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【2021年の振り返り】広告運用者は広告運用だけをしていてもだめです

2021年ももう終わる。ちょうど1年前のこの時期に、前職で積もりに積もった広告運用者としての鬱憤を書きなぐっていたのだろう。

それが気が付いたら、広告運用の界隈で少しだけ話題になった。バズというにはおこがましいが、多くの運用者に共感と教訓を与えられたら本望である。

あれから、状況は大きく変わって以前まででは経験できないことをたくさん経験できた1年だった。自分の仕事のスタンスに向き合うことも多く、壁にぶつかったことも数知れず。おかげで「自分の仕事の幅がいかに狭く、ここからこの視座をいかに引き上げるか」が、今の自分の課題だと感じた。年の瀬なので、私自身の振り返りと教訓も含めて、特に広告運用者で2~3年経験して、そろそろ次のキャリアをと考えている人にはぜひ読んでほしい。


1月:退職交渉でもめまくった

2020年のクリスマスに現職への転職が決まったが、ここからがまず1つの山だった。当時、私はチームのマネージャーへのマネジメント方針・人間性、今後のキャリア形成が見込めず転職を考えていた。だが、最初に社内相談しないといけないのが、よりによってそのマネージャーなのだ。「あなたのせいでこの職場をやめます」と言えるほど肝は据わっていない。

結局行きついた方針としては、出向していた身分を利用し本籍の人事に相談、その後本籍でお世話になっていた部長と話し合いを重ね、もし退職ハラスメントにつながりそうであれば、裏からすべて手引きをするという担保をもとに交渉対策を行った。とはいえ最後は「もう転職先は決まっていますので」の一点張りで乗り切った。

これは後日談だが、当時自分の所属していたチームは20人ぐらいの営業と運用が一緒にいる中規模組織だったが、熟練の運用者の退職が相次いでおり、マネージャーは頭を抱えているらしい。2020年11月(運用歴1年半)、2021年1月(運用歴4年半)、2021年3月(自分)、2021年4月(運用歴3年)、2021年9月(運用歴3年半)とこの業界ではベテランと呼んでいいクラスの要の人材がどんどん流出。さらに、4月から新卒の受け入れと大規模案件の受注をしてしまったため、チームはより残業が多くなり、メンバーは平日はまともに睡眠時間も取れないほど追い込まれているみたいだ。もちろん今でも親交のあるメンバーもいるが組織観点であれば、去った組織の話など今更助けられるほど、私も人間はできていない。


2月、3月:ウィニングラン

退職交渉が無事まとまり、有給や使えてなかった夏期休暇()を使おうと思ったが、思った以上に引継ぎ業務が逼迫。最後の10日ぐらいしかまともに休むことができず、さらにコロナの蔓延もあり旅行にも行けずで、ただただ時間が流れていく日々だった。


4月:無事転職!右も左も分からず、案件にアサイン

とうとうこの日が来た。社会人6年目で3社目の職場だ。

「中堅不動産デベ」→「大手Web広告代理店」→「プラットフォーマーと代理店の間ぐらいのスタートアップ」と進んできた背景を見てみると、今回はチャレンジングな選択だった。

決め手は「会社の成長、組織の成長、個人の成長をリンクさせる社風」だ。4か月に1度部署が変わる1社目、スキルは付くがあくまで大企業の歯車だった2社目を経験して、ここまで自分の将来に寄り添った会社に出会ったことがなかった。そして、私が生まれ育った故郷(香川)に恩返しをしたいという思い。ここまでの思いにプラスして「地方をフィールドにできる仕事」「マーケティングの上流を経験すること」という業務への志望、また今まで培った広告運用のスキルが重なった結果だったと感じている。

組織としては、代理店業務をメインとして、主にGoogleマイビジネス(現:Googleビジネスプロフィール)の運用をメインとし、そこからさらなる顧客のマーケティング課題の解決、クロスセルの提案を推進することがミッションとなった。

だが、あくまでスタートアップなので、朝令暮改も当たり前。いきなり他部署で受注していた大手アパレルメーカーのプロモーション企画にアサインされ、YoutubeとFacebookの運用をいきなり担当することになる。実は、Youtube広告の運用経験は数回あるものの、Facebookはほぼ0。前職での運用tipsを必死に思い返しながら、入稿と設定を進めるばかりだった。

