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スター・ウォーズの日に、旧三部作を一気観してみた【映画ゆる感想】

どうも。ガハラ軍曹です。

ちょっと前になっちゃいましたが、去る5月4日は「スター・ウォーズの日」でした。5月4日は英語で「May the 4th」、それを作中の名台詞である「May the Force be with you」とひっかけたんですね。

・はじめに 〜スター・ウォーズと私

スター・ウォーズは僕にとっても思い入れの深い作品です。というのも、記憶にある限り、人生で初めて観た映画が「スター・ウォーズ エピソード4」だったからです。

クリーチャーやドロイド、メカ、ライトセーバーなどにワクワク感をくすぐられ、ハン・ソロの格好良さに憧れ、ダース・ヴェイダーの恐ろしさに慄き……当時何歳だったかすら思い出せませんが、幼い僕はすぐにその虜になったものです。幼少期の僕は、スター・ウォーズ、しかも旧三部作をひたすら繰り返し観続けていました。絵本や児童書よりもスター・ウォーズの設定資料集を読み込み、モス・アイズリーのパブで流れていた音楽を子守唄がわりにし(これは嘘)、人に何かを頼むときには「助けて●●、あなただけが頼りです」と言ったものです(これも嘘)。

ですが中高生になると、僕はスター・ウォーズから遠ざかっていました。その頃いわゆるアニメオタクになった僕には、他に観るべきものが溢れかえっていたからです。

今年も正直、5月3日までは「スターウォーズの日」の存在をすっかり忘れていました。ただ、当日そのツイートを見た僕の心の中には、何故だかあの頃の熱い思いが蘇ってきたのです。最近、諸事情により映画をたくさん観るようになったこともあって、「自分のバイブルである、スター・ウォーズをまた観たい!」という気持ちがムクムクと高まってきていました。

そんなわけで前置きが長くなりましたが、エピソード4〜6を久しぶりに観直したので、感想をゆる〜くまとめておこうという話です。

詳しいネタバレはしませんが、話の都合上多少はネタバレありますので、完全に未視聴の方はご注意ください。

★スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望

1977年公開、スター・ウォーズシリーズの記念すべき第1作目です。公開当初は「新たなる希望」や「エピソード4」とは謳っていなかったみたいですね。まぁいきなり「新たなる」とか言われても……って感じですし。

ざっくりあらすじを述べると、「辺境の惑星に住んでいた青年ルーク・スカイウォーカーくんが、ひょんなことから銀河帝国vs反乱軍の戦いに反乱軍側として参戦し、仲間の協力と天賦の才能を活かして活躍する」話です。

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・わちゃわちゃ楽しそうなクリーチャーたちに引き込まれる

スター・ウォーズの魅力の一つは個性豊かなクリーチャー(いわゆる宇宙人)たちです。見た目はちょっとグロめですが、彼らが生き生きと暮らしている姿にワクワクさせられたものです。本作はそんなクリーチャーたちがわちゃわちゃ登場し、各々活躍を見せてくれます。

彼らが単に生きてるだけじゃなくて、それぞれ仕事を持っているところがいいんですよね。社会の一部として、クリーチャーたちと人間が当然のように共生しているところに夢があります。ドロイドを売って商売しているジャワをはじめ、ミュージシャンやダンサー、金貸し、賞金稼ぎ、はたまた山賊まで、それぞれの生き様が魅力的に描かれています。特にエピソード4は酒場のシーンなど楽しげなところが多く、何度見ても引き込まれます。

ちなみにルークたちを襲う山賊(サンド・ピープル/タスケン・レイダー)、エピソード2でもあんなことをして、あの人がブチギレ、その後大変なことになっていくきっかけを作った奴らです。ロクでもないですね。

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・冷酷な悪のカリスマ、ダース・ヴェイダーとモフ・ターキンの魅力

スター・ウォーズを代表するアンチヒーローといえばダース・ヴェイダー。最初の戦闘シーン、漆黒のコスチュームに身を包んだヴェイダーが自ら乗り込んできたときの恐ろしさと言ったらありません。ストームトルーパーたちが白い装甲服を着ているところとの対比も強烈です。入ってきたヴェイダーを見てストームトルーパーたちが即座に居住まいを正すところなど、細かい部分でもヴェイダーの恐ろしさが物語られています。

ですが僕がより好きなのはモフ・ターキン。レイアの母星オルデランを木っ端微塵にする冷酷さ、そしてヴェイダーにすら命令できる強大な権力と威厳を持ち、自らデス・スターの指揮を執った初老の男です。

