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【自己紹介】器が小さいのか胃が小さいのか

 書き物のスピードを上げたいと思っていたところに、noteで「春の連続投稿チャレンジ」なるものが始まると知った。これに便乗して自分のことを書いてみようと思う。


自分で思う自分の特徴

 私は外から見て、所謂少食と言われがちな生活をしている。しかしそれはあくまで客観的にそう指摘されるというだけで、痩せているわけではない。一度に一食分を食べきれない分間食が多く、結局一日1100kcalは摂取している。

 では、一度に一食分を食べられないとはどのような程度なのかを記す。
 例えば叙々苑で思う存分食べても、3000円で済む。菊乃井の昼コースは半分とオーダーしても後半がきつい。うどんやラーメンなどはどうにかして食べ切ろうと思うので、半玉が選べる店に行くし、トッピングを諦める。外食で“元を取る”なんて考えは最初からない。
 仮にとんかつ定食を注文したとする。もし我儘言いたい放題の環境で、ありとあらゆるリクエストが通るなら、まずライスが要らない。千切りキャベツは干物定食の大根おろしくらいの量でいい。味噌汁も温かいお茶がもらえるならなくていい。これは量というより、食前に喉と胃に液体を入れたいという願望からしかきていない。

 自炊でもキャベツや大根は使いきれなくて痛むし、胡椒や豆板醤や味噌、酢、めんつゆ、ドレッシング、パセリなどのハーブ類も賞味期限内に使い切るなんて夢のまた夢、期限切れのものを「自分しか食べないから」といって使うか、そもそも買わないかのどちらかだ。一人暮らしを始めて以来、マヨネーズや七味、焼き肉のたれは買ったことがない。

不景気に拍車をかける迷惑な人

 だいたいどの程度の少食具合かが伝わったかと思う。
 とんかつ定食なんか頼むからだ、身の程を知れと思われるだろう。その思考、他者の視線が透けるからこそ外食が苦手だ。
 だが、ここでひとつ言い訳をさせてほしい。例えパン屋のイートインを利用しても、”昼時にパン一個で粘るの?テイクアウトしてくんね?お前みたいな客大して金にならないんだよね笑” という話になるのが容易に想像できはしないだろうか。
 カフェも最近は映え重視なのでケーキ一つ頼まないと注文を取りに来た店員に、ケーキのご注文はよろしかったですか?と念押しして聞かれる。居酒屋なんて論外だ。店員がチラチラとこちらを伺い追加注文を待つなかで食べる出汁巻きたった一つというのは、案外味がしないものだ。

 こう愚痴をこぼすと、大体の被相談者はこのあたりで黙れよって顔でため息混じりにこう言う。マックとか行けば?と。
 なんで学生でも外回りの空き時間を埋めるためでもないのにチェーンのカフェやファミレスに通い詰めなければならないんだ。二十歳を越えた社会人が。虚しいったらない。それとも”折角の外出なんだからちょっと良いものに舌鼓を打ちたい”と思うのはそんなに異常な思考回路だろうか?そこまで奇を衒った発想ではないずだ。

選択肢が少ない

 ともかく、どう店を選んでもそんな空気なので、人生が長いほど厚かましくなり、”いっそのこと好きなものを食べさせてくれ”と思うようになる。その結果がとんかつだの天ぷらだのコースだのになる。せめてバーに行けるような肝臓を持ち合わせていれば良かったのだが、下戸の子供舌なのでそうもいかない。

 食べることを除外すると、外出中に足を休めることが出来ないのが街の難点だ。時世柄、ベンチを置きすぎるとホームレスが居座ってどうこうという話も聞くので、安易に無償で座る場所を作るのも良くないんだろう。ただ、そうなってくるとどうしても休むと食べるがセットになってしまう。
 もしくは雨ざらしになった公園のベンチか、人の往来で気が休まらない中駅のベンチに腰を下ろし、引き換えに足を休めるというストレスシーソーゲームをするしかない。

 母も同様に少食なのだが、彼女は外出中に食事をしないようになった。鞄の中にナッツを五、六粒とリンツのチョコレートを一つ蓄えて、人目の少ない所を見つけると時たまこれを食べるというお出かけ事情が定着した。
 利益の出ない客に愛嬌を振りまく必要がないという発想はこちらとしても理解できるから、精神的なゆとりがなくて厚かましくなれない時は私も食べないという選択をする。
 本当は、いかなる時もそうするべきなんだと思う。「量が少ない」という主張は店側のぼったくりを想起させるため巷で敏感に受け止められ改善にも真摯な対応が見られるが、「量が多い」という主張は単なる誉め言葉だと受け流され、そこにある不満は封殺される。ついでに言うなら、女という身に生まれると、食事に対する率直な感想であってもマウントや皮肉だと捉えられることもある。美味いも不味いも多いも少ないも濃いも薄いも全て諦めるしかない。

少食であることと、美味い飯に興味があることは両立できてしまう

 諦めるしかない。と、思っていた。
 
加齢とは恐ろしいもので、恥という概念を消し去る。店で注文するときに、ごはん減らせますか?などと平然と言い始める。それで結局「は?ついでに値引きしろとか言い出すんちゃうかこいつ」とか「は?こちとらバイトやぞイレギュラーな対応求めんなや」という不愉快そうな顔をされ、一瞬垣間見えた他人の感情が脳裏にフラッシュバックするなか、不快な気分でその後出てくる料理を食べなければならない。
 それなのに、吐くまで食べるという個人的な苦痛と店員という他人の労力を天秤にかけて、前者を優先するようになってしまった。

 自分のことを指さしての発言なのではっきり述べるが、こうなってくると人間もうおしまいだ。終わりの始まり、老害と呼ばれる社会のクズに、私も早々に仲間入りしてしまったというわけだ。

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