場の内野で大綱引きではマウンドを横切るように綱が置かれた。他の組の生徒の足元は運動靴。マウンドの土の上で滑ってしまうのに対して、足袋は土をしっかり掴んで滑らない。いくら引っ張っても踏ん張って最後に勝ってしまう。引き負けた他の組の生徒が「次から綱引きは足袋はいてやる!」と誓ったと聞く。

3.花組生徒フライングの濡れ衣

 多分、大運動会最後の組対抗リレーでのこと。
 花組の第一走者はピノさんこと瀬川佳英。ピストルの音と同時に飛び出した。ところが、ピノさんの反応がアスリート並みに鋭かったことと、他の組の生徒が一瞬遅れて、しかも揃ってスタートしたため、まるでピノさんがフライングしたように見えてしまった。もちろんフライングではなかったので、競技はそのまま進められたのだが、かなりの間、ピノさんはよその組の上級生から「アンタか!フライングしたのは?!」と責められたそうだ。花組ファンとしては悔しい。

優勝チーム:月組

 星組と僅差で月組が優勝した。


80周年記念 大運動会(1994年10月18日)@阪急西宮スタジアム

 私はすでに社会人になっており、忙しすぎて見逃す公演もあるような状態だった。私史上、宝塚熱が最も低い時期だった。だが、大運動会はしっかり見に行った。名前が阪急西宮スタジアムに変わっていたが、70周年と同じ会場だ。チケットも前売りを買った記憶がない。当日ふらっと行ったら入れたように記憶している。
この大運動会で印象に残っているのは、月組の入場行進と、星組の優勝だ。
各組のトップスターは下記の通り。
花組 安寿ミラ、月組 天海祐希、雪組 一路真輝、星組 紫苑ゆう

1.月組 入場行進はセーラームーン

やはり月組は「月」にこだわるのだな、と思った。
トップスター天海祐希がセーラー戦士に扮することがマスコミに知らされていたのだろう、かなりのマスコミが取材に来ており、翌日のスポーツ新聞の一面を飾ったのを覚えている。この時、新進男役だったズンちゃんこと姿月あさとがタキシード仮面で、とてもカッコ良かったのも忘れられない

2.星組優勝

前回、70周年記念の大運動会の時、惜しくも優勝を逃した星組で、涙を流した紫苑ゆうが、トップスターとして迎えた80周年の大運動会。退団の時期も近かったこともあり、大運動会優勝をもぎ取りたいと「何がなんでも優勝だ!!」と叫んで組子たちを鼓舞していたのが大変印象的だった。望みが叶って優勝した紫苑ゆうの大満足の笑顔も忘れられない。

90周年記念 大運動会(2004年10月12日)@大阪城ホール

大きな変化は会場の変更だ。阪急グループだったプロ野球チーム 阪急ブレーブスがなくなり、本拠地の西宮スタジアムも取り壊されて商業施設になった。なぜ大阪城ホールだったのかは知らない。天候に左右されないということが大きかったのかもしれない。
客席数が圧倒的に少なくなったのに、大運動会の開催が広く知られるようになり、チケットの入手が極端に困難になったことが一番の思い出だ。
そして、室内での運動会というのに違和感を覚えた。
各組トップスターは花組 春野寿美礼、月組 彩輝直(当時)、雪組 朝海ひかる、星組 湖月わたる、宙組 和央ようか。
この大運動会では、浜村淳さん、関西テレビの関純子さんのお二人が総合司会を務められ、「宝塚の大運動会にプロの司会がついた」と驚いた記憶がある。それまでは、専科のキッシャンこと岸香織のように、トーク力があり各組に顔が効く生徒がマイクを握っていたように記憶している。
この大運動会で印象に残っているのは、各組応援合戦での星組湖月わたるのダンスと、椅子取りゲームで娘役さんが強かったことくらい。
優勝は彩輝直率いる月組。

100周年記念 大運動会(2014年10月7日)@大阪城ホール

元月組トップスター真琴つばさと、宝塚ファンを公言している元フジテレビアナウンサー笠井信輔氏が総合司会を務め、元月組トップ娘役の陽月華、蒼乃夕妃がレポーターを務めるなど、90周年記念よりも一層ショーとして行き届いた構成になっている印象を受けた。チケット入手の困難さも90周年の時以上で、私は雪組ファンの方からチケットを譲っていただき、なんとか、雪組ファンの応援席の最後列で見ることができた。
各組トップスターは花組 明日海りお、月組 龍真咲、雪組 早霧せいな、星組 柚希礼音、宙組 凰稀かなめ。
一番最近の運動会なので語り出すとキリがないので3つに絞ろう。印象に残っているのは、月組の入場パレード、柚希礼音の本気度、新競技 ダンシング玉入れだ。