彼から感じるのは、冷酷さと冷静さ、自らの意思は曲げない強いカリスマ性、そして帝国軍人としての誇りです。レイアから反乱軍の基地の場所を聞き出した挙句にオルデランを破壊し、その上レイアを逃して基地の場所を実際に突き止め、そこへ自ら乗り込んで攻撃を仕掛けるという、みんな割と行き当たりばったりな作中においては屈指の周到な人物です。

そう聞くと、デス・スターの警備がガバガバなうえ、警備兵はドアに頭をぶつけるダメっぷりだったのもなんとなく頷けます。まぁドアに頭をぶつけるのは遺伝なので仕方ないんですが……

もとい。反乱軍を的確に追い詰める知略、反乱軍の逆襲を不安視する部下を一喝する毅然とした態度、そして最後はフォースに破れ、宇宙の藻屑となって散る様……どこをとっても一級品の悪役です。ヴェイダーの「技術で築いた恐怖を過信するな」という言葉の証明になるとともに、フォースの偉大さを図らずも象徴した名キャラクターでした。

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●エピソード4は「冒険活劇」。初見でもたっぷり楽しめる名作!

エピソード4は、ざっくりいえば冒険活劇です。戦闘機の戦闘シーンや、ブラスターを用いた地上戦、またはライトセーバーバトルなど、40年以上前の作品とは思えない迫力の映像にも注目です。

スター・ウォーズを初めて観るという人でも、難しいことを考えずに楽しめること請け合いな名作といえるでしょう。

★スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲

続く第2作、「帝国の逆襲」。タイトルからもわかるように、今作は帝国が逆襲します(雑)。地味と言われることもありますが、僕はエピソード5が一番好きです。

ざっくりとしたあらすじは、「デス・スターを破壊した『ヤヴィンの戦い』から3年(意外と経ってるな)。新たな基地がバレた反乱軍は撤退し、ついでにルークはまだ完全には修行が終わってなかったので、変な星に住むヤバい老人(実はすごい人)の元で修行をする。その間ソロやレイアは助けを求めてソロの旧友に会いにいくけど、そこにも帝国の手が……」という感じです。

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・雰囲気が一変。濃厚に描かれる「精神の戦い」

「エピソード4は冒険活劇」と言いましたが、エピソード5は全然雰囲気が違います。というのも、エピソード5はルークが自らの恐怖や不安と向き合う話だからです。

エピソード4では楽しげだったクリーチャーたちは一変し、ダコバでも、あるいは小惑星群の中でも、おどろおどろしくルークたちに牙を剥きます。全編通じて、「嫌な感じがする」という雰囲気です。実際何回もこの台詞が出てきます。

映像の演出もなかなかすごく、特にダゴバでルークが幻影と戦うシーンのスロー映像は途轍もない緊迫感です。ちなみにエピソード5は他にも映像にいろいろ工夫が凝らされていて、氷の惑星ホスの戦いでの高速ズームインは臨場感抜群ですし、ルークとレイア、ヴェイダーが呼応しあう時のオーバーラップ演出も印象的でした。

最後のルークvsヴェイダーも、ド派手なライトセーバーバトルというよりは、「精神的に優位に立ったものが勝利する」という戦いだった気がします。そもそもスター・ウォーズのテーマの一つは「自らに巣食うダークサイドとの戦い」なわけですしね。最初は受けに回りつつ、後半から猛攻を仕掛けてルークの心を折ろうとするヴェイダーの策略は見事でした。

エピソード4では軽快だったC-3POとR2-D2の漫才も、今作はそもそも彼らがほとんど一緒に居なかったこともあり、後半までほぼ見られません。でもやっぱり二人は仲良しで、早くミレニアム・ファルコンを修理しないと敵に捕まるというタイミングでも、C3の足をR2がギリギリまで修復してるところとかちょっとほっこりします。

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・めちゃめちゃ強引にレイアに迫るハン・ソロ

最初の方観てて思ったんですけど、ソロのレイアへの迫り方がめちゃ強引です笑。でもまぁソロ、というかハリソン・フォードのワイルドさには合ってるからいいんですけどね。

そんなこんなで、最終盤にはお互いへの想いを確かめ合います。僕も子供の頃、「I know」っていうセリフを練習しました(何のためにだよ)

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●エピソード5は、噛めば噛むほど味が出るスルメ作品!

エピソード5、確かにエピソード4と比べるとやっぱりちょっと地味な感じもあります。でも、自らの恐怖や不安、つまりダークサイドとの戦いを、様々な演出で描き上げた名作だと思うのです。何度も周回して観るたびに味わいが深まっていく、いわゆるスルメ作品だと思います。

ついでに。言うとこなかったんでここに書きますが、最初のホスの戦い、格好良すぎませんか。「氷の惑星からの決死の撤退戦」というシチュエーション、AT-ATの迫力や前述した映像の工夫もあって、尋常ではない緊張感が張り詰める、作中でも屈指の名戦闘だと思います。にしてもAT-AT、今後も含めて割としょぼい方法で倒されるの何故なんでしょう

★スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還

旧三部作の締めを飾るエピソード6。僕が子供の頃は「ジェダイの復讐」と呼ばれていました。

あらすじは、「帝国が新たに建造している凄い兵器『デス・スター2』を破壊するために、熊ちゃんと共闘する話」です。何だそりゃ!

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・とにかく熊ちゃんが愛らしい

エピソード6については以上です!!

今回観直した結果、「やっぱりエピソード6は熊ちゃんの映画だな……」と思いました。熊ちゃん熊ちゃん言ってますが、イウォーク族という、限りなく熊ちゃんに似た原住民族です。石や木を武器に戦います。よく見ると顔はあんまり可愛くないですが、動きがとにかく愛らしいので問題ありません。

中盤から終盤、デス・スター2のバリア発生装置を壊すためにイウォークと共闘することになるわけですが、イウォークと仲間になっていく過程とかは結構ほっこりして笑ってしまいました。フォースの力で浮遊したC-3POが神様として崇められることになり、C3自身も「私にこんな力があったとは……」とか言ったりして。そんなわけねぇだろうが。

あと仲間の熊ちゃんが戦いで死んじゃって悲しむ熊ちゃんのシーンは涙なしには見られません。あのあたりで自然破壊の愚かさとかを述べようと思った可能性もありますが、よくわかりません。ただ悲しいです。

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・あまりに弱過ぎるストームトルーパー、その影にある帝国軍の衰退

熊ちゃん大勝利のもう一つの理由には、帝国軍、もっというとストームトルーパー部隊が弱すぎたことがあります。さっきも言いましたが熊ちゃんたちの武器は木と石です。一方のストームトルーパーは、ブラスターを持ち、白く輝く装甲を身に纏った、皇帝曰く「我が軍の精鋭部隊」です。そんな彼らが、熊ちゃんに石をぶつけられてすぐやられちゃうんだからもう笑えます。

でも一つ思うのは、この時点で、帝国軍はもはや疲弊しきっているんじゃないかな〜ということです。エピソード6序盤、デス・スター2の建造の遅れをヴェイダーが指摘するシーンで、帝国の将校は「人手不足」を理由に挙げています。これまで恐怖で銀河を支配していた帝国軍ですが、すでにその統治には限界が訪れていたのでしょう。ヴェイダーと将校のやりとりは、それを端的に表すいいシーンだと思います。

ちなみにその後、皇帝がデス・スター2を訪れることを告げられ、将校は「シフトを倍にします」と答えます。もはやブラックバイトの世界です。最終兵器建造の人手ですらそうなんですから、前線部隊なんかは補充補充でまともに訓練されていたとも思えません。

また、エピソード5で顕著なのですが、ヴェイダーは将校たちを殺しすぎだと思いました。彼らはどうにか成果を上げようと必死になり、結果としてやや無茶に作戦を押し進めてしまったりしています。結局、この恐怖による統治がうまくいかないことも、作品の一つのメッセージなのかなとか思います。

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・あまりにあっさり死ぬボバ・フェットとジャバ・ザ・ハット

エピソード4から登場し、大悪党的な描かれ方をしていたジャバ・ザ・ハットと、そのお抱えの賞金稼ぎであるボバ・フェット。カルト的な人気もある彼らですが、めちゃめちゃあっさり死にます。ボバ・フェットは「不運な事故死」ですし、ジャバに至っては「レイアによる絞殺」です。そういやヨーダも老衰で死にました

揃いも揃って何だそりゃという理由で死にますが、スター・ウォーズのキャラクターって割とあっさり死ぬんですよね。ヴェイダーなんかは例外中の例外です。そんなわけで、あっさり死んでも恥ずかしいことではありません。

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●エピソード6は大団円。とにかく熊ちゃんを愛でる!

熊ちゃんの話ばっかりしてますが、エピソード6は三部作の最後としてうまくまとまっていると思います。積み残していた色んな話がスッキリ解決しますし、高揚感のあるエンディングです。その中で可愛い熊ちゃんを愛でることもできるという素晴らしい作品になっております。


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そんなわけでスターウォーズの日にスター・ウォーズ旧三部作を一気観してみました。こういうシリーズものは、やっぱり一気に見るといろいろと違う発見があっていいですね〜。

新三部作もいずれやってみようかなと思います。新新三部作は……う〜ん、暇だったら……

では、お付き合いいただきありがとうございました。またどうぞ。



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