見出し画像

そんときゃよろしく

「この20年で変らなかったのは、本への思い入れを読者に伝えようとし続けた書店員たちの存在である。彼ら、彼女たちがこれからも書店を支え続けるのである。・・・」 学芸出版社営業部の名物社員・藤原がお送りする、本と書店をめぐる四方山話。

無謀な旅行者がテロ組織に身柄拘束された時、自己責任という言葉が流行った。自分で撒いた種の後始末は自分でしなさいということだ。当たり前のことなのだから、自己責任、自己責任とわめき散らすことはないと当時思ったことがあった。

最近この業界では責任販売という言葉がよく使われている。自分で仕入れて自分で売りなさいということだが、他業界では当たり前のことである。売りたいから仕入れる。売れなかったら自己責任。商売の基本である。

しかし、本という商品については文化がどうのこうの、出版社は買い戻しが原則であるという流通の仕組みがあったりして、無責任販売が普通の商習慣になっている。無責任販売は言い過ぎとは思うが、以前別の場所で書いたように無責任に販売出来るからこそ本という商品を売ることが面白いのである。

ここで押さえておきたいのは、売り手が本という商品を真面目に売っているかということである。

取次店は勝手に本を送ってくるし、出版社の営業マンが来て、「売れますよ、売れなかったら返品してもらえばいいし」と言って本を置いていくし、まぁ適当に本を並べておけば、それなりに売り上げはあるし、常備品や取次店で用意してくれる本を棚に入れておけば棚は埋まるし、まぁ日常のルーチンでそこそこやって行けます。

こういう状態を無責任販売と言っているのではない。数ある本という商品の中で、これを売りたい、これを読者に届けたいと思って売るのだが、それはそう本だもの、残っちゃう場合があるよね。そんときゃよろしく。というのが無責任販売というのだ。

で、責任販売制であるが、本という商品に責任を感じようとしてもそりゃ無理なんじゃないかと思う。村上春樹の本なら責任を持てるけど、学芸出版社の本なんて責任持てないよね。だから販売努力をしてくれた書店さんから「そんときゃよろしく」と頼まれたら「そんときゃ引き取る」と胸を張って言うのである。

いただいたサポートは、当社の出版活動のために大切に使わせていただきます。