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ドラマとアート


 最近、ドラマをよく見ている。映画やアニメも含むが、テレビドラマが多い。テレビドラマは見出すと必然的に時間が長く取られるが、その分、ハマりやすく、良い面もあるし。重苦しい面もある。何しろ「物語」があるので、ある程度、自分の人生に置き換えられる事もあり、結構のめり込んでしまう(よく出来たものは)。

 ドラマをよく見るようになった反面、長らく展覧会を見に行っていない。久しく行ってない事もあり、どうしても、最近は、その2つを比べて考えてしまう所がある。

 正直、ドラマをよく見る現在となっては、なんであんなにアートばかり見ていたのだろう?と思うようなところもある。絵の中の人物を見るより、ドラマの中の人物を見る方が美しさや可愛らしさを感じられるような気もするし。「逃げ恥」のガッキーをどうやったら絵が超えられるというのか?とか思わなくもない。いや、もちろん、その2つは全然違うものではあるが。

 自分も一度やったが、この状況下では、オンラインの展覧会というのが、結構行われている。但し、ほとんど見ていない。イラストはともかく、アートはオンラインだと、ほとんど別物だと言っても良い。見ても、単に現地に行きたくなるだけだし。補完でしかない。そもそもインスタやartnetで日々、情報は漫然と流れてくるし。そのぐらいで丁度良い。もちろん、この先、こういう事に対して、いろいろな方法が考えられてくると思うが、今の所、オンラインの同一線上にあるものだと、どうしてもドラマや映画など動画を見る事に時間を費やしたくなるかもしれない。じゃあ、ビデオアートはどうなんだ?と言われると、ビデオアートは大半YouTubeでも良いような気もするけど、まあ、多分それだと見ない。

 そもそもの話、なぜオンラインの展覧会に関心が持てないかというと、余程の知り合いでもない限り、アーティストの新作を楽しみにする事がないという事もあるだろう。ポップカルチャーでは割と新作が重要だが、アートではそうでもない。村上隆の新作と旧作、どちらがより見たいか?と言われると並列に見たいし。むしろ、まだ実物を見たことのない画集ではお馴染みの作品などを見たい場合も多い。

 もちろん、五百羅漢図レベルの作品が現世に現れれば、それは話は別で、このクラスになると、できた瞬間から海外まで見に行こうか迷ったレベルだったが(結局、行かなかったが)、そんなものはほとんど無いような話で、むしろ、アート作品の大半は昔のものの方が値段も高かったりする。

 自分がコレクターで購入してる作家がいれば、それもまた話が別だろう。コレクターは新作が楽しみで仕方ないに違いないし。高いものではなくとも、自分もたまに絵を購入する事もあるので、その感覚は少しだけわかる。しかし、ニューマンやロスコは購入できるレベルの作家でもないし。アート界における主要な作品は、ほとんどそういう値段なりポジションにあり、庶民には(あるいは大富豪にさえ)手が届かないものが大半だ。

 アートにおいては「近さ」も結構重要だろう。それは「絵肌を見る(体感する)」という点における作品との物理的距離もそうだし。「所有する」というテレビドラマなどにはない達成感もある。(まあ、ドラマもDVDを買うとかはあるけど、部屋に飾れるという状態はそれとはどこか違い、より近いもののように思う)。そして、この点において、近所の美術館にある常設の充実度などは結構、重要な出来事かもしれない。自分のいる地域にゲルニカがあったら、どんなに素晴らしい事だろう?

 但し、作品には「遠さ」が重要かもしれない。そもそもニューマンやロスコ、あるいは、セザンヌやレンブラントなど、自分の好きな作家は現存してない「遠い存在」ばかりで、考えてみると、アート作品の大半は古く、地理的にも遠いものも多い。知らないものを知る。そして、何度も見返して考えられる。というのがアートを見る際の一つの醍醐味になっている部分はあるだろう。

 手軽に見られず、遠くにあるからこそ、近くに行って見たいと恋焦がれる作品も世界にいくつも点在している。例えば、それはフェルメールの全点踏破の旅などがわかりやすいかもしれない。見たいものを見る、それはオンラインで見る行為とは違って、「見る」という事すら、ある意味では「所有」あるいはポケモンをゲットしていく感覚に近いのかもしれない。アートにおいて、作品は実物を見ないと分からない情報が多すぎるからだ。

 逆にいうと、優れたドラマ、あるいは、映画というのも数百年単位の時を超える事でアート作品に近い楽しみとなるのかもしれない。特に映画は、映画館で見る機会が少なく、好きな作品が劇場で再上映される際はワクワクしてしまうところがあるし。それはアートを見る行為と似た感覚ではある。

 そう言えば、これを書いていて思い出したけど、ドラマをよく見るようになる前は、YouTubeでロスコやホックニー、バンクシーなど、アートの動画ばかり見ていた事があった。それは展覧会に行かなくなってすぐぐらいの時期に特に多かったと思うが、いつしかそれすらも見なくなってしまったので、やはり、アートにおいて「実物を見る」という経験がいかに重要かという事を感じないではない。

 これはそもそも身近にアートが少ない日本の更に身近にアートが少ない地方の群馬にいるからこそ感じるのかもしれない。やはり、アートは先ずは経験が重要で、それがないと、あとが続かず、アートを見たいという気持ちも湧かないのではないか。複製芸術が主流になった現在において、これはアートの弱みでもあるが、強みでもあると思う。


(冒頭のイラストは本文と何の関係もない適当に貼った自分のイラストです)


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