1.月組の入場パレード

 月組は、龍真咲が自転車で登場。と言っても単なる自転車ではない。後部に巨大な三日月を作りつけたバイクのように仕立てた自転車をブイブイ言わせる龍真咲はノリノリだった。その自転車を追いかけて走り回るのはトップ娘役 愛希れいか。真紅の学ラン姿が男前で、一世風靡セピアの『前略、道の上より』でのダンスでは、180度股関節が開いたスクワットを見せてくれた。本当に身体能力の高い娘役さんだった。

2.柚希礼音の本気度

 80周年記念大運動会で念願叶って優勝をもぎ取った星組が、90周年記念の大運動会では優勝を逃し、再び悔し涙に暮れた。その雪辱を果たすべく、柚希礼音は入場パレードから気合全開で、本気で優勝を狙っていることが見てとれた。
そして優勝が決定した時、大きくて丸い目から涙がボロボロ。びっくりするくらい泣いていた。もしかしたら、星組OGから相当なプレッシャーをかけられていたのかもしれない。まるで高校野球の強豪校のように。

3.新競技「ダンシング・玉入れ」

 どこの運動会でもある競技 玉入れを宝塚流にアレンジ。びっくりするほど面白い競技が誕生した。
 ルールは、音楽が鳴っている間は踊り続け、、音楽が止まったら玉入れをする、また音楽が始まったら玉入れをやめて踊り、音楽が止まったら玉入れ…というもの。椅子取りゲームの応用だと考えていただけばわかりやすいかもしれない。笠井アナが説明すると会場からはどよめきと笑いが起こった。
 この競技は全組同時に行われるのだが、ダンスも採点されるということで、どちらも手を抜くことはできない。各組異なる振り付けで本気で踊り、見応え十分。全組のダンスを見たいのに、目が追いつかず、自分の目が二つしかないことが残念に思われるくらいだった。迷った末に、ダンサー柚希礼音が本気で踊る星組に注目することにした。柚希礼音は夢咲ねねを軽々リフト、本公演以上にぐるぐる回していた。
 本気のダンスと玉入れの切り替えは予想以上におかしすぎて、ゲラゲラ笑いながら応援するという、これまでになかった競技に、大きな拍手がおくられていた。この競技はぜひ、大運動会の定番にしてほしいものだ。
ちなみに、ダンスの際に使われていた音楽は、1982年の星組公演『魅惑』で歌われた「魅惑のサンバ」。ルミさんこと瀬戸内美八の明るい歌声が大阪ドームに響き渡り、笑いながらも懐かしてくてなんだかジーンとした。

そして110周年記念 大運動会(2024年10月16日)優勝の行方は?

宝塚歌劇の大運動会が初めて開催されたのは大正11年、音楽学校の行事として行われた。昭和3年から12年までは毎年行われていたという。戦後は昭和25年、26年に開催。そこからしばらくは開催されていなかった。
そして1974年(昭和49年)、宝塚歌劇60周年記念として運動会が開催されることとなった。場所も西宮球場。この時は大滝子・榛名由梨を中心とした月組が優勝。
1981年(昭和56年)は愛読者大会の代わりとして開催され、松あきら・順みつきがWトップだった花組が優勝している。私はこの運動会をテレビ中継で見たが、生で見ていなかったことと、編集されたシーンのみだったこともありほとんど印象に残っていない。
上に書いたように、以後は月組、星組、月組、星組と、両組が交互に優勝している。順番から言えば次は月組が優勝するのだろうか?
私はこの法則(?)を無視して、星組が優勝するのではないかと予測している。ぜひまた自分の目で、それを確かめたいものだが、チケットが手に入るかどうか……
大阪城ホールではなく、阪神甲子園球場で開催してくれればもっと大勢のファンが見られるのに。120周年にはぜひそうして欲しいものだ。

最後に、110周年記念大運動会に出場する生徒さんたちに。
10年に一度しか開催されない大運動会。一度も出場しないで退団するかたも多いかもしれない。
大運動会では優勝を狙うため、入団したばかりの下級生がリレーで大役を担い、大いに活躍して名を馳せることもある。大綱引きやリレーで所属する組の団結力を目の当たりにして感極まり涙する生徒も多い。
ファンが楽しみにしているイベントが、生徒さんのためにもなることを祈っている。
一方で、一生懸命のあまり、怪我をしてしまう生徒さんも。体には気をつけながら、ぜひ歴史に名を刻んでもらいたい。

(2023年7月26日)

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