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段々畑に魅せられた人たちとイタリアで

イタリアの中部、海沿いにあるヴェルナッツァというまちに滞在した。世界遺産にも登録されている有名な地域で、カラフルな街並みに魅せられて夏は観光客が押し寄せるらしい。
オフシーズンの12月は観光客はまばらで、閉まっているお店も多い。人口700人ほどの小さなまちではみんながみんな知り合いな感じ。店先で出会って立ち話がはじまる光景をよく見かけた。夏は夏で活気があるんだろうけど、観光客で溢れかえるよりも住民が多い季節の方がずっと落ち着く。

ヴェルナッツァや連なる土地を総称するチンクエ・テッレを検索すると、こんな感じの写真がたくさんヒットする。

カメラの位置を左にずらすとこうなる。

右側にグイッと向くとこう。

急勾配の斜面を這うように石積みがずらり。栽培しているのはブドウとレモンとオリーブがほとんど。よくぞここを耕作したもんだと感嘆せずにはいられない。

日本で中山間地で米づくりや野菜づくりをする人たちを見るにつけ、大変そうだと思うけれど、こっちはさらに容赦ない。耕作機械は運び込めないだろうからどうしても手作業になる。歩き道も細く、慎重に歩かないと落っこちてしまう。「時々転落する人がいるから気をつけて」と冗談混じりに言われたが、これは普通に落ちると思う。

段々畑は目を見張る風景だけれども、作業するのも一苦労だし、サボテンはどんどん生えるし、メンテナンスがとにかく大変そう。さらに村の人口自体も減っている。ところどころに崩れた石積みが、その困難さを物語っている。それでも、1000年以上に渡って先人が作り上げてきた耕作地を失くしてたまるものか、という意地みたいなものも同時に伝わってくる。

ちなみにイタリアには石積みの修復に対する補助金がある。景観の維持においてその政策の果たす役割は大きいのではと思っていたけど、実際は書類の準備が大変だし、申請時期も一番忙しい夏だったり条件や制限も色々で、申請しないケースもあるのだそう。仕組みがあるから維持される、という簡単な話ではないんだろうな。

プロの農家は少なく、趣味的に栽培をしている人が多いそう。マルゲリータの弟は所有する土地のブドウでワインを年間100リットル分ほど作っているけれど、ビジネスにするには量も足りないし手間もかかるので販売はしていないのだとか。これまた仕事になるから維持される、という話でもなさそう。

コロナを機に再整備された一帯もある。世界的疫病によって時間ができて、自分たちの暮らしを見直し、段々畑を取り戻そうという流れが起きたらしい。


海に面したこのエリアは長きに渡り水害に悩まされてきた。2011年には集中豪雨によって大規模災害が起き、復興に数年を要したという。水はけの悪い石畳の道や階段は、通常の雨の日でも滑りやすく危なさを感じる。過去にも土砂崩れがあり、修復を繰り返してきた。

自然に対する価値観は西欧と東洋の対比が引き合いに出されることがしばしばある。すごーく雑に言うと「西欧は自然を人間によって管理する対象と捉え、東洋では自然は人間にはコントロール不能な存在であると捉える」みたいな。西欧文化を語れるほどの経験も知識もないけれど、本当にそうなの?とは思う。ヴェルナッツァはじめ海の近くに住む彼らは、常に水は畏怖の対象ではないのだろうか。悩まされながらも、それでも段々畑を作り、抗えない自然とともに生きてきたのではないだろうか。

食に対するリテラシーの高さはどこから?

