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最近しらけていて良くない

中学の学園祭(文化祭?)は、確か生徒会がオープニングセレモニーをやって、クラスごとに出し物をして、PTAがやってる食堂でご飯を食べる、そんなような催しだったと思う。
クラスで壁画も作ったかもしれない。合唱コンクールは別だったか一緒だったか忘れた。

教室を飾って模擬店をやるとかいうことは無かったし、出し物の劇も陳腐で、食堂もゆでめんのうどんが出てくるとか事前に申し込んだミスタードーナツを引換券で交換できるという程度のイベントだった。今思い返せばとてもささやかだ。
でもそれで十分楽しかった気がする。ゆでめんのうどんも非日常の空気のおかげでおいしかった。事前準備に精を出す生徒たちも少なくなかっただろう。

しかし、そういう小規模だったり手作り感あるイベントを楽しむ気分を失ってしまった。
なんか想像ついちゃって、やらんでもいいかと思っちゃうんだな。

地元の盆踊りは、子供の頃は珍しく夜更かしができたりいつもの空き地が出店で彩られているのが楽しかったし、夜に友達に会える特別感が嬉しかった。
今じゃ夜に人と会うのも普通だし、焼きそばなんて自分で作れば安くてたくさん食べれるし、射的やクジは当たるわけがないと知ってしまったし。

先日、今住んでる地域の駅前で大勢の地元の大人たちがお神輿を担いで練り歩いていた。歩道でそれを眺める人も多かった。
お神輿はうちの地元に無かったせいもあって1番理解できない。重いもの担いで歩いて大声出して何が楽しいんだ。どこかから出発してぐるっと回ってまたもとのところに戻るんでしょう?毎年そのために神輿を新調したりしてるなら、作る過程込みで楽しいかもしれないけど。それに、担ぎすらせずに後ろからついて行ってる人たちはなんなんだ。「いつか自分も神輿を担ぎたいぜ」という気持ちを秘めているのかもしれないが、とにかく行列の一部となって大声を張り上げている。

そういうの見ても全然楽しくないし、参加したいとも思わない。
かといって、大規模だったり派手ならいいというわけでもなく、「混むんでしょ?」という忌避感や面倒くささが働く。
要するに何もしたくないのである。すっかりしらけてしまっている。

でもこれって、原因は単純で、一緒に楽しむ人がいないからなんですね。
毎年同じような祭りだとして、そこで会う友達は去年と状況が変わってるだろうし、毎年同じメンバーがいるわけでもないし。
人とのコミュニケーションはバリエーションの源だ。
文化祭も盆踊りも、オーディエンスがいなくてもいいねが無くても、一緒にやった人たちと「疲れたねぇ」とか共有できればそれでいいんだよな。

「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損損」というのは正しくその通りだと思う。

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