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外資ベンチャー米国本社勤務のリアル

前回「外資ITベンチャー本社への転籍」の続編です。


90年代後半に約4年間米国本社の社員としての勤務を経験しました。場所はシリコンバレーではなく、南カリフォルニア、ロサンゼルスの郊外。ほぼ白人しか住んでいない地区でした。勤務先でも近所でも日本人と会うことはありません。ITバブル時代真っ只中、景気が良く、アメリカ国内も今と違って平和な時期でした。

職場の雰囲気

同僚のソフトウェアエンジニアは15人くらいだったと思います。当時シリコンバレーの企業でエンジニアと言えばインド人と中国人ばかりだった印象ですが、私のいた会社ではフィンランド、カナダ、台湾、インド、韓国、アルメニア、ベトナムといったいろいろな国出身のエンジニアが在籍していて、小さいながらもとても国際的でした。
日本だと朝出社すると「おはようございます」、帰るときは「お疲れ様でした」のようなあいさつ・声掛けが普通ですが、そういったものは一切ありませんでした。朝来ると黙って自分の席について黙々と仕事を始め、夕方も黙っていなくなるのでいつ帰ったのかわかりません。夕方5時を過ぎるとほぼオフィスには人がいなくなっていたと思います。

ランチ、夕食

ランチは声を掛け合って一緒に近所のファストフードに買いに行くことがほとんどでした。歩いて行ける範囲に4-5件のファストフードがあったので、昨日はマック、今日はタコベル、明日はサブウェイ、という感じでローテーションしていました。たまには車で移動してレストランに行くこともありました。「昼休憩は12時から13時」のように厳格に決まっていないので、時には長いランチタイムになることもありました。
夕方はほとんどの人は早く帰るのですが、二人のフィンランド人の同僚は7時近くまで仕事する人たちで、5時ごろになると軽食を食べに出かけていました。私もそれに同行することが常でした。二人だけならフィンランド語で会話するのに、私がいるので私が参加しない会話でも英語で話してくれていました。

他部署との交流

エンジニアリングという仕事柄か、他の部署とやり取りすることはほとんどありませんでした。マーケティングから製品の企画・要望が下りてくるのですが、それを受け取るのはマネージャーレベルで、一介のエンジニアがマーケティングと直接話すことはありません。カスタマーサービスは技術的な質問に来ますので、一番身近だったと思います。営業は最も遠い存在。
ただ、当時喫煙者だった私は喫煙所(といってもオフィスビルを出たところに設置された灰皿)で他部署の喫煙者と会話することがありました。そこにゴルフ好きの人がいたので仲良くなり、社内のゴルフ同好会的なものに誘ってくれて年に数回社内コンペに参加できました。

アフターファイブ、週末

日本のように仕事が終わった後に「飲みに行こう」はまずありません。
夏は近所のゴルフ場のトワイライト料金が設定されていて、16時以降のスタートは格安でラウンドできるので、同僚4人とよく行きました。夏時間だと20時ごろまで明るいのでぎりぎり18ホール回れきれることも。
週末は「庭でバーベキューやるからおいで」というお誘いをいただいたり、独身のメンバーが週末に集まってドジャースタジアムに観戦に行く、ということはありました。それ以外は大体孤独な週末なので、一人でドライブに出掛けることが多かったと思います。

次回は仕事や生活においての英語に関する苦労話などの体験を書いてみます。

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