「スローフード」の発祥の地とされるイタリア。DOCGやDOCといった産地認証ラベルが貼られたワインもよく見かける。
20年ほど前にはエリア一帯でオーガニックに転換する動きがあったと聞いた。チンクエ・テッレ一帯も同様にオーガニックなんだそう。「オーガニックの方が高く売れる」というインセンティブは確かにあるようだけれど、とはいえ抵抗した人も多かったんじゃないのだろうか。慣行農法が普及していたならばどのように合意形成をしていったんだろう。気になる。

こうした食に対するリテラシーの高さは一体どこから来るんだろう。何人かに聞いてみると、「イタリア人は食べるのが好きだからねぇ」という返答。でも食べるのが好きなのは日本人だってそうですよ。
イタリアで感じたのは、家族の結びつきがとても強い。「自分ちの家系は800年前からここで暮らしている」とさらりと話す人もいた。昼過ぎで学校が終わるから、子どもを迎えに行って一緒に昼ごはんを食べる親も多い。道を歩いていても家族経営らしき店の多さが目につく(チェーン店が少ない)。
家族で食卓を囲む機会が多いと、自然と食について交わされる話も増える。「手づくりが一番おいしい」みたいな感覚が備わっているのは大きいんだろうな。
いや、家族だけに限った話でもなさそう。スーパーで生鮮食品は、パック売りもあるけれど、大半は量り売りだった。店員さんと談笑しながら魚や肉を買っていく人たち。こうした一つひとつの会話の積み重ねもあるんじゃないかな。

あ、あとスーパーで印象的だったのは野菜も量り売りということ。イタリアに限った話じゃないけど。野菜の大きさは不揃いで当然で、自分に必要な量だけ取って、自分で測って買う。最初は慣れなくて戸惑ったけど、すぐ慣れる。これなら形を揃えて同じ重さにしてパック詰めする手間、農家が負担しなくていいのになー。

秤に乗せて買いたい野菜の番号を押すと値段シールが出てくる


石が語るその土地らしさ

マルゲリータの土地で石積みの修復作業をした。以下、石積み未経験の人にはなんのこっちゃ伝わらないだろうメモ。

  • 作業道を確保しないといけない分、日本のように石積みの傾斜をつけて積むことができない。垂直に積んでいく。急勾配で耕作地自体も傾斜地になっていて崩れやすそうでハラハラする。

  • 石積みの内部で水が滞留せず流れていくことが大事なので、水の通り道をつくるようにグリ石を並べる。これは日本では特に意識したことがなかったので新鮮。

  • 平積みのように段を揃えることは重視しない。が、だいたい合わせておくと次が積みやすいので小さな石を使って高さ調整をする。

  • ツラ(おもて面)を揃えることにはこだわらない。マルゲリータ曰く「強度にはあまり影響がない。農の仕事なので美しさよりもスピード重視」。

  • 石は削らない。棚田での作業は石を削ってしまうと積み石が足りなくなった時に超大変だから。イタリアの石積み職人は石を削りたがる人が多いらしいけど、ここでは石そのものの形を見て合わせていく。この点は日本の積み方と近い。

  • この土地は細長い石が多いのが特徴。熟練者の中には「石が悪い」なんてことを言う人もいる、とマルゲリータは憤慨していた。「これがこの土地の石なんじゃボケ。どこかから運んで持ってこいっちゅーんかボケ」。 ※意訳です

5年ほど前に高校生と一緒に初めて石を積んで以来、すっかり石積み好きの人になってしまった。何がそんなに楽しいのかって、積んでみて体感してほしいのだけど。もっぱら眺める対象だった「風景」が、手を入れていける対象へと大きく転換される感覚。これは結構革命的ですよ。

石積みの奥深さを教えてくれた人たちの記事が先日公開された。


作業終わりに段々畑から。多くの先人はこの景色を眺めてきたんだろう


滞在中には近隣エリアの段々畑や採石場跡地にも連れていってもらった。石積み天国。

石壁の道
ここでオリーブオイルを作っていたんだとか


段々畑を整備してツーリストが訪れることのできる空間をつくろうとしている地元の青年。高齢の方々が土地の記憶について話を交わせるティーパーティを企画するイギリス人女性。それぞれのやり方で土地を未来につないでいこうとする人々に出会った。

日本に帰ったらまずは庭の石積みを積み直そう。


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