厄介だったのは、このクライアントは一癖も二癖も強く、紹介先のベンダーやマージンだけ抜いていく1次代理店など関わるプレーヤーが多いこと、また外資系だったため詳細なエビデンスを求めるのにチェックバックはいつも期限を破るという悪条件が重なっていたことだ。

営業の方もグリップしきれないことが多く、結果として単月での配信に終わってしまった。同じ代理店業といっても、社内tipsや運用体制などがこうも違うとバリューが出せないものなのかと、自分の力不足を思い知った4月だった。だが、これはまだ序章にすぎない。


5月:部署がなくなった、そしてリーダーになった

面接したときの役員が、私が入社した部署の部長も兼務しており、満を持してここからやるぞという矢先だった。組織改編だ。

会社のメインであるOMO事業にリソースを投下、さらに営業と運用の分離を図り、自分のキャリアを築くための部署は縮小せざるを得ない状況になった。会社からの判断は、当時向き合っていた地方自治体での粗利確保のハードルが高い(基本的に地方自治体は毎年予算を大きく変えるので、毎年コンペみたいな状況)、クライアント数は増加しているものの中長期的なビジネス拡大が見えないことが規模縮小の要因だった。

しかし、私のミッションは変わらず、むしろリーダーに任命されるという重役も担うことになった。確かに、部署のメンバーはほとんど私より年下、業界歴も長い(2年半ぐらいしかいないけどね)ということで、みんなを引っ張る立場であってほしいという会社からの期待だった。

さらに、4月のアパレル案件により、広告運用チームも兼務という形だった。正直、兼務というのは当初は自分のリソース配分を考えながら進めているので(特に前職は優秀な方が兼務を務めておりそのイメージも先行)、いいとは思ってはいたが、後を振り返ると中途半端になりがちなことが多く、組織観点で客観的に評価をするとマイナスなことも多かった。特に、組織で関わるプロダクトの理解が遅れ、「業務が分かっていない人が上に立つ」というハードな設計になってしまった。


6月、7月:兼務の部署でリクルート案件をやった

Web広告の業界であれば、一度は耳にすることはあるだろう「リクルート案件をやった人はバキバキになる」

前職でも「R局」なるものが存在し、リクルート専用の対応チームがあった。中途・新卒ともに、初期研修の結果が良い人が配属されるが、一方でその案件の厳しさから離職者も多い、まさに「不夜城」と呼ばれるチームの1つであった。

そんな中、兼務先のチームでリクルートのとある商材のダイレクト案件があった。

案の定、対応工数も多く、クライアントもメンバーも深夜まで業務に取り組んでいた。メイン担当は、自分の1か月前に入社した元大手代理店のプランナー(営業と運用のハイブリッド)。彼自身は言わずもがなというほど優秀なのだが、それでも対応が間に合わない。サポートメンバーはいるが、オペレーション担当と新卒(入社数か月)しかおらず、案件進捗が悪いのに要求ばかりが増えていくという負のスパイラルに陥っていた。

アパレル案件が止まり少し手すきになったのもあり、正直怖さもあったものの、上司と相談して私はこのリクルート案件へのジョインを決めた。

メイン担当のプランナーはどちらかというとSNSの運用とディレクションに強みがあったので、私はSEM領域と案件の業務改善に取り組んで、業務分担と互いのフォローを進めた。その中でも特に問題だったのが、レポート更新だった。手動で更新する内容も多く、ミスが重なりクライアントからも叱責されることもしばしば。ここで、前職でやっていた300CP同時運用でのレポートFMT作成のスキルが役に立ってしまった。毎週チェックも含めて10時間以上かかっていたレポート作成が3時間程度に収め、ミスもなくなった。そして、何よりもこのルーティンワークへの対応時間を成果改善の施策に充てることで、CPAも改善していった。

「営業が分かる運用」「運用が分かる営業」はこの業界では重宝される。そして、営業と運用がきちんとコミュニケーションが取れている案件はうまくいく。まさにそれを体現したかのような4か月だった。この案件は期間限定で9月末をもって終了し他社での運用になったが(費用対効果で合わないので、継続を断った)、この案件から学んだことは多かった。「案件をチームとして取り組むことの意義」「営業のディレクション力」「運用が担う1.5列目の重要さ」「細部とロジックに拘り抜く姿勢」「新規事業でのwebマーケティングの立ち位置」何よりも一緒に戦ったメイン担当のプランナーに本当に何度も救われた。今はお互いに別の部署にいるが、またどこかで仕事をしたいと互いに思っているだろう。


8月:研修用のコンテンツをつくる

リクルート案件が少し落ち着き始めたころ、会社全体で広告運用のオペレーションチームの立ち上げのために、初期のマニュアルを整備することになった。それに伴い、社内の運用担当者の中から数名で、研修用のコンテンツ作成に取り組んだ。

ここで感じたのは、「微妙なノウハウのずれ」だった。例えば、同じ検索広告の運用に関しても、いつまでも同じキーワードや広告文で運用していれば成果が上がるわけではない。どのようにチューニングするか、その時々で最適な入札戦略は何かがやはり意見がずれる。

会社のプロジェクトメンバー、特に歳も近いのでお互いに譲らないこともあったが、最低限のFMTは整ったとは言える。しかしながら、そのオペレーションプロジェクト自体が頓挫するというスタートアップの洗礼を受け、何とも居たたまれない気持ちになった。


9月:とある案件での先輩追放事件

当初配属されたGMBのコンサルチームで、唯一大きなアップセルのチャンスがあったときの話だった。

当時、Googleマイビジネスの整備が中途半端になっている案件があり、今後の社内DX化の先駆けとして、Googleマイビジネスの完備とYoutube広告の並立の提案があり、またとない機会をもとに、私はこの案件のスタート時期から関わっている営業とともに、電車と車で3時間をかけて先方に挨拶に向かった。※今までの向き合いの担当者が退職されたので、新任と上長の方も含めて。

いざ到着し名刺交換を行ってから、今までの配信実績や実績改善を資料をもとに話をしていくが、クライアントの顔色はピクリとも動かない。むしろ気付いたら首をかしげるシーンが増えていく。MTGが始まってから30分ぐらいしてなんとなく察したが、おそらくこちらの使用している日常言語が全然理解されていないと踏んだ。コンバージョンとは何か、表示回数とは何かというweb広告なら当たり前の指標が分かっていないみたいだ。

ここから怒涛の質問タイムが始まったが、不穏な空気は拭えない。MTGが終わったときには、「なんとか乗り切った」感しかなかった。後から思えば、当初の施策の目的が整理できていないまま実行されており、新任の担当者もどう判断すればよいか分からなかったのだろう。

そして翌週、先方から衝撃の一言が告げられた。

「〇〇さん(先輩)、この案件から外してほしい。今後社内でテストマーケティングを行う上で、今までの経緯から察するに細かいことを検証できない人がいても難しい」

これが辛かったのは、タイミング的にその先輩からこの案件の改善MTGを先に入れられていたことだ。肝心の部長は運悪く夏季休暇。断腸の思いでそのMTGの冒頭で伝えた。

「〇〇さん、先方が外れてほしいって言ってます。先ほど新規のSlackのワークスペースも招待されており、私にはどうすることもできません」

その後、私一人で進めていたがなかなかテストマーケティングも進まず、この年末でやっと目途が経ったぐらいだ。先にも後にも上司に対して「案件から外れてください。クライアントが言ってます」と伝えることはないだろう。

そして思い返せば、序段の記事が多くの人に目を止めてもらえるようになったのも、この時期からだった。いろんなことに巻き込まれている中で、改めて社内の人にもパーソナリティを理解してもらえた良い機会だった。


10月:新チームに異動

9月のタイミングで組織がまたガラリと様変わり。このタイミングで私も異動になった。GMBチームから、馴染みのある広告運用のチームへ。さらに前職でやっていたような既存案件の運用だけでなく、新規案件での受注を目指す営業チームに来ることになった。

個人的に広告運用の細かい各論はある程度は分かるものの、フロントコミュニケーションも含めて完全メインで行うのは初めてだった。

ここでは既存案件+αでの売上貢献と、新卒の教育がミッションとなった。前職で、有数の精鋭が務めあげつつもタイミングが悪く配属されなかった教育チームでの業務のリベンジを行う恰好の機会だ。

とりあえず、新卒での不動産会社で行っていた鬼のテレアポの内容を思い返して(1日TEL200件近く目標)、そして今だからこそ思う不動産企業の脳筋営業(すべての不動産会社がそうとは思ってませんw)から、中間指標を設けてPDCAを回す姿勢を作り出した。既存リードの良さもあり、メンバーが運よく受注することもあった。

しかしそれ以上に大変だったのは、チーム編成だ。21卒3人に11月からは22卒のインターンも加わった。持っている案件も、金額規模が少ない上にある程度の最適化ができているので、目立って手をつけるところがない。よって、案件は持っているものの実経験の幅が少なくどこか頼りない印象だ。スタートアップなので社内の教育体制もまだまだである中で、彼らを育てつつ数字も作るかなり難しいミッションだった。

もちろんGMBチームの引継ぎが終わってからは、新卒たちから質問攻めの毎日。頼られることは嬉しいが、「どの案件もある程度介入しないときちんとまとまらない」のではないかと、前途多難の思いを抱えていた。

酒にも入り浸ってしまった。部長からは「意外と酒が強い」というレッテルをもらったが、飲みすぎてクライアントとのアポを欠席するという黒歴史をつくったのもこの頃だ(本当に反省してます)。


11月:13社による競合コンペ

新規チームは、がっつりテレアポとかも始めるものの、社内の紹介案件も積極的に対応するようになった。その中で、とある案件でのコンペを引き受けることになる。

そのクライアント先に訪問して合同のオリエンテーションを受けていると、どうやら参加している企業が多い。なんと総勢13社もいるではないか。さらにプレゼンも2回行うとのこと。与件も未確定なものが多く、実数値の提示はなく、完全なマーケティングプランの戦い。

正直、今の地力だと1次を突破するのがなんとか。金額も前職の感覚からすると、この案件にはあまりリソースをかけ切れないのが実情だった(おおよそ半分ほどが事前に社名を公開していたが、準主力の代理店がほとんどだった)。

コンペまでは1か月。スケジュールも引いて市場分析も行うものの、クライアントにインパクトを残せるほどの圧倒的な答えがでない。考えれば考えるほど王道の内容ばかりで、差別化できていないのが良くわかる。苦し紛れでクリエイティブチームに話をすると、「いっそのことペルソナを絞らずに全方位で狙って、後からペルソナを見つけたらいいのでは」という意見をもらった。

最初この案を聞いたときには活路を見出した予感はした。一方で、運用は地獄だとも感じた。今回の案件はコンバージョンがなかなかつかず、適切なターゲティングが図りにくいことがネックであり、提案としては、敢えてそこにフォーカスせずに、あらゆるシチュエーションに対応するというものだ。この検証なら、確かにクライアントへの受けはいいだろう。しかし、運用担当者は同時に何十本ものトライアルを行い、都度配信内容の分析も進める。さらには成果も求められるので、その施策だけをやっていればいいという訳ではない。近年の広告運用は、できるだけ分割項目を減らして母数を多く溜めてから媒体の最適化配信に委ねるのがトレンドだ。今回はそれに真っ向から対立する提案となる。今年携わったリクルート案件以上のボリュームを抱えるのは、想像たやすかった。結局、これ以上の案もなかったので、茨の道を選んだ。

この間にメンバーとの軋轢も起こる。「コンペチームにいるが何をしたらいいかわからない。MTGに参加したら、いつも浦島太郎状態でついていく気になれない。」最初は、まずコンペだけでなく仕事はそこにいる以上自分から掴み取りに行け、待ちの姿勢なんてありえない、と考えていたが、そもそも運用もままならない中で、コンペの進め方も理解できないのも当たり前かと思ったので、いっそのこと一番納得がいく形にしたいと思ったのでそのメンバーをメインに据えた。

結果、1次を突破することはできた。練りに練り上げた企画だったので、これで落ちたらどうしようもないとは思っていた。この時までに全てを出し切っていた。2次でどうするという発想にはなかなか帰着しない。


12月:長い長いコンペの先に

2次のプレゼンは22日に決まり、2021年最後の大仕事となることは確定した。そして、2次プレゼンのためのオリエンテーションで「発表者は実務担当者が行うこと」との制約が入ったことから、私はメインから外れることになった。もちろん完全にこの案件から外れるわけではないのだが、1次プレゼンが終わったときから、もし受注したら新卒たちに任せることは決めていたからだ。それ以外にも他の案件やチームのグロースも必要なので、骨子の作成は任せ、ロジックや流れの確認に私は時間を使うことにした。

予感はしていたが、2次の設計づくりは1次よりも難航した。顧客導線の担保、先方の事業理解、そして各メンバーのプライドの高さが相まって、進捗は悪かった。可能な限り、メンバーのリソースを担保し、他メンバーでその穴を埋めたりと調整は進めるが、肝心の提案内容の進捗は、亀の歩みのように遅かった。

風向きが変わったのは2日前の部長の一言「これ以上は深堀はストップしよう。現状の内容をベースに資料作成を詰める」だった。内容自体は、メインの施策は考え抜かれてはいたが、様々な観点から考えられる解釈も残しており100%とは言えなかった。でもこれでやるしかない。個人的にはこの霧みたいな状況をここで断ち切る思いが見えた。ここから、最後資料の確認と見積り(後輩たちはこのような年間シミュレーションを作ったことがないから、自分であらゆるトライアルに耐えうるものをつくった)にコミットする。見積もりができたのは、コンペの3時間前だっただろう。

そして、本番。1回目で雰囲気を味わっていた後輩たちは、自分たちのペースでプレゼンを進めた。時折、担当者がそっぽを向くシーンもあったが、全部出しきった。

結果は、まさかの受注だった。担当者自らオフィスに足を運んで、受注理由を説明してくれ、今までの既存の枠組みに囚われない(ターゲティングを絞らない)チャレンジングな姿勢が全体的に感じられた、その可能性に賭けてみることにした、しかし業務理解は一番甘いので今から必死こいてやってほしい、それがチームへのクリスマスプレゼントとなった。



振り返ると

今、この原稿を書いているが、正直抱えている課題は山積みだ。新チームの数字、受注した案件の対応(新卒ひよこたちをリードしないといけない)、他メンバーの育成、自分自身のキャリア形成、、、

何十個も重大タスクがあり、原稿を書いているよりも、それ以外をしないといけないのではと思うこともあるが、個人的にこれを書ききらないと、今年は締まらないとの思いだった。

2021年のスタートは、本当に前職が嫌でどうにかこの環境を変えたいとの一心だったが、気が付けば新しい会社でさばき切れないほどの課題にぶつかっている(部長からも当時配属のときに、立場上仕方ないけど2ランクぐらい上の職務を与えちゃっているねと)。おかげさまで、自分が見えている視野が今までいかに狭かったのかが思い知らされた。広告業界で、代理店⇔代理店で給料もさほど変わっていないのは、もしかしたら転職失敗と思われるかもしれないが、個人的にはこの転職は良かったと思っている。広告運用という狭いカテゴリの中から、「クライアントの事業課題を解決できる」立場まで昇華しているのだから。


個人的な今後の目標

同時に2022年以降で取り組みたいことも増えた。

まずは、今の組織のグロースだ。新卒ばかりのひよこ組織が、会社・業界にインパクトを残せる人材に育ってほしいし、メイン事業ではないとはいえ、今の会社のキャッシュフローを考えると、広告運用もGMBコンサルも立ち位置としてはかなり重要だ。以前までは、互いに粗利だけを追いかけるだけで、GMBチームがクロスセルで広告運用を受注しても、何も喜べない雰囲気だったが、ここから先は大きな船団として戦える組織になった。特に両方のチームを経験していからこそ、互いのパーソナリティ・組織の色もわかるし、ここのmixこそがバリューではないかと思っている。

2つ目は、やはり広告運用の副業をしたい。この仕事で食っていくには、どうしても先細りするのは目に見えている。事業会社で広告運用のインハウス化が進む昨今では、広告運用だけができる担当者の価値が下がる将来が予想される。だからこそ、上段の要件定義から計測~分析~施策立案と事業のグロースがリンクすることが重要だと考えている。このnoteを読んで一緒に仕事をしたいという人はぜひ一報ほしいです。めちゃくちゃ前向きに考えます!(笑)

3つ目は、フットサルに関しての事業を推進したい。これはサッカーを10年、フットサルを4年やり続けてから、年々思いが膨らんでいる。「フットサルって結局小さなサッカーでしょ?」とか言われることも多いが、まったく別物だ。戦術もプレースタイルも全然違う(話せば長くなるので、物言いはここまでにします)。昨今プロスポーツクラブのマーケティング強化は叫ばれているが、フットサルの世界はプロ・アマ・庶民レベルでまだまだ取り組めることが多い。1プレーヤーとして、1マーケティングを従事していた者として、叶えたいことがあるのだ。


P.S.

個人や機密情報に関わることも多く、抽象論も多かったかもしれません。もし他にもいろいろ聞きたいことなどあれば、ぜひTwitterのリンクからDMを送ってください。私自身もこの世界のことをもっと学びたいし、業界内で刺激し合える同士が増えるのは喜ばしいことだと思います。

改めて、このnoteを通読いただきありがとうございました。

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