ビジョンの命

 先日、所属している中小企業の経営者たちが集う勉強会で、不動産を扱う会社の社長さんから紹介していただき、次の本を読んだ。

 ケン・ブランチャード+ジェシー・リン・ストーナー(著)/田辺希久子(訳)『[新版]ザ・ビジョン──やる気を高め、結果を上げる「求心力」のつくり方』(ダイヤモンド社、2020年)

 世界80か国でベストセラーになった本である。
 紹介してくださったその方は十数年前に作った自社の「ミッション」と「ビジョン」が本当に社員に理解されているかと疑問を感じた時に、やはりある方から本書を紹介されて読み、それ以来、座右の書として何度も読み直しています、ということだった。

 私自身も早速一読、惹かれた。
 結婚し、夫を思わぬ病いで失った後、15年間を子育てに捧げてきたエリーという女性が勤めることになったのは、ある中堅の保険会社。彼女はそこで経理の仕事につく。その会社では、毎朝、社長のジムから全社員に宛てた社内メールが届けられていた。その内容に惹かれた彼女は、ジムと毎朝、ミーティングを重ね、会社のビジョンの構築と、それを社内に根づかせるプロジェクトに力を合わせて取り組むことになる──。
 こうした巧みなストーリー・テリングを通じて本書が語るのは、「目的」「未来のイメージ」「価値観」という3つの要素からなる《ビジョン》と、ビジョンをいかにして創造し、伝達し、実践するかという《プロセス》である。

 ビジョン×プロセスによるチーム・ビルディングの抽象と具体を、章をおって丁寧に解きほぐす本書には、示唆に富む幾つものエピソードがちりばめられている。
 そのなかでも、ビジョンを持つとはどういうことかを強く印象づけられるのは、テリー・フォックスという義足のマラソンランナーの話だ。調べてみると、彼は実在の人物で、骨肉腫で右足を切断した後、がん研究資金を募るためにカナダを横断する「希望のマラソン」を開始する。義足をつけ、毎日、フルマラソンと同じ42kmを走り続けるが、マラソン開始後、143日目に5373kmを走ったところで癌が肺に転移したことが判明し、入院。22歳の若さでこの世を去る。
 彼はカナダ横断を果たすことはできなかった。しかしがん研究のために100万ドルを集め、障害者への理解を深めるという彼の真のビジョンは彼の死をもって終わることなく、「テリー・フォックス・ラン」はその後、毎年の恒例行事として開催され、寄付金を集め続けることになる。

 このエピソードとともに本書の著者は、「予想外の事態が起き、軌道修正を迫られても、むりやり軌道をもとに戻そうとする必要はない。ビジョンから目を離しさえしなければ、むしろ計画は修正すべきなのだ」と語る。
 仕事のなかで日々、誰もが出会うであろうミクロとマクロ、そしてその間にある中規模の多様な出来事や難局においてどのように舵を切り、諦めることなく歩みを進めていくにはどうしたらよいかを、本書はビジョンとプロセスの構築を柱として骨太に力強く伝えている。
 本書の中で繰り返し出てくるのは「全速前進で進もう」というメッセージだ。

 私が本書を誰かに紹介するなら、上記の内容とともに、もうひとつ加えておきたいと感じたことがある。それは内容的には本書の支流というべきものだが、大切な支流である。
 当初、経理部に配属されたエリーは会社のビジョンとプロセスの構築に献身するが、家族を顧みない在り方に、子どもたちが不満と不安を伝える。
家族に向き合い、自身の仕事の在り方を軌道修正してゆく彼女はやがて、会社と会社の誰かを一途に支援するなかで、「では、私は、自分自身を支援しているか」という問いに逢着することになる。そこで彼女が出した結論は、作家への転身だった。

 他者に対して真に献身的な人が、あるいはそうした人こそが、もしかすると自分でも気づかないうちに育てている、自分自身の人生の新たなビジョンとプロセスがある。それを選びとることを決断する彼女と、共に歩んできた社長のジムがその決断を祝福し、支援するくだりは、仕事と人生が一つであって別のものではないことを強く示唆され、感動を覚える。
 会社のビジョンとプロセスの構築に加え、個人の人生におけるビジョンとプロセスの在り方にも注意深い視線が配られた一冊。
 仕事も人生も、まだまだ、これからだと励まされる思いで読了。
 未来は長く続く──。

(文責:いつ(まで)も哲学している K さん)

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