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出雲の藍染を追っかける

上の写真は出雲市の長田染工場の作業中写真。天井で染めを乾かしているところを裏から撮ったもの、白い糊にうっすらと藍が滲んでいます。最後の工程で糊をしっかり洗い流し、あのパキッとした筒染になります。
この糊がとても気になったのです。赤穂段通でも縦糸横糸に糊を揉み込みます。米粉4対餅粉6の割合。こちらの糊は餅粉100%でとても硬く練るのだとか。ちょうど今から作られるというので、しっかり見学させていただきました。

中腰のこの姿勢が一番力が入るそうです
力を入れて練りに練る
固いお団子状に。この後お湯でゆでる
熨斗文様!熨斗の中にさらに糊を重ねて2色になるそう。
手作りのお道具の数々。すごく共感!
新生児の湯上げタオル、お嫁さんのご実家が贈る
上の赤はなんと紅花で、頭や顔を拭くのに優しいのだとか
おめでたい気分が満載の図柄
提灯袋。畳んだ提灯を入れて腰にぶら下げるそうです
息子さんの新作
そしてさりげなく置かれていた「まとふ」のご両名のサインを発見。

すっかり時を忘れて長時間お邪魔してしまって、繊細な筒染のラインを堪能させていただきました。
こんど来るときはお弁当を持参して、一日中作業を拝見したいです。
翌日は糸をいつも藍染めしてもらっている安来市の天野紺屋さんへ。

広瀬の街並みに面した天野紺屋
小売の糸。お土産にどっさり買う。
お気に入りの鰹縞。横糸が入る前の透き通った色合いが素晴らしい。
40番の細い糸ですが、驚くほどしっかりした手触り。
力織機は4代目の担当。ガシャガシャいう音が懐かしい。
12の藍甕を使い分ける。
5代目の15年前の作品だそうです。色褪せてなお美しい藍。

というわけで、出雲の藍染は健在です。どちらも息子さんが後継者になってらして頼もしい。藍甕の建て初めに「紺姫」という雛形?をかざるという風習や出雲大社の近くには広い藍畑が広がっていた、とか興味深いお話をいっぱい聞けたので、またこんど書いてみたいと思います。
しかし、日本の蓼藍は8世紀頃に出雲から伝わったという播磨や徳島での通説の証拠は見つかりませんでした。出雲風土記に記載されていると聞いたので、古代出雲歴史博物館の学芸員さんに尋ねてみたのですが、そういう記載は記憶にないそうです。
でも奈良時代に遣唐使がもたらしたという説はピンときません。正倉院に残る仏具としての藍染め裂は美しい芸術品ですが、国を代表する偉い方々がわざわざ蓼藍を持ち帰るってことは無いと思うのです。次は徳島で藍染めのお話を聞いてみようかな